1.発表のポイント:
◆日本人の疫学ビッグデータを解析し、がん患者においても日本の高血圧診断基準(収縮期血圧140mmHg以上または拡張期血圧90 mmHg以上)よりも低い軽度高血圧の段階から心不全発症のリスクが上昇することを明らかにしました。
◆今回の研究は、がん患者において、血圧上昇が心不全などの心血管イベント発症リスクと関連することを報告した世界初の大規模疫学研究です。
◆高血圧が、がん患者の予後にどの程度影響を及ぼすのか不明でしたが、本研究によって、がんがある患者においても、適切な血圧コントロールが重要であることが示唆されました。

2.発表概要: 
がん治療の進歩により、がん患者の生存期間が延長したことで、慢性期に発症する心血管イベント、とりわけ心不全(注1)が臨床的に大きな課題となり“腫瘍循環器学”(注2)という新たな学問領域として注目を集めています。高血圧(注3)は、一般人における心血管イベント発症の主要な危険因子であり、がん患者においても高頻度に合併することが知られています。しかし、がん患者における高血圧が心血管イベント発症と関連するのか、これまで明らかにされていませんでした。
この度、東京大学の小室一成教授、金子英弘特任講師、佐賀大学の野出孝一主任教授、香川大学の西山成教授、滋賀医科大学の矢野裕一朗教授らの研究グループは、日本の大規模な疫学データベースを解析することで、がん患者において、血圧が高いことは心不全などの心血管イベント発症と関連することを明らかにしました。本研究の成果は、血圧管理を通じてがん患者の予後が改善しうる可能性を示唆し、腫瘍循環器学という新しい分野の発展に貢献することが期待されます。なお本研究は、厚生労働行政推進調査事業費補助金(政策科学総合研究事業(政策科学推進研究事業))「診療現場の実態に即した医療ビッグデータ(NDB等)を利活用できる人材育成促進に資するための研究」(課題番号:21AA2007、研究代表者:康永秀生)の支援により行われ、日本時間9月9日に米国科学誌Journal of Clinical Oncologyに掲載されます。

3.発表内容:
(1)研究の背景
一般人において、高血圧と心不全などの心血管イベントの関連は広く知られています。本研究グループは、日本人においては、高血圧診断基準(140/90mmHg以上)より低い軽度高血圧の段階から心不全や心房細動の発症リスクが上昇することを2021年に報告しています(Circulation. 2021 Jun 8;143(23):2244-2253.)。
分子標的療法などの治療の進歩によってがん患者の治療成績は年々向上しています。それに伴って、がん患者が治療経過中に心血管イベントを発症することが臨床的に大きな問題となり、腫瘍循環器学という新たな診療・研究領域として大きな注目を集めています。
高血圧は、がん患者においても高頻度に認められる併存症です。例えば、いくつかの抗がん剤は、副作用として高血圧を高頻度に引き起こすことが報告されています。しかし、がん患者における高血圧と心血管イベント発症リスクの関連は、検討例が極めて少ないのが現状でした。一方、がん患者の臨床においては、むしろ血圧低下(例 食欲不振にともなう脱水)が問題となることも多いため、高血圧については積極的な治療が行われない場面もあったと考えられます。
そこで、本研究グループは、国内で最大規模の健診・レセプトデータベースであるJMDC Claims Database(注4)に登録された症例を対象に、がん患者における高血圧と心血管イベント発症リスクの関連を検証しました。

(2)研究の内容
本研究では、2005年1月から2020年4月までにJMDC Claims Databaseに登録され、日本人における主要ながん発症部位である乳がん、大腸直腸がん、胃がんの既往を有する33,991症例(年齢中央値53歳、34%が男性)を解析対象としました。
平均観察期間2.6±2.2年の間に779症例で心不全の発症が記録されました。米国ガイドラインに準じて分類した正常血圧(収縮期血圧120mmHg未満かつ拡張期血圧80mmHg未満)と比較して、心不全のリスクは、ステージ1高血圧(収縮期血圧130-139mmHgあるいは拡張期血圧80-89mmHg)でハザード比(注5)1.24、ステージ2 高血圧(収縮血圧140mmHg以上あるいは拡張期血圧90mmHg以上)で1.99と用量依存的に上昇しました(図1)。
血圧上昇に伴う疾病発症リスクの上昇は、心不全以外の心血管イベント(心筋梗塞、狭心症、脳卒中、心房細動)においても認められました。また、高血圧と心不全リスク上昇の関係は、化学療法など積極的ながん治療を行っている症例(治療中の症例)においても認められました。わが国のデータベースから得られたこの結果は、韓国の全国規模の疫学データベースでも追認されました。

(3)社会的意義と今後の予定
本研究は、観察研究を用いて関連性を示したものであり、因果関係を示す研究結果ではありません。しかし、本研究を通して、がん患者においても血圧上昇に伴って心不全などの心血管イベント発症リスクが上昇することが示されました。とりわけ日本の高血圧診断基準(140/90mmHg以上)よりも低い段階から心不全のリスクが上昇したこと、積極的ながん治療中の症例でも、そのような関連性を確認できたことは、たとえがん治療中の患者であっても血圧の管理が重要であることを示すものであり、現在、活発に研究が進んでいる腫瘍循環器学においてとても重要な知見となります。今後の研究で、がん患者における適切な高血圧の治療指針を構築していくことが求められます。

