学長閑話(メールマガジン第206号 2016.02)

過日NHKの番組で、10~20年後には、人工知能やロボット技術が進歩して、仮に600余の仕事を挙げるとその内235の仕事がそれらにとって代わられ、人が直接携わる仕事の種類が大きく減じるというレポートがあった。一例として受付業務、案内係、レジ係、警備員、タクシー運転手などが挙げられていた。一方、温かい人間関係を構築しなくては成り立たない職種、例えば医師、教師、研究者、経営コンサルタント、グラフィックデザイナーなどはこれからも人の役割は重要で、その意味でも若い人材育成の方向性をよく考える必要があるという主旨であった。

私は、無機的な知能や力仕事は、素晴らしい発展を遂げている科学の成果にゆだねても良いが、来るべき時代こそあらゆる学修の場で人生経験した若者の出番が大きいであろうと予測している。終日、人工知能やロボットに追いたてられ、最先端技術で縛られる日々を考えるとぞっとする。

昔、チャップリンの『モダン・タイムス』という、人間が機械文明に支配される未来に対して警鐘を鳴らした映画があったが、そのような世界の実現が加速しているように見える。若者は社会の急速な変貌をしっかり見つめて、自分を人として磨きあげる学修を、本学でしっかりしていただきたいと思うのである。それが大学で時間を過ごすという事だろう。
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学長閑話(メールマガジン第205号 2016.01)

昨年末、40年前に米国シカゴの病院で指導をいただいた85歳になる恩師からクリスマス・年始のカードを頂いた。特徴ある自筆のカードを拝見し、師が背中を丸めて私への想いを書いている姿が鮮明に思いおこされ、いつまでもお健やかにと願った。一枚のカードであるが、留学初日、寒風吹きすさぶ氷点下15度のオヘア空港に降り立った情景、人でごった返し騒然としていた病院(TVで“ER”として放映されている)の状況、会話力不足による悔しい思い出、苦労して3篇の論文を国際誌に発表出来た時の喜び、仲間たちとの楽しい飲み会など走馬灯のように懐かしく思い出された。かくのごとく、一枚の直筆カードが過去の様々の出来事にいざなってくれる。

最近では友人との交流にスマホやラインが使われており、それはそれで便利であるが、いわゆるフェース・ツー・フェースでないため希薄でバーチャルな友達の世界が展開され、それ故の有害事象が時にメディアを騒がせている。

若者諸君、時には自筆で想いのこもった手紙・カードを身近な特別の人に送ってはいかがか。諸君の人柄を反映した配慮に、新たな温かい人間関係が展開されると思うのだが・・・
 学長閑話2016.01

学長閑話(メールマガジン第204号 2015.12)

2015年も、はや残すところわずかとなり、街ではクリスマスセールとか忘年会の声が聞こえる。幸町のキャンパスを闊歩する学生も減り、快活な話し声も少なくなった。この1年を想い、新たな年を期して火をともす。

今年も噴火、地震、局地豪雨、夏の異常酷暑などなど、自然の変調がひとの生活に色濃く影を落としている。一方、かの地では無差別テロや航空機爆破等、まさに戦争状態が続いている。そのような中、日本の香川の大学で、時間を過ごす事を、今一度考えていただきたい。

“上を向いたらきりがない、下を見たら後がない”の言葉通り、香川大学のキャンパスで過ごす幸せを、構成員は感じているだろうか?恐らく多くの方々が何らかの心の屈託をもっていると思うが、大災害、飢餓やテロ、伝染病も無く、安全な水道水とおいしい食事、そして世界の宝石と言われる瀬戸内海に抱かれたこの香川大学で過ごす時間に恵まれたことを、感謝しなければいけないと思う。

日常生活上の問題や心の葛藤が些細なものに思えるのは、私だけだろうか?何か大切なものを忘れていないか。

年末を迎えるにあたり、学生・教職員のご健勝を切に祈る。
 学長閑話2015.12

学長閑話(メールマガジン第203号 2015.11)

