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赤潮

香川大学 瀬戸内圏研究センター
本城凡夫

 香川大学瀬戸内圏研究センターでは瀬戸内圏に関係する文献情報を収集し、ホームページからダウンロードにより、収集した文献から起草された総説が閲覧できるように努力しました。著者名の後に()で文献番号を示しました。赤字の文献番号をクリックすると文献の著者名、発行年等が開きます。それを参考にして、各赤潮項目(例えば赤潮について、ヘテロカプサ)の文献リストを開けば、論文の掲載雑誌名等を知ることができます。この総説には多くの赤潮生物が登場します。そこで、赤潮生物名は下記のように略記することにします。

ラン藻綱(シアノバクテリア門)
トリコデスニウム・エリスレアム(Trichodesnium erythraeum):トリコデスニウム

ハプト藻綱(ハプト植物門)
クリソクリミュリナ・ポリレピス(Chrysochromulina polylepis):クリソクリミュリナ
ゲフィロカプサ・オーシャニカ(Gephirocapsa oceanica);ゲフィロカプサ

渦鞭毛藻綱(渦鞭毛藻植物門)
アレキサンドリウム・カテネラ(Alexandrium catenella):アレキサンドリウム属アレキサンドリウム・タマレンセ(A. tamarense):アレキサンドリウム属
コックロディニウム・ポリクリコイデス(Cochlodinium polykrikoides);コックロディニウム
ディノフィシス・アキュミナータ(Dinophysis acuminata):特別な場合を除き、ディノフィシス属
ディノフィシス・フォルティ(Dinophysis fortii):特別な場合を除き、ディノフィシス
ガンブリエール・トキシカス(Gambrierdiscus toxicus);ガンブリエール
ゴニオラックス・ポリエドラ(Gonyaulax polyedra):ポリエドラ ゴニオラックス・ポリグランマ(Gonyaulax polygramma);ゴニオラックス
ギムノディニウム・ミキモトイ(Gymnodinium mikimotoi);カレーニア
ギムノディニウム・カテナーツム(Gymnosinium catenatum);ギムノディニウム
ギムノディニウム・ブレーベ(Gymnodinum breve);ブレーベ
ギロディニウム・オウレオラム(Gyrodinium aureolum):ギロディニウム
ヘテロカプサ・サイキュリーリスカマ(Heterocapsa circularisquama);ヘテロカプサ
カレーニア・ミキモトイ(Karenia mikimotoi);カレーニア
ノクチルカ・シンチランス(Noctiluca scintillans);夜光虫
ピロディニウム・バハマンセ(Pyrosinium bahamanse);ピロディニウム

珪藻綱(不等毛植物門)
キートセロス(Chaetoceros 属)
リゾソレニア・インブリカータ(Rhizosolenia imbricata):リゾソレニア
スケレトネマ・コスタツム(Skeletonema costatum):スケレトネマ
ユーカンピア・ズデアクス(Eucampia zodiacus):ユーカンピア

ラフィド藻綱(不等毛植物門)
シャットネラ・アンティカ(Chattonella antiqua):特別な場合を除き、シャットネラ
シャットネラ・マリーナ(Chattonella marina):特別な場合を除き、シャットネラ
ヘテロシグマ・アカシオ(Heterosigma akashiwo);ヘテロシグマ

ペラゴ藻綱(不等毛植物門)
オーレオコッカス・アノファジェフェレンス(Aureococcus anophagefferens):オーレオコッカス

キネトフラグミノフォ-レア綱(繊毛虫門)
メソディニウム・ルブラム(Mesodinium rubrum);ミリオネクタ
ミリオネクタ・ルブラム(Mirionecta rubura);ミリオネクタ

