筧 善行 × 植村 友香子(インターナショナルオフィス 特命講師)
special interview
― 人とつながることで世界は広がる ―

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問題意識の共有があれば
国境を越えつながりあえる
研究の世界では、異文化コミュニケーションが当たり前。
同じジレンマを抱えた者同士なら、たとえ言葉は拙くても対等に議論し合うことができる。

言語から見えてくる民族アイデンティティ

  ゆっくりお話しするのは初めてですね。2017年5月に香川大学に来てくださって、私が学長になったのが10月でした。フィンランドには行ったことがないのですが、先生は長くお住まいだったとか。

植村
 2013年に帰国するまで、約20年フィンランドの首都ヘルシンキにいました。私がお茶の水女子大学の大学院に入った頃は、政府が留学生10万人計画を唱えた時代で、色々な大学に日本語教員養成課程が設置されました。国際交流基金には日本語教育の専門家を海外の大学に派遣するという事業があるのですが、先生に勧められて応募したところ採用されたため、国際交流基金と契約を結びヘルシンキへ派遣されたのがきっかけです。4年間ヘルシンキ大学で日本語を教えて、国際交流基金が派遣を終了する際に一度フィンランドを離れました。その後、ヘルシンキ大学が独自に日本語講師職を設けることになったため応募したらどうかと教え子に言われて、あらためて応募しました。

  つい先日、サンナ・マリンさんという34歳の女性がフィンランドの首相になられましたね。しかも連立与党の党首も全員女性、一人を除いて全員30代だという。非常に画期的ですが、そういうお国柄なんですか?

植村 ヒエラルキー意識が低いのは感じます。相手の立場に忖度して、言わなければならないことを飲み込むカルチャーはあまりないですね。フィンランド人は、一般的なヨーロッパ人のイメージとは少し違います。言語的にも、英語・スペイン語・ドイツ語・フランス語・ロシア語などはインド=ヨーロッパ語族なんですが、フィンランド語はフィン=ウゴル語族という別の系統。ヨーロッパの人たちは、自国の言葉が失われることに心理的な抵抗が強いと感じることがあります。独自の言語を話しているというのは、彼らのアイデンティティの一つになっているのではないでしょうか。

  EUの時代になってもそういう気持ちは残っているんだ。

植村 そこがヨーロッパの面白いところだと、行ってみて感じるようになりました。違う個性を持った民族が、さまざまなあつれきや紛争を抱えながら、何とか一緒にやっていこう、新しい価値を生み出していこうとしてるんです。

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薄まる男女のボーダーライン学生は女子の方が元気

植村 ヨーロッパでは、いわゆる研究を行う大学と、研究成果を応用してビジネスに活かす大学が異なります。ヘルシンキ大学はオーソドックスな研究寄りの大学でした。

  国策としてそういう大学が必要だと考えているんですね。マリン首相も、そのコンセプトを変えないで続けられるのでしょうか。

植村 彼女自身もいわゆるエリート階級の人ではないですし、お母さまのパートナーが女性という性的マイノリティの家庭に育ったんですよ。それがもとになって、人はみんな平等でなくてはいけない、いろんな考え方・生き方が許容されるべきだという価値観が生まれたそうです。

  性的マイノリティといえば、先生の母校お茶の水女子大学がLGBTの入学を認める大決断をしましたね。今は男女というボーダーライン自体がなくなりつつあります。この決断には、大学の方からボーダーラインを消しに行ったという、とても大きな意味があると思います。

植村 生物学的ではなく社会的な性差、ジェンダーは厳然としてありますよね。私が女子大でよかったなと思うのは、男子に忖度し特別扱いする文化がなかったことです。全部女子だけでやるしかないから、求められることが男子と同じレベルでした。女子大出身者は、本当の意味での男女差別をわかっていないままかもしれないですね。でも私自身が女子大で教育を受けられたのはよかったと思います。

  香川大学の旧工学部は逆に女子の比率が非常に少なく、それが独特の学部の雰囲気をつくってしまっていました。新しい創造工学部では女子も興味を持てるようコースをつくって、雰囲気が変わったと教員も言っています。学内で開催するチャレンジ系のコンテストも、今は圧倒的に女子の方がトライしてきますよ。日本の未来図を見ているような…もうちょっと男の子頑張れよとも思うんだけど。執行部も、教育研究評議会という大学の最高議決機関に、人文社会科学系と自然生命科学系から一人ずつ女性が参加してくださる予定です。忖度しがちなこともバシバシ言えるカルチャーにしてしまえと努力しているつもりです。