今夏、中国・天津農学院において2年ごとに開催される本学への留学生OBの同窓会(香川大学帰国留学生ネットワーク中国支部総会)が開かれた。
全学部の卒業生が集うため、現在あらゆる分野で活躍中の卒業生に会うことができる。私は2回目の参加であったが、約50名が集い、それぞれの方の活躍状況と本学からは大学の現状、そして、農学部及び医学部におけるグローバル人材育成の方針などが発表され、意見交換がなされた。

今回の訪問で特に印象に残ったのは、農学部名誉教授の楠谷彰人先生が、今も定期的に天津に渡り、中国全土を対象にした米の品種改良に取り組んでおられる事である。元留学生で留学生会会長でもあるお弟子さんの崔教授と長年コンビを組まれ、いかに中国の米を美味しく品質改良するか、その共同研究等についての苦労話をお聞きした。師弟相互の信頼関係の中で、香川大学での研究成果が国境を越えて継続実現されている事に、深く感銘を受けた。

本学の留学生が学修や研究を深め、母国において社会貢献されることを期待して、天津を後にしたのであった。
 

学長閑話(メールマガジン第202号 2015.10)

これまでは外国留学について、大学内での学修では得られない点に焦点を合わせ書いてきた。

そこで今度は、現在諸君が毎日の生活を送っている香川県内・外での学修やフィールドワークについて考えてみたい。

人は一人では生活していけない。学生の時に地域に出て、その社会で生活している方々と交流したり、地域の持つ悩みや問題を意識することは、将来、自分の生きる場を探し求める際に大変貴重な経験になると思う。地域の問題解決に少しでも自分が関与し、そこに住んでいる方々の刺激となり新たな活力が生まれるとするならば、こんなすばらしい双方向の学修はないと思う。

学生支援プロジェクトの発表の際にも言っていることであるが、成功例よりも、むしろ自分らの思いどおりに運ばなかった例の方が多いはずである。それが、社会の一筋縄ではいかない複雑性や地域特性なのだ。

学生の間には自分らの発想や情熱でぶつかってみるだけでも良い。ただ、社会は常に矛盾に満ち生活している人それぞれの思惑が複雑に絡み、如何に解を得るには困難であるか実感しただけでも、座学にない大きな学修なのだ。
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学長閑話(メールマガジン第201号 2015.08)

これまで外国留学によって学生がいかに視野を広げ新しい価値観を得て、自身が成長し、他者に影響を与えるのか私の期待も含めて書いてきた。
 
留学するという事は、もう一つ重要な側面を持つと思う。それは日本のここ香川の地で毎日生活し学修していた環境を、外から改めて見直す機会を与えられるという事である。例えば、生命の維持に欠かせない“水”一つをとってみても、東南アジアでは飲用に適さないのが普通であり、水道水をそのまま美味しく飲めるという事に感動すら覚えるはずである。アメリカの水は場所にもよるが、硬水で沸かすと表面に薄い膜が浮かび味も日本のそれではない。このほかにも、高い公共安全、正確で整然とした主要交通機関、快適な住環境、世界で認められたおいしい日本食等、いくらでも挙げることができる。そして、よく言われている日本人の他者をいたわり、思いやる精神、物事に正確で几帳面、完璧を期す心等・・、外国の方々がうらやむ精神性が育まれ受け継がれている事にも気付かされるであろう。
 
すなわち、意識しなかったわが郷土に思いをはせる機会になり、この日本を見直し、より良い国へと思いが至ると思うのである。
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学長閑話(メールマガジン第200号 2015.07)

最近、本学の支援で米国カリフォルニア州立大学フラトン校へ約1年間留学していた学生3名と、これから留学する学生2名、指導教員との懇談会があった。まず、全員無事に大きく育って帰って来てくれた事を祝福したい。すんなり現地に溶け込めた学生と、ある程度時間を要した学生がいたようであるが、留学先での学修については、ほぼ満足できる結果が出せたようだ。私が経験した40年前の米国留学の雰囲気とは全く異なり、ITが進展したグローバル社会では国境の垣根も随分低くなり、学生らにとってはちょっとお隣に行く感覚であったかもしれない。私の頃は病気もせず無事帰国したら成功と言われ、実績は二の次であった。

