SPECIAL TALK SESSION
筧 善行(香川大学長)×李セロン助教×小谷さん×川池総務課長

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「愛される」大学づくりには、学生目線が不可欠
まず自己紹介をしましょうか。川池さんは現在、本学の総務課長ですが、その前はIT系の企業に勤めておられたとか。
川池関西のIT企業に3年ほど勤めました。私が卒業した頃は超就職氷河期かつITバブル期で、経済学部卒だったのでITリテラシーは就職してから身につけたものです。関西や東京で、本学でも採用実績がある会計システムの導入に携わったりしていましたが、いつかは故郷の香川に帰ろうと決めていました。28歳で会社をやめて、地元でどんな仕事をしようか考えた時、そういえば大学のことは学生の時しか知らないし、香川で腰を据えて働くなら香川大がいいなと。
私は国立ソウル科学大学在学中に1年間を日本語の勉強に費やし、3年生の時に交換留学生として北海道の室蘭工業大学で1年過ごしました。いったん韓国に戻りましたが、もうちょっと勉強したいなと思って、再び室蘭工業大学で修士から博士研究員まで7年ほどを過ごし、香川大に来るまでは島根の松江工業高等専門学校で教えていました。韓国でも理系女子は珍しく、私の代も工学部約70人の中で女性は6人、博士課程まで終えたのは私だけ。よく「変わってるね」って言われます。
小谷私は医学部看護学科4年生ですが、大学でやりたいことがまだまだあるのに大学生活が足りない!と思って、今年4月からポジティブ休学中です。
川池さんは転職、セロン先生は日本語の勉強のため、それぞれポジティブに「人生の寄り道」を決断されていますし、自分の在り方を見極めるチャンスではないでしょうか。目の前の階段を着々と上っていくばかりだと、気が付いたら階段を上ることそのものが目的になってしまいがち。休学という、ある意味で宙ぶらりんな状態はスリリングでもあると思うけど、きっと小谷さんにとって良い糧になると思いますよ。
川池私が寄り道した1年も、それなりに楽しく過ごしていましたし、何にも縛られない時期が一生のうちにあってもいいんじゃないでしょうか。

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挑戦できる場所がここにはある!
今回のテーマは『教職学協働』です。「きょうどう」には「共同」「協同」「協働」の3種類があり、ここでいう協働とは、それぞれの得意分野や技を寄せ集めて一つの目標に向かうことを指します。協働において一番大事なのは「何を目指すか」ですが、皆さんは今、それぞれの立場で何を目指していますか?
川池縁の下の力持ち的な総務課として、香川大を学内外の人に「好きになってもらう」のが私の使命だと思っています。そのために何をするかが、すべてにつながってくるのでは。
立場は違えど、ほぼ僕と同じことを考えていらっしゃる。突き詰めれば、周囲には大学を好きになってもらい、内部で働く人には楽しく過ごせる場所でありたい、に尽きますね。小谷さんは看護職を目指して看護学科に入学した学生として、どう思っていますか?
小谷医学部はちょっと専門学校みたいなイメージがあって、入学当初は正直ギャップを感じていました。でも、幸町キャンパスでいろんな活動に携わり、看護学科生がこんなに役立てるんだ!と気づくにつれて、そのギャップは狭まっています。私は香川大の応援団長を自称して『にもにも』というYouTubeチャンネルを運営しています。テーマは「一歩踏み出すきっかけをあなたにも」。私にもできるかな…と思っている人の背中を「あなたにもできる」と押して、香川大に来てよかった!という人たちを増やしたい。教職学協働も、私からすると「まさにそれだ!」って思いました。
1年生の時にあなたが医学部看護学科代表としてシンポジウムに出て、「スーパースターになりたい」と発言したことをよく覚えていますよ。自分で殻を破って、ちゃんと成長してきたんですね、大したものだ。セロン先生はソウルの一流大学から本学に来られて、いかがですか。
韓国は完全に学歴社会で受験戦争が激しく、高校では部活もさせてくれません。大学に入っても日本と違って相対評価なので、熾烈な競争が続きます。そんな大学時代、初めて日本に来た時、授業中にゲームで遊ぶ大学生を見て「ここには個人の意志で選択できる自由な教育があるんだ」とカルチャーショックを受けました。決して悪い意味ではなく、私も自分で選択して生きたいと思ったんです。そこで初めて、教育者を志しました。異文化から自分を見つめ直すきっかけを日本でいただいたことが、今も私の根幹にあります。「みんなが香川大を好きになって、学生も職員も教員もずっと幸せに過ごしてほしい」という壮大な夢のために、私が人と人の架け橋となれるよう、協働は日々意識していることです。
何を幸せと感じるかは人それぞれだけど、本学で「エンジョイした」「何か掴んだ」と思ってほしいですよね。日本の大学における教職協働は私立大学の方が早く、1980年代からムーブメントが始まっていました。公的教育を司る中央教育審議会が教職協働を唱え始めたのは2014年、その後法制化されましたが、この時点ではまだ「学生」が出てきません。僕自身は、学長になってから東京の学生との対流促進事業を行うようになり、彼ら自身が課題解決型のフィールドワークを香川で展開していくのを見て、教員だけでも職員だけでもなしえない教育の在り方があると実感しました。それが教職協働の第一歩です。その後、DXラボを通じた教員と学生の連携、学生目線での広報活動などから、さらに「学生と一緒に取り組むと、生まれてくるものが変わる」と学びました。これは言わば「職学協働」ですね。それを踏まえて、大学にかかわる人、特に学生たちがエンジョイできる大学をこれから目指す上で、教職学の協働は欠かせないと感じています。
川池 私も学内執行部と各学部の橋渡し役として、「香川大だからこそ、学生や教員と一緒に面白いことができる」と感じたことはたくさんあります。それこそ「ちょっとした寄り道」が、普段見ている景色とは違うものを見せてくれるかもしれません。
小谷私が『にもにも』の活動を通じて気づいたのは、何かやりたいと思っている学生は多いのに、実際にアクションを起こしている人が少ないこと。私は看護学科に在籍しつついろんなプロジェクトに関わることで、「あれも面白い」「こっちも面白い」と道がいくつも開けましたから、アクションを起こせる場が大事だと実感していますし、本学はそういう場で満ちていると思います。
すごく共感できます。私の教員室は学生がよく来て人生感について相談を受けることがあります。正直私にもわかりません。私自身もつらい受験生活を送って、どういう道に進むべきか悩んでいました。私が言えるのは自分がやってきたこと、つまりアクションを起こすしかない、チャレンジするしかないということです。ダメだったら戻ればいいんですよ。香川大は「アクションを起こせる場が存在するから安心してチャレンジできる」「正解じゃなくてもいいからチャレンジできる」と教えられる大学であってほしいと思います。