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国内にもある異文化交流が相互の刺激に

  生まれは香川だと伺いましたが、ヘルシンキとはあまりにも違いますよね。

植村 フィンランドってヨーロッパの中では周縁部に属するところなんです。日本くらいの国土があり、東側はロシアと国境線を接している国で、約500万の人たちが、世界のさまざまなランキングで上位に入ることをやっている。それを経験したので、香川が小さくて中心から外れているのは必ずしもマイナスではないし、「できない」理由にはならないことを実感しています。心理的には「田舎やし…」みたいなのが私の中にもずっとありましたが、それは違うなって。

  大変重要な観点です。外の世界を見たから思えることでもあるでしょうね。香川県で育った若者が県内大学に進学する割合は20%以下で、四国でもかなり少ない状況です。でも、それは悪い面ばかりではなくて、外の世界を見る良さもあると思うんです。本学に入ってきてくれる地元の学生たちにとっては、首都圏の学生との対流促進事業が意味を持つと思う。全く異なる環境で育った人たちとふれあうのはお互いに良い経験になるのではないでしょうか。 

植村 異文化というとすぐ外国を考えますけど、実は日本の中にも、世代とか育った環境とか、大きな異文化があるんですよね。首都圏だけを見て、それが日本だと首都圏の学生に思ってほしくない。日本はもっと多様性に富んでいます。四国の場合は四国霊場もあり、いわゆる近代的な科学だけではないものを抱えて生きてきた風土がありますから。

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日本の初等教育は日本の強みでもある

筧  最近、考えていると鬱々としてくるのが、地球環境の悪化です。小学生の頃に感じていた日差しとは明らかに違う。紫外線も強くなっているし、特にこの数年は世界中で大洪水が起こって、日本でも甚大な災害が増えてきました。若者の間では、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんの活動がムーブメントになっていますね。環境問題にせよ女性の進出にせよ、これから進むべき社会の最先端を切っているのはヨーロッパなのでしょう。

植村 高等教育では日本のリーダーにとどまらずグローバルな視点を持つ若者を育てていくべきですが、国がそういう状況の中、それだけの気概を持つことができるのかが、われわれに突き付けられている課題ですね。

  中国では、英語教育、人工知能教育、プログラミング教育などははるかに進んでいるようです。日本も危機感にかられて小学校から英語やプログラミングを教えると言い出してるけど、中国の教育熱心なお母さんたちが視察に来て一番驚くのは、日本の初等教育なんですよ。非常に統制がとれていて、掃除や給食の時間は自分たちで動く。お寺に行けばきちんと靴をそろえて上がるし、プレゼント交換では手作りの品を渡すから、中国の子は感激して泣いちゃったりしてね。そういう日本の初等教育は明治以降、ひょっとしたら江戸からずっとやっていたことで、それは多分日本の強みなんです。DNAとして受け継がれているしっかりした初等教育を、焦って捨てることはないと思います。

植村 マリン首相が小学生の女の子からインタビューを受けている動画で、「一番感謝してることは?」という質問に対してすぐに「フィンランドに生まれたこと」と答えていて。フィンランドに生まれたおかげで福祉社会に育ち、いい教育を受けることができた、という言葉に子どもたちも深くうなずいていたんです。フィンランドのいいところといえば、自然が豊かなこと。何時間も車に乗って行く山ではなく、家のすぐ裏に森があったりする。そういう日常の中で培われる感性が、世界に誇る良質な教育の基礎になっています。プログラミングも英語も大事ですけど、それはしっかり築かれた感性があれば後からでもついてくるもの。裏打ちがない教育が果たして何をもたらすのか、すごく考えますね。

  香川大学に新しくできた総合教育棟の向こうに峰山が見えていますが、あれは大学にとって大きな資産ですよ。ここで峰山に抱かれて学ぶ※DRI教育と、排気ガスだらけのところで考えるDRI教育は当然違ってくる。グローバル教育やデータサイエンス教育はどこの大学にも求められていますが、これからの香川大学はあえてヒューマニティー中心でいきたい。それが結局は日本を助けるんじゃないかと。

植村 私は小学校から国立大学まで、一貫して日本の公教育で育ったんです。ヘルシンキ大学のような多国籍な場所へ入って、もちろん知らないことはたくさんありますが、自分が見劣りするとか、気後れするとか感じたことはまったくないんですよ。少なくとも私が育った時代の日本の公教育とは、そういうものであったと思います。ビジネスと切り離せる高等教育機関としての国立大学は、中等・初等教育を牽引していく灯台のような存在であってほしいと思っています。

