香川大学 医学部医学科
分子神経生物学
講師 高橋 弘雄
神経科学
2022/04/25 掲載

研究結果の概要

脳で血管が詰まり脳梗塞が起こると、血流が阻害された虚血部位では、多くの神経細胞が死に至ります。私たちはこの研究で、外界からの短期間の刺激により、あらかじめ健常なマウスの脳を活性化しておくと、「脳を守るメカニズム」も同時に活性化され、その後、脳梗塞に陥っても、神経細胞が死ににくくなるという現象を発見しました。さらに、この脳梗塞から「脳を守るメカニズム」が働くために、Npas4とGemという2つの遺伝子が中心的な役割を果たすこと、を明らかにしました。この研究成果は、2021年8月10日の米国科学アカデミー紀要(118, e2018850118 2021)に掲載されました。

2概略図web2.jpg

研究の背景

脳梗塞を含む脳血管疾患は、本邦で死因の上位を占め、また要介護者を生む大きな要因ともなっています。大人の脳では、神経細胞は基本的に再生しないため、神経細胞の細胞死を防ぐことが、脳梗塞の治療における重要なポイントです。これまでに、主に動物モデルを用いた研究から、脳梗塞が起こる以前の環境が、脳梗塞の症状に大きな影響を及ぼすことが知られていました。例えば、数週間の運動をしたマウスや、遊具が置かれ刺激の多いケージで一ヶ月過ごしたラットなどは、その後、脳梗塞に陥った場合に、神経細胞の細胞死が顕著に軽減します。私たちの研究グループは、もっと短期間の刺激でも、脳梗塞の症状に影響を及ぼし得るのではないか?と考え、この研究を行いました。

研究の成果

様々な遊具が置かれた刺激の多い環境で40分間過ごしたマウスは、その後、脳梗塞に陥った場合に、神経細胞の細胞死が顕著に軽減しました。神経細胞を人工的に活性化したマウスでも、同様の神経保護効果が見られました。刺激の多い環境で過ごすことにより、脳の神経細胞が活性化すると、それと同時に「脳を守るメカニズム」も活性化されることが分かりました。そこで、この現象に関与する遺伝子の探索を行い、Npas4と呼ばれる遺伝子が、中心的な役割を果たすことを見出しました。

Npas4は、①刺激の多い環境で過ごすことにより脳が活性化した場合と、②脳梗塞が起こった場合の双方のケースにおいて、大脳皮質の神経細胞で強く産生が誘導されました。そこで、Npas4を欠損したマウスを解析した結果、Npas4欠損マウスでは脳梗塞による細胞死が過剰に起こり、“脳の活性化により神経細胞が死ににくくなる現象”も見られなくなることが分かりました。逆に、Npas4を人工的に産生させたマウスでは、脳梗塞による細胞死が減少しました。つまり、脳梗塞が起こると、脳は自身を守るためにNpas4の産生を促進し、Npas4は神経細胞の生存を促進します。刺激の多い環境で予めNpas4の産生を誘導しておくと、その後脳梗塞に陥ってもNpas4が速やかに働き、神経細胞の細胞死が抑えられると考えられます。さらに、Npas4が脳梗塞から「脳を守るメカニズム」の実体を解析した結果、(1) Npas4がGemと呼ばれるタンパク質の産生を促進すること、(2) Gemが神経細胞で過剰なCa2+流入を抑えることにより細胞死を防ぐことを明らかとしました。

この研究により、
 脳が活性化すると、同時に「脳を守るメカニズム」も活性化されること
 Npas4とGemという2つの遺伝子が、脳梗塞から「脳を守るメカニズム」において中心的な役割を果たすこと
が明らかとなりました。

 (脳梗塞により神経細胞で産生されたNpas4(紫色)とGem(緑色)を可視化した写真)3実験結果web.jpg

この研究の将来的な展望

脳梗塞の時にNpas4やGemが産生されるのは、マウスに限った現象ではありません。ヒトiPS細胞から作製した脳のオルガノイド(培養ミニ臓器)も、虚血様の環境に置かれると、Npas4やGemを強く産生します。私たちの脳でも、これらの遺伝子は神経細胞を守るために働いていると推測されます。この脳梗塞から「脳を守るメカニズム」を、人為的に強く活性化することが可能となれば、脳梗塞による細胞死を抑える新たな治療法に繋がると期待されます。今後は、「脳を守るメカニズム」をさらに詳細に研究して、効果的に活性化する手法の確立や、この仕組みを助ける薬剤の開発など、一層研究を進めて行きたいと考えています。

(研究室の風景)
4研究室風景web.jpg

研究の魅力

「分からなかった疑問が、解けた時の喜び」というのは、様々な形で、誰しも感じたことがあるのではないでしょうか?個人的には、研究の最大の魅力は、結局これに尽きると思っています。古代ギリシアの科学者アルキメデスは、入浴中に浮力の原理に気づき、喜びのあまり裸で外に駆け出した、と伝えられています。裸で駆け出すような大発見は難しくとも、日々研究をしていると、ワクワクするようなそれなりの発見がそれなりにあります。加えて、分からないこと(面白い疑問)を見つけた時や、その疑問を解くための試行錯誤の過程も、時に苦しくも楽しい瞬間だったりします。例えるならば、推理小説は、最後に探偵が犯人を暴くシーンが面白いけれど、それは事件が起こった驚きがあり、アリバイ崩しに悩んだ過程を通してこそです。ネタバレされたら、きっとアルキメデスも駆け出さなかったと思います。

研究を始めたきっかけ

本格的に研究を始めたきっかけは、卒業研究をするために、大学で研究室に所属したからです。身も蓋もないです。それ以前にも、実習などで実験をする機会はありましたが、大人数を対象とするそれらの多くは、決められた工程を行い、予想される結果を得るというものでした。「上手くできた。」「確かにそうなった。」「今日は早く終われた。」といった感じで、確認作業のタイムレースのように取り組んでいました。研究室で研究を始めた時に実感したのは、「世の中には、まだ誰もやったことのない実験が無限にあり、新しい実験を行えば、まだ誰も知らない発見がある。」という至極当たり前のことです。それはどんなに些細な結果であっても面白いな、と感じたのが研究に“はまった”きっかけです。

今、お読みの本を教えてください

「宇宙創成」サイモン・シン
「ヒストリエ」岩明均

趣味

スキー、読書、しっぽくうどん巡り

発表論文のURL

 https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2018850118

米国科学アカデミー紀要(PNAS), 118, e2018850118 (2021)
Ras-like Gem GTPase induced by Npas4 promotes activity-dependent neuronal tolerance for ischemic stroke. Takahashi H, Asahina R, Fujioka M, Matsui TK, Kato S, Mori E, Hioki H, Yamamoto T, Kobayashi K, Tsuboi A