赤潮について

1. 赤潮とは
赤潮の定義
 古文書、続日本紀に、奈良時代初期の天平3年(西暦731年)6月に「紀伊阿?郡、海水如血、色経五日乃復」とある。これが日本において海に発生した赤潮を伝える最初の記録である。天平から鎌倉時代までの古文書によれば、赤潮について「復水変如血」、「海水変赤」、「海水赤如血」という文言が多用されており、「赤潮」という用語が使用された形跡はない。高野(1979 1) は「赤潮」という活字が初めて現われた資料は農商務省松原新之助による1892年の水産調査予 察報告書であり、高野博士は明治の中頃に英語の red tideを直訳し、その後に「赤潮」という用語が定着したのではないかと推測している。
 明治時代には赤潮現象をどのような視点で捉えていたのであろうか。西川(1900 2)は赤潮を「海水が固有の藍色を失して赤色に変ずるを言うなり、而してこの現象には常に魚介類の斃死を伴うが故に漁業に関係を有す」と記述している。それから16年後、岡村(1916 3)は「顕微鏡的微生物の一時に多量に一局部の海に出現して海水の色を呈するを云うものにして、時に魚介類の斃死を起こすこともあり」と定義し、「無害のものはこれを赤潮と称せずして、単に海水の変色と云うに止まり、魚介の斃死あるものにおいて特に赤潮又は苦潮若しくは腐れ潮と称する傾きあり」と付け加えている。このように、明治期において赤潮という言葉の中には漁業被害という意味合いが強く盛り込まれていたことがわかる。
 大正・昭和初期には、赤潮に関する報告が数多くなされ、研究者間では「赤潮は濁りなどの物理要因や化学物質による変色ではなく、生物による変色現象であり、しかも色調や被害とは無関係」という考えが、次第に広く定着するようになった。戦後に入っても、平野(1954 4)は「赤潮とは限られた時間および空間においてプランクトンが爆発的に大増殖した場合に直接または間接に引き起こされる現象」と定義し、被害の有無には全く触れていない。入江(1970 5)は「夏から秋にかけてかなりの降雨があった後に、海が穏やかで日照りが続いた後などに、プランクトン性の生物が異常に増殖して海水が変色する現象」と述べ、次いで、季節や気象・海象とは関係なく、(1)プランクトン性の生物に由来するものであり、(2)その生物の密度が高いという、(1)と(2)の両者を踏まえておれば「赤潮」として扱うように主張した。前述したように、明治から昭和初期まで、「赤潮」は被害が絡む事象であると捉えていた。今日に至って、赤潮は「被害の有無にかかわらず、海のプランクトン性の生物が濃密に増殖し、そのために海水が変色する現象である」と定義し、赤潮はあくまで生物による海の変色現象であるとするのが妥当であると思われる。淡水でも同様にプランクトン性の生物による水の変色現象がある。その場合には「水の華(water bloom)」とか「淡水赤潮」などと呼んで区別している。

赤潮の色と呼び名
 岸辺の海水が赤褐色に染まっている異様な光景に遭遇された方々は沢山おられるはずである。これが赤潮である。ところが、海水が赤いので赤潮と呼ぶのかというとそうではない。赤潮の色は赤褐色、黄色、緑色、ピンク色、白色など、とにかく多彩である。赤潮は主として海産植物プランクトンが高い細胞密度まで増殖し、海水が着色する現象である。植物プランクトンの種によって細胞の中に含まれている色素の種類とそれらの量的割合、あるいは細胞表面の色が異なるので、多様な色の赤潮が生じる。時には植物プランクトンを餌にする微小な動物プランクトン、ミリオネクタが高密度にまで増殖し、体内に取り込まれた餌の色で赤く着色することもある。
 春、飛行機の窓越しに、潮目に沿って見られる見事なピンク色の縞模様は夜光虫(ノクチルカ・シンチランス:Noctiluca scintillans)の赤潮である(図1-1)。日本での夜光虫赤潮は岸辺に打ち寄せられ細胞密度が極端に高いときには血の色(赤色)を呈することもあるが、普段は鮮やかなピンク色の場合が多い。しかし、タイ国などの南方域で、夜光虫は緑色の赤潮を呈する(図1-2)。これは夜光虫の細胞内にペディオモナス(Pediomonas)という緑色の小型藻類が共生しているためである(図1-3、4)。夜光虫は波や航行の刺激によって冷光を発することで有名であり、属名Noctilucaはnoctisの「夜」とlucensの「光る」を合成した名であり、また種名のscintillansも「キラキラと光る月の光」を意味している。図1-5は岩場の海岸に夜光虫の細胞が濃縮され、濃密な血の色をした赤潮海水が打ち寄せ波で岩に当たって砕け、その刺激により冷光を発している写真(2005年コニカミノルタフォトコンテスト佳作賞)である。
 魚や貝類を死亡させるシャットネラ属(図2)、ヘテロシグマ(図3)およびヘテロカプサ(図4)の赤潮は赤褐色である。カレーニア(図5)やコクロディニウム(図6)もまた赤褐色である。しかし、これらの種は、多くの場合、海水面下で赤潮を形成することが多く、赤褐色と海水の青とが混じるために、上空からの映像では黒色を呈することが多い。ゲフィロカプサ(図7)の場合は見事な白色である。この生物は細胞の表面に炭酸カルシュウムの鱗片を有しており、そのために白色を呈する。変わり種はゴニオラックス(図8-1)の赤潮で、昼間は黄土色に近い色であるが、日周期リズムにより、夜間に青白く冷光を放つ(図8-2)。最後はミリオネクタの赤潮である。この生物は原生動物繊毛虫であるが、赤潮を形成することが多く、食べた藻類の色も加わり、褐色というより赤系の強い着色を呈する(図9)。最後に、有明海で2000年12月から翌年の3月まで発生してノリ養殖に多大な被害を与え有明海異変の原因ともなったリゾソレニアの赤潮は海表面がキラキラしていてアスベストを撒いたような異様な感じの色であったと聞いている。