  日本の伝統的な初等教育によるボトムアップの部分もありそうですよ。日本の大学は空洞化しているという厳しい批判はありますが、日本の初等・中等教育が優れていて、周囲の優れた人たちの影響を知らず知らずのうちに受けたからこそ、われわれは今全く気後れせずにやれているわけですから。

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大学生たちはもっと社会に関心を

植村 私がヘルシンキ大学で所属していた「アジア・アフリカ言語学科」は当初、非ヨーロッパの言語学科としてひとくくりにされていました。それが途中で改組されて「世界文化学科」になりました。フィンランドでアジアやアフリカ、中東などを研究する人はあまりいません。そうなるとどの先生も、自分の研究コミュニティは外国に求めるしかない。だから普通に外国に行くし、外国の研究者を呼んで講義をしてもらったりします。私の同僚は中国・韓国・トルコ人で、上司の日本研究者はエストニア人でした。フィンランド人でも旦那さんがエジプト人だとか、子どもの時ケニアで育ったとか、複数の言語を操って仕事をするのが当たり前の環境でした。それがグローバルであり、単に英語が使えるということとは本質的に全く異なります。
大学は研究を行い、その成果をもとに教育も行うところで、研究は何語であろうと基本的に世界に開かれていますから、大学そのものが非常にグローバルなコミュニティであると考えています。

  医学における共同研究も、世界各地で同じジレンマ、クリニカルクエスチョンと僕らは言いますが、それを共有しているから行えるんですよ。僕の研究テーマは「前立腺がんの過剰治療」です。ある診断方法が普及して早期発見が増えたのですが、過剰に治療される人が世界中に出てきました。当時の日本は医療報酬制度が出来高なので、僕のように「見つかっても治療しなくてもいい」なんていう学者は、当初ずいぶん嫌な顔をされました。でもヨーロッパ、特にオランダの先生方は反応が早かった。イギリスやカナダ、アメリカの先生が加わって、あっという間にグローバルな研究者集団ができたんです。たどたどしい英語でも、臨床的疑問が共有されているので、議論も研究も成立するわけです。
香川大学の場合、インターナショナルオフィス長の德田先生や植村先生のご発案でイングリッシュ・カフェの名称が「グローバル・カフェ」に変わったことは、象徴的です。共通言語が英語なのは変わらないでしょうが、名称にはそれを超えた理念的な意味があるのでは。

植村 その通りです。世界はそもそも昔から多文化共生の場でした。「英語ができればちょっとおしゃれで、国際的で、それがグローバル」とは全然違うということを、学生には若いうちに感じてほしいですね。

  今の大学生がヨーロッパの若者たちとあまりにも違うことにも、僕は危機感を持っています。初等教育に良い面があると言いましたが、実は決定的に弱い面もあって、日本の大学生はあまりにも社会に目を向けていない。社会に対して関心も興味もない。アジア人だから、とかいう問題ではないことは、香港を見ればわかります。
日本では投票権が18歳に引き下げられましたが、大学生の投票率が一番低い。本学では法学部生が頑張って期日前投票の学内投票所をつくってくれていますが、学生はほとんど行ってないんじゃないかな。法学部の先生とも相談して、あそこに多くの学生が投票に来るようにできれば…と考えているんです。

植村 国レベルの思考停止状態は危険ですよね。先ほどお話したマリン首相へのインタビュー動画の中で女の子が「どうして選挙や投票は大事なんですか」と訊いて、マリン首相は「投票は権利だし、投票によって自分たちの考えを社会に反映させることができるのは非常に大切」と答えていました。我々の国は民主主義の国で、投票は一人一人が持っている大切な力なのだということを、今の日本は子どもに言えないのかもしれない。そんな中で地方の小さい場所であること、中心にいないことを、むしろ強みに変えていく戦略と発想が必要ではないでしょうか。

周縁部に位置することは
必ずしもマイナスではない
ヨーロッパの中心からは外れたフィンランドが、さまざまな分野で世界をリードしている。
四国・香川も、日本の周縁だからといって「できない」理由にはならないんじゃないか。

 

筧 善行 Kakehi Yoshiyuki
京都府京都市出身。
京都大学大学院医学研究科博士課程修了(1989) 香川大学医学部附属病院副病院長、香川大学理事・副学長を経て、2017年10月より現職。専門は泌尿器科学。

植村 友香子 Uemura Yukako
香川県高松市出身。
お茶の水女子大学大学院修士課程日本文学専攻修了(1991)・日本言語文化専攻修了(1993) ヘルシンキ大学日本語講師、岡山大学講師を経て、2017年より現職。