4.発表雑誌

雑誌名:Journal of Clinical Oncology(オンライン版:9月8日 ※現地時間)

論文タイトル:Blood Pressure Classification Using the 2017 ACC/AHA Guideline and Heart Failure In 33,991 Cancer Patients

著者:Hidehiro Kaneko,* Yuichiro Yano, Hokyou Lee, Hyeok-Hee Lee, Akira Okada, Yuta Suzuki, Hidetaka Itoh, Satoshi Matsuoka, Katsuhito Fujiu, Nobuaki Michihata, Taisuke Jo, Norifumi Takeda, Hiroyuki Morita, Akira Nishiyama, Koichi Node, Hyeon Chang Kim, Hideo Yasunaga, Issei Komuro MD1 (*責任著者)

5.発表者:
小室 一成 (東京大学大学院医学系研究科 循環器内科学
                /東京大学医学部附属病院 循環器内科 教授)
金子 英弘 (東京大学大学院医学系研究科 先進循環器病学講座 特任講師)
康永 秀生 (東京大学大学院医学系研究科 臨床疫学・経済学 教授)
森田 啓行 (東京大学大学院医学系研究科 循環器内科学
                /東京大学医学部附属病院 循環器内科 講師)
藤生 克仁 (東京大学大学院医学系研究科 先進循環器病学講座 特任准教授)
野出 孝一 (佐賀大学医学部 循環器内科 主任教授)
西山 成  (香川大学医学部 薬理学 教授)
矢野 裕一朗(滋賀医科大学 NCD疫学研究センター 教授)

6.注意事項:
日本時間9月9日(金)午前6時(米国東部標準時(EST):8日(木)午後4時)以前の公表は禁じられています。

7.問い合わせ先: 
<研究内容に関するお問い合わせ先>
東京大学大学院医学系研究科 先進循環器病学講座
(医学部附属病院内)
特任講師 金子 英弘(かねこ ひでひろ)

<取材に関するお問い合わせ先>
東京大学医学部附属病院 パブリック・リレーションセンター
担当:渡部、小岩井
TEL:03-5800-9188(直通)
E-mail:pr@adm.h.u-tokyo.ac.jp

佐賀大学広報室
担当:永溪、松永、川島
TEL:0952-28-8153(直通) 
E-mail:sagakoho@mail.admin.saga-u.ac.jp

香川大学医学部総務課 広報法規・国際係
TEL:087-891-2008
E-mail:kouhou-m@kagawa-u.ac.jp

滋賀医科大学 総務企画課広報係
担当:岩品・上嶋
TEL:077-548-2012(直通) 
Email:hqkouhou@belle.shiga-med.ac.jp

8.用語解説:
(注1)心不全:
心不全とは、心臓の機能が低下することで息切れやむくみが生じ、寿命を縮める病気です。
心不全の原因はさまざまですが、生活習慣病の増加や急速に進む社会の高齢化の影響で、心不全の患者数は増え続け、国内においてもすでに100万人の患者が存在し、2030年代には心不全の患者数は130万人にも達するといわれています。

(注2)腫瘍循環器学:
 腫瘍(がん)と循環器病(心臓病や脳卒中、血栓症)がオーバーラップした領域を取り扱う新しい研究領域です。抗がん剤による心毒性やがん患者における血栓症、がんと循環器病に共通したリスク因子(Shared Risk Factor)、がんサバイバーの慢性期における循環器病発症予防など多岐にわたる領域が新たな学問分野、診療分野として注目を集めています。国内では2017年に本分野を専門とする日本腫瘍循環器学会が設立されました。

(注3)高血圧:
高血圧は、持続的に血圧が上昇する病態のことで、その結果、心臓や大動脈、脳、腎臓、眼
底などさまざまな臓器に障害を引き起こします。一般的には、塩分過多や肥満などが原因となりますが、特殊なホルモン異常が原因となることもあります。収縮期血圧140mmHg以上あるいは拡張期血圧90mmHg以上で、高血圧と診断することが一般的です。国内において4,000万人を超える患者が存在すると推計されています。

(注4)JMDC Claims Database:
株式会社JMDCが提供する国内で最大規模の健診・レセプトデータベースで、主に中規模
以上の企業に勤務するビジネスマンとその家族の健康診断や保険レセプトの情報が統合されています。

(注5)ハザード比: 
ハザード比とは、相対的な危険度を統計学的に比較する方法です。ハザード比が1を超えている場合は、コントロール群よりも比較対象とされた群のリスクが高いことを示しています。今回の研究では、正常血圧群をコントロール群とした場合、ステージ1高血圧やステージ2高血圧の心不全発症リスクに対するハザード比は1を超えています。したがって、正常血圧群よりもステージ1やステージ2高血圧の方が心不全の発症リスクが高いと解釈できます。

9.添付資料医大プレス添付グラフ2_2.JPG

図1:正常血圧群をコントロール群とした場合の
各血圧カテゴリーの心不全発症リスクに対するハザード比