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 取材日 2025年12月17日
 Kadai SALON(会報第6号)
 朝日新聞社 記者
 木子慎太郎さん
 (創発科学研究科 2024年修了)

 

 

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『Kadai SALON(会報第6号)』の誌面に掲載しきれなかったインタビュー記事をご紹介します!

ご出身と、香川大学での学生生活について教えてください。
出身は香川県坂出市で、中学・高校も地元の学校です。ちょうど香川大学の工学部が「創造工学部」に改組されるタイミングの1期生として入学し、造形メディアデザインコースに所属しました。講義は幸町キャンパスで受け、サークルは林町キャンパスの写真部に入部していました。サークル活動では、父母ヶ浜の撮影や、プロバスケットボールチーム「香川ファイブアローズ」などのスポーツ撮影も行い、試合の広報として撮影を担当させていただいたこともあります。

写真にのめり込んだきっかけは何だったのでしょうか。
中学生の頃までは野球部に所属していたのですが、当時自分のプレーする姿を撮ってもらっていたことがあり、「自分もこんなふうに撮ってみたい」と思ったのがきっかけです。高校から写真部に入りましたが、そこが全国大会に出るような強豪校で、練習もしっかりあるスパルタな環境でした。実は大学時代、最初からプロのカメラマンを目指していたわけではありませんでしたし、学部も写真を専門的に学ぶところではありませんでした。しかし、コロナ禍で活動が制限される中で、改めて自分のやりたいことを見つめ直すきっかけができたと感じています。

コロナ禍の制限下で始められた「写真で伝える~香川の人々・スポーツの魅力~」というプロジェクトについて教えてください。
当時はサークル活動が一切制限されていましたが、制限が解除され始めた頃に「香川の魅力を伝え、少しでも地域に貢献できる活動をしたい」という思いで始めました。サークルのみんなで考え、大学から資金補助をいただきながら活動し、最終的には写真展を開催しました。
協力してくださったプロバスケの広報の方のおかげで、新聞記者の方と同じ場所で撮影を行えたことは、本当にいい経験でした。今の仕事が具体的にどういうものなのかが分かるようになりましたね。最初はピント合わせにも苦戦し、失敗の連続でしたが、数をこなしていくうちに要領が掴めてきました。

サークル以外では、どのような活動をされていましたか?
学部時代は、先生が主催されていた地域の芸術祭「かがわ・山なみ芸術祭」に携わらせていただきました。私はカメラマンを担当し、芸術祭の様子を撮影したり、ホームページに掲載する写真などを担当したりしていました。

なぜ大学院に進学しようと思われたのですか?
学部時代にコロナ禍となり、サークル活動も制限されてしまったことが大きいです。もともとは公務員志望で、香川で就職して暮らそうと考えて公務員講座も取っていましたが、なかなか勉強に身が入らなくなってしまって。「あと2年ちょっと、しっかり勉強したい」という思いから進学を決めました。大学院で改めて就職活動をやり直そうと考えたんです。

大学院ではどのような研究をされていたのですか?
デジタルアーカイブを研究されている國枝先生のゼミに所属しました。先生から、香川でもあまり知られていない偉人・中野武営さんをテーマとして提案していただいたのがきっかけです。
図書館や地域の方から資料を収集し、一眼カメラで撮影して情報を入力していくのですが、この作業が非常に大変なんです。そこで、スマホで撮影して地図情報や音声入力などを活用し、簡易的に登録できるシステムを考案しました。

香川大学内での思い出の場所や、お気に入りのメニューはありますか?
図書館にはよく行っていました。3階にある個別スペースにこもって、夜な夜な一人で試験勉強や作文の練習、新聞各社の読み比べをしていました。 食事は2階のカフェのカルボナーラが好きでしたし、学食のうどんもよく食べていましたね。実は6年間、坂出から電車と自転車で30〜40分かけて通学していたので自炊はしていませんでした。大学の近くでは「ちくせい」や「吾里丸」、地元の「日の出製麺所」「がもううどん」などによく行っていました。京都ではまだ納得のいくうどん屋さんを見つけられていないので、地元に帰った時の楽しみになっています。

朝日新聞社に入社したきっかけと、試験の内容を教えてください。
コロナで制限された分、「もっと写真を撮りたい」と思ったのがきっかけです。映像寄りのテレビ局よりも、カメラマンという職業がある新聞社や通信社を希望し、たまたま採用が早かった朝日新聞社に入社しました。 試験では、大学時代のプロジェクトやデジタルアーカイブの研究内容が「社内の膨大な写真データの活用に繋がるのではないか」と評価していただけました。実技試験もあり、1時間で自由に撮影して一番いい1枚をプレゼンし、さらにその写真に記事をつけるという文章力も試される内容でした。

現在はどのような業務をされていますか?
入社から2年間は記者の業務を行う制度があり、今は京都総局で記者をしています。警察担当から始まり、最初は取材の仕組みやルールを覚えるのがとにかく大変でした。作文も、最初は出した原稿の9割をデスクに書き直されるような状態でした。
取材対象は、日頃のニュースから自分で電話して交渉します。基本は一人で完結させますが、大きな取材ではカメラマンを呼ぶこともあります。最近では今年の漢字の「熊」の取材や、若手コラムの企画で京都御所の記事を書いたりもしました。仕事の性質上、休日に突然取材が入ることもあって大変ですが、お休みの日はしっかり休むようにしています。

写真記者であっても、最初に「記者」を経験することにはどのような意図があるのでしょうか。
私も最初はこの制度があることを知りませんでしたが、記者の思いや考えを汲み取ってこそ、それに合う写真が撮れるからだと思っています。2026年4月からは写真部(東京や大阪の本社)に異動し、スポーツや政治、被災地など様々な現場に向かうことになる予定です。

仕事のやりがいと、難しさを感じる瞬間を教えてください。
やりがいは、やはり記事の反応をいただけることです。去年の高校野球の取材では、選手や監督、保護者の方から「書いてくれてありがとう」と言っていただけたことが非常に印象に残っています。
一方で、警察担当として京都アニメーション放火殺人事件のご遺族に取材した時などは、いつもとは違う緊張感がありました。毎日違う現場に行けて、いろんな経験ができるので、飽きが来ないのはこの仕事の魅力ですね。

大学時代の経験で、今に活きていることはありますか?
プロジェクトでのバスケ撮影や高校時代の写真部の経験は、今の現場でも活きています。コロナ禍で何もできなくなったからこそ、「自分は何をしたいんだろう」と考え、カメラの道が明確になりました。大学院の2年間は、迷いなく今の仕事に向かうことができた時間でした。
ただ、今になると「もっと勉強しておけばよかった」とも思います。警察の仕組みや、観光客の外国の方への取材など、学ぶべきことは多いです。でも、仕事を始めてからもできる部分はあるので、今から頑張ろうと思っています。

社会人として大事にしていることや、学生へのアドバイスをお願いします。
「素直に聞く力」と「最低限の礼儀」です。自分が何も知らないということを理解し、怒られてもそれをすんなり受け入れる力が大切だと思います。
マスコミ志望なら、ニュースに目を通し、とにかく新聞を読むこと。内容だけでなく、優秀な記者が書いた文章の構成や書き方を学ぶことが一番大切です。
皆さんも色々なことにチャレンジして、本当に自分が何をしたいのかを見つめ直す機会を作ってみてください。