図1-1. 1976年瀬戸内海に発生した夜光虫の赤潮
(水産庁瀬戸内海漁業調整事務所提供)

図 1-2 タイ国、チョンブリ県のタイ湾に発生したグリーン色の夜光虫赤潮
(Thaithaworn L.博士提供)

図1-3 細胞内部に寄生藻 Pedinomonas を含有する夜光虫
(細胞サイズ 450 μm) (Thaithaworn L.博士提供)
図1-4 夜光虫の内部寄生緑色鞭毛藻 Pedinomonas
(平均細胞サイズ 3μm). (Thaithaworn L.博士提供)

図1-1. 1976年瀬戸内海に発生した夜光虫の赤潮
(水産庁瀬戸内海漁業調整事務所提供)図1-5 夜光虫の輝き(左手前側には本種赤潮本来の赤色が写っている。 プレジデント社 環境フォト・コンテスト事務局提供)

図2.2009 年八代海に発生したシャットネラ赤潮(松山幸彦博士提供、図13参照)
図3.ヘテロシグマ赤潮(図13参照)

図4.英虞湾の多徳島を背景に発生したヘテロカプサ赤潮
(ミキモト真珠研究所永井清仁博士提供、図13参照)
図5.八代海に発生したコックロディニウムの赤潮
(水産庁瀬戸内海漁業調整事務所提供、図13参照)

図6.1983年愛媛県三瓶湾に発生したカレーニア赤潮(水産庁瀬戸内海漁業調整事務所提供、図13参照)
図7.2004年と2007年に筑前海において発生した円石藻ゲフィロカプサ赤潮(JAXA提供、細胞の周りに炭酸カルシュウムから成る丸い鱗を有す)


図8.1998年大分県西浦湾西野浦のゴニオラックス赤潮
(水産庁瀬戸内海漁業調整事務所提供、図13参照)

図9.1998年宮崎県沿岸で撮影された冷光を発するゴニオラックス赤潮
(宮崎日日新聞提供)

図10.1981年兵庫県福良付近で撮影されたミリオネクタ赤潮水産庁瀬戸内海漁業調整事務所提供、図13参照)

 日本の各地には赤潮に関係する多くの呼び名が残っている。東北地方では海水の着色によって漁業が好漁であったり、不漁であったりするので、それぞれ薬水と厄水と呼び分けている。冬に珪藻類が高い密度で増殖して、養殖ノリに被害が発生するが、これをススケ水と呼ぶ地方もある。その他に、相模湾沿岸の菜っ葉水、五島列島のくされ潮(大型有機懸濁物の多い水ということで赤潮が終了した後を表現したものと思われる)、石垣島では星の汁(プスヌシル)、星の涎(プスヌユダリ)を始め、赤くなるので乙姫の経水という表現もある。星の汁と星の涎は夜になると星のようにキラキラと光る名前(scintillans)を持つ夜光虫の赤潮のことを指していると言われている(入江 1970 5高野 1974 6)。
 外国ではRed water(赤い水)、Red tide(赤潮)、Brown water(褐色水)、Green water(緑 色水)、Yellow water(黄色水) 、Discolored water(変色水)、Stinking water(悪臭を放つ水)、Baccy juice(タバコ色のジュース)、Weedy water(雑草の水)と言う用語で表現されている。夜光虫の赤潮が発生するカリフォルニア湾は昔、朱海(Vermilion Sea)と呼ばれていた。今でも季節になると、夜光虫の冷光でネオンのように美しい夜の海を見るための観光客ツアーがあるとのことである。アラビア半島とアフリカ大陸に面する紅海のRed Sea の呼び名は現在も残っている。東南アジアのタイでは、赤潮は突然赤くなることから、赤色のオキアミを食べたクジラが一気に糞をした現象と捉えて、「鯨の糞(Whale feces)」と呼ぶ地方があることを留学生から聞いたことがある。