懇談の中で、友人を作る大切さに話しが及んだが、国際寮やホームステイの生活の中で、多くの国の友人が出来、交際の輪が広がっている事を聞き、正に大学の外で学ぶ貴重な経験が出来たと喜んでいる。留学経験者には、後輩に多くの情報を本音で発信して欲しい。留学事情は昔とは変わったというのが、率直な感想である。
学生と懇談する学長

学長閑話(メールマガジン第199号 2015.06)

大学と社会との関係がこれだけ密接になった現在において、大学での修学は勿論 であるが、学外に出て学ぶことの重要性は皆さん誰もが認めるところであろう。

最近の本学メールマガジンに、大学からの支援により約1年間の予定で米国やブ ルネイに留学していた学生諸君からのメッセージが掲載されている。皆それぞれの 苦労話や気づきについて報告されており、私も約40年前、米国シカゴ市の病院に2年余留学した経験があるため、感慨深く読ませていただいた。ビジターではなく 一定期間全く生活環境が異なる所での日々がどれだけ心身の負担になり、それを乗 り越えるのに苦労したか、言葉では言い尽くせないであろう。特に、日本人的心が すんなりと理解されないジレンマには、私も随分悩んだ。しかし、私の経験から、 住環境・言語・食事・習慣・価値観の異なる多民族の中で生活すること自体が、将 来への大きな財産となって人生を豊かで幅広いものにしてくれると思う。

今年度末(2月頃)には、中国への留学生も帰国予定であり、成長とともに本音 を聞くのを楽しみにしている。そして、後に続く後輩へ熱いメッセージを送って欲 しいものである。
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学長閑話(メルマガ第198号 2015.05)

5月に入り、まさに風薫る季節になった。多くの学生が構内を闊歩し、若いはじけた会話や歓声が聞こえる。新入生とおぼしき一団が新しい友人と肩を並べて何か話に夢中になっている。毎年、この季節を迎えると彼らのエネルギーに力づけられる。新入生と語る会も、もうすぐ始めよう。今年はどのような学生たちが学長室を訪れてくれるか、楽しみにしている。

なぜかこの時期になると、時間の経過とは逆に、私の学生時代のさまざまな思い出が鮮明に蘇る。不思議である。現在と比し社会全般に余裕が感じられた時代であったと思うが、今在る私を決定づける出来事もあった。

キャンパス内での学生の様子

若者には、最も感受性の強いこの時期に、自ら考えて、将来に生かすための時間を費やす工夫をして欲しい。本学での学修はもちろんのこと、一生心に残る、よき友・師・先輩・地域の人々との交流、スポーツ・芸能・会話力の腕を磨く、社会に出て自分のありかを探す、人生の道しるべとなる本に出会うのもよし等々である。

若さそれ自体が人生に二度とない時間であり、私にはどうにもならない眩い存在である。

学長閑話(メルマガ第197号 2015.04)

私の窓から外を見ると、木々新芽は勢いよく天に向かって伸び、桜も満開となり春の到来を肌に感じる。桜は過去の様々な出来事を思い出させる。私の時代の入試の合否は、電報で“サクラサクあるいはサクラチル”であった。サクラ・・・は一生を左右する一言であったように、入学式、退職時、青春のほろ苦い思い出などヒトそれぞれに思い入れがあろう。久方ぶりに郷里に帰った芭蕉も“さまざまのことを思い出す桜哉”と詠んでおり、日本人の心情に最もふさわしい花と思う。元特攻隊基地であった鹿児島の知覧特攻平和会館に行くと、桜花に寄せて家族や恋人にせつせつと死に向かいゆく心情がつづられた手紙の数々が展示されている。二十歳前後の若者が片道切符の死出の旅路に赴く無念悔しさに思いをはせ涙なくして読めない。一週間くらいで潔く散りゆく桜は日本人の心底にながれる仏教の“無”に通じるのかもしれない。翻って日常を振り返ると諸事多難その様な心持ちには程遠い作業の繰り返しである。“全ては後輩のために”とまた机に向かうのである。

キャンパスの風景 桜

他年度のメッセージ