 

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問題を「解く」よりも「デザイン」する力を
ここイノベーションデザイン研究所(ID研)は、違うフィルターを持つ人たちが風通しよく議論でき、新しいアイデアを抽出することで、いろんなものが生まれるよう願ってつくりました。1階にはガラス作家・杉山利恵さんの作品『Blue Birth』が飾ってあり、「さまざまな人の化学反応が起こってイノベーションが生まれる」ID研の理念を象徴しています。庵治石(花崗岩)とガラスを混ぜることで生まれた美しいブルーが印象的な作品ですが、なぜこういうきれいなブルーになるのか詳細はわかっていない、偶然の産物でもあります。まさしくID研にふさわしい作品だと思います。
セロン先生も関わっておられる國枝孝之先生のプロジェクト・中野武営のデジタルアーカイブには、非常に可能性を感じますね。すべての史料をいったんデジタル化して再構築すると、思いもよらない事実がわかって、画一的な解釈になりがちだった今までとは全然違うものが生まれるんじゃないかと。単に「古い貴重なものをデジタル化して保存しよう」というだけのプロジェクトではないところに魅力があります。
プログラミングという手段・手法で与えられた問題の解を求めるのは得意ですが、問題探しやデザインからものづくりを進めるプロセスは、デジタルアーカイブを通して勉強している途中です。何が正解かわからないし、正解の基準も自分たちで決めないといけないし、どこまでやれば十分なのかも自分たち次第。ゼロから何かを生み出すのは大変だと日々思っています。
与えられた問題の回答を書くのが受験だけど、社会では「何が問題か」を見つけて本質を見極められる人を世界中が求めていて、本学もそういう人材を育てる挑戦をしています。まさにそのための教職学協働です。ID研と同時期に、文系と工学系の研究科が完全に一体化した創発科学研究科という大学院をつくりました。「創造」とは少し意味が異なり、どっちへ飛び出すかわからないけれどポンと生まれる別のアイデア、それが「創発(emergence)」です。様々な専門領域の先生方が起爆剤になって、多少不協和音があってもその方がエネルギーになるんじゃないかというくらいユニークな大学院です。今その博士後期課程をつくろうとしています。セロン先生が経験してきた博士課程とはかなり雰囲気が変わるでしょうね。
自由で、自ら問題を探す課題が多くて、分野の連携が密で、私が知る工学部とは本当に違いますね。自分の興味次第でどの授業を選択しても良いし、学生が羨ましいなと。造形・メディアデザインコースの先生方は「以前は」という言葉を口にしません。「前は前、これからでしょ」と、新しさを追求します。エンジニア、メディア、プロダクト、ソリューション、それぞれ分野が違う先生方が一つのコースに集まって、ぶつかり合いながら新しいものをつくって、学生に最善の回答を提供し、共感・共有することを目指しているんです。そういう環境で学ぶ学生たちはとても優秀ですから、去年卒業した学士1期生たちが、社会で自分の力に気づくのが楽しみです。
私は感性工学とデータマイニングを専門に、人間の感性を数値化してものづくりに活用する研究をしていますが、データを収集する場や私の研究を用いてものづくりをする場が「つながる」ようになりました。研究者としても、領域が違うからこそ合致して、一つの目標に向かって力を合わせていける環境があると感じます。
セロン先生が考えていることを別の角度から考えている研究者が周りにいて、だからこそセロン先生の研究も前に進むんですね。そういう環境は簡単にできるものではないから、実はちょっと自慢したいんですよ。教育は結局のところ「人」、どんなプレイヤーが集まっているかです。
小谷学生として、私は1~2年生の時、看護学科の問題点ばかり探すタイプでした。ある時「視野が狭い」って言われて、大切なのは問題を追求して直すことより、問題そのものを広い視野で「デザイン」することではないのかと気づいたんです。特に幸町キャンパスの起業部の影響は大きかったですね。
医療の世界も今後「デザイン」が重要になってくるでしょう。社会的・環境的要因で病気も複雑化しているから、社会の仕組みの中で考える視点を早いうちに持った方がいい。せっかく総合大学なのだから、医学部でもアイデアを創出・デザインする教育をもう少し進めたいとは感じています。我々が教職学協働で目指しているのは「香川大に来た学生が、一人一人の人生を自分でデザインできるようになってほしい」ということかもしれないね。自分のことは自分の力でやっていこう、と。
小谷だからこそ面白いんだと思います。