松島学/安全システム建設工学科教授

能見先生を団長とし、秦先生と学生16名でドイツに協定校を訪問しました。まだ9月というのに朝は5°と寒く、日中でも20°ぐらいしか上がらず、北国に来たという感じを持ちました。

1日目:初日は、ミュンヘン工科大学(TUM)を訪問しました。ドイツでも優秀な工科大学だけあって、建物やまわりの環境が素晴らしい大学でした。学部では一部英語で授業をしており、大学院はすべて英語で授業をするとのことでした。初めの研究室では、街の中で案内をするロボットの研究の紹介がありました。実際にロボットを作動するデモンストレーションを見ました。どうもうまく作動ができずに終わりましたが、TUMの学生の雰囲気が伝わりました。学生はどちらかというと内気で、日本人の学生と合うと思いました。次は、建設用ロボットの研究室でした。研究室のBock先生は、日本語が得意で、説明は日本語でした。建設用ロボットは、機械系の通常のロボットのような形状ではなく、建物全体がロボットになるようなことを説明され、なるほどと思わされました。日本の建設会社との研究が多く、建設業では日本が最先端であることを再認識しました。

ミュンヘン工科大学(TUM)
ミュンヘン工科大学(TUM)

午後は、現地で日本語学校の先生をしている谷村先生に連れられて、ミュンヘンの街探訪に出かけました。街は公園が多く、噴水もいたるところであり、綺麗な街です。しかし、外国人の割合が3割を超え、治安に問題があることを言っていました。両ドイツが統合されるまでは、街がきれいでした。今は、タバコの吸い殻が町中に落ちていたり、電車のホームもメンテナンスが行き届いていないなど、負の面も見ることができました。

2日目:シーメンスの研究所に行きました。研究所はドイツを代表する研究がなされ、施設等も立派な造りになっています。初めに、センサーの研究を見せていただきました。3次元トモグラフィーを実験装置とともに説明してもらいました。トモグラフィーの話は、分かっていたつもりでしたが、応用分野の広さを改めて再認識させられました。さらに、材料の研究室にも行きました。材料は、組み合わせによりどんな性状が出てくるのかが理論的によくわからないので、何万回もの試行を行うことで、新材料を探しているとのことでした。特に印象的であったのは、コストを意識していることで、民間の研究所であることを認識させられる場面でした。

シーメンスの研究所
シーメンスの研究所

3日目:ミュンヘンからボンへ、乗り換えを含めて5時間の移動でした。ボンに近づくにつれて、ライン川が見えてきました。とても綺麗な風景でした。昔、学校で習ったローレライの話を思い出しました。

ライン川を行く船(車中から見る風景)
ライン川を行く船(車中から見る風景)

4日目:ボン=ライン=ズィーク大学を訪問しました。この日は本当に寒い日で、これが9月かと思いました。ボン=ライン=ズィーク大学は、新しい大学で、TUMのように研究中心ではなく、教育中心であるとの説明を受けました。この大学は、7学部を持つ大学で、工学部が大きなウエイトを持っています。創設時期も香川大学工学部と同じ頃です。

ボン=ライン=ズィーク大学
ボン=ライン=ズィーク大学

夜は、ドイツレストランにボン=ライン=ズィーク大学の先生と学生も含めて、食事に行きました。ドイツではビールとソーセージが美味しく、毎日食べるようになりました。私の食べたソーセージは、Blood Sausageという、血の入ったソーセージで、地元の人気メニューだそうです。

Blood Sausage(血のソーセージ)
Blood Sausage(血のソーセージ)

5日目:ボン郊外にあるフランフォーファー研究所を訪問しました。パッシブセンサーとアクティブセンサーの話のあとで、研究所にある欧州最大のパッシブレーダーを見学しました。本レーダーは、直径が60mで、宇宙ごみの監視を行っています。現在の宇宙ごみは、1万6000個ぐらいだそうです。

フランフォーファー研究所(レーダーの話を)
フランフォーファー研究所(レーダーの話を)

昼からは、ケルン(ドイツ人はコロンと発音していた。)に行き、ケルン大聖堂を見に行きました。ゴシックの最高峰らしく、威容を誇る建築でした。先頭アーチ、フライングバットレスなど素晴らしい建築でした。刻まれた僧侶、ガーコイルなどの彫像も見事でした。また、ケルンは、オーデコロン(Oe de Koln)の発祥の地で、「ケルンの水」という意味だそうです。

ケルン大聖堂(ゴシック寺院の最大級)
ケルン大聖堂(ゴシック寺院の最大級)

最後に
飛行機も含め10日間にもおよぶ長い旅の行程でした。20人の集団が、何とか時間通りに行動できたのは、奇跡のようでした。学生にとって海外に行くことは、語学や社会システムが違うことによる戸惑いなど多くのバリアーがあり、何とか、そのバリアーを乗り越えながら過ごしたドイツ滞在一週間だったと思います。帰国後、工学部の学生が語学に励んでくれることを祈り、報告を終わります。

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