赤潮を形成するプランクトン
 Hallegraeff(1993 7)は海の植物プランクトンは5000種類ほどで、これまでに赤潮を形成したことのある種類は約300で、世界で被害を与えてきた種類はその中のほんの50種ほどであるとしている。フランスの分類学者Sournia(1995 8)は、過小評価していると断った上で、植物プランクトンの種類数は多くて4000種程度で、そのうち赤潮を形成したことのある種類数は渦鞭毛藻類が最も多くて100種程度、有毒プランクトンは渦鞭毛藻類が大半を占めて70種類程度であると述べている。また、渦鞭毛藻類(1514-1880種)の中ではディノフィシス目が240-382種、ギムノディニウム目が512-529種、ペリディニウム目が656-788種、プロロセントラム目が30-83種と大半を占め、赤潮を形成したことのある種類と有毒プランクトン種類数はそれぞれディノフィシス目が3-4種と7-11種、ギムノディニウム目が31-52と9-14種、ペリディニウム目が31-52種と9-14種、プロロセントラム目が11-13と7-8種であるとしている。

図11. 赤潮を形成する珪藻類。これらのプランクトンは動物プランクトンの餌となり、水産資源を支える海洋の重要な基礎生産者である。しかし、冬季にノリ養殖場に発生するとノリ色落ち被害を与える。

 高度成長期を迎える1960年代以来、有害な赤潮が多発し、注目されてきた。新聞や雑誌等の報道では、この有害赤潮に焦点を当てて、植物プランクトンが全て悪者であるかのような印象を世間に与えてきたように思われる。しかし、赤潮を形成する一部の植物プランクトンは動物の餌となり、海の生物生産を支える重要な役割を果たしており、悪い赤潮だけではないことを憶えておいていただきたい。特に、珪藻類は世界中の海に生息していて、光エネルギーを利用して水と炭酸ガスから炭水化物を生産し、細胞内に摂取した無機栄養塩類を活用して、多種多様な有機物を合成する有益な植物プランクトンである。そして、動物プランクトンがその有機物を食べて、魚などの高次動物たちが成長する、いわゆる生食食物連鎖の基礎になっていることから、珪藻類の仲間は海の牧草とも言われている。
 ところが、スケレトネマ属やキートセロス属といった有益な植物プランクトンである珪藻類が冬にノリ養殖場で赤潮を形成すると、有益な珪藻類も有害な植物プランクトンに一変してしまう。ノリも珪藻類も共に藻類であるから、同じ栄養物質を奪い合い、最終的には珪藻類が勝って、ノリは栄養(特に窒素)不良に陥り、退色(色落ち)して商品価値が下がり、結果として水産被害を引き起こす。硬い棘を有する大型のキートセロスが赤潮を形成すると、それを食べたサケなどの養殖魚の鰓に多数刺さって呼吸障害を起こさせることもある。この場合も、餌として有益な活躍をしているけれども、ある局面では有害な生物へと変身してしまう例である。図11に2000年12月から3月まで有明海に発生してノリ養殖に甚大な被害を与えた大型珪藻リゾソレニアの写真を示す。この被害を契機に有明海異変と呼ばれる社会問題へと発展した曰く付きの植物プランクトンである。

図12.2000年12月から3月まで有明海に発生してノリ養殖に甚大な被害を与えた大型珪藻リゾソレニア(Rhizosolenia imbricata)の細胞(松山幸彦博士提供)。

図13.日本における代表的な赤潮鞭毛藻類

 上段左からカレーニア・ミキモトイ(19-37x14-35μm)、ヘテロシグマ・アカシオ(8-25x6-15μm)、シャットネラ・マリーナ(サイズ30-50x20-30μm鹿児島県赤潮図鑑より鹿児島県提供)、シャットネラ・アンティカ(サイズ50-130x39-50μm鹿児島県赤潮図鑑より鹿児島県提供)、コクロディニウム(写真は4細胞連鎖を示す。単一細胞サイズは30-40x20-30μm)、下段左からヘテロカプサ(18-23x12-18μm松山幸彦博士提供)、ミリオネクタ(19-37x14-35μm、赤線のスケールは20μm、神山孝史博士提供)、ゴニオラックス(19-37x14-35μm、小泉喜嗣博士提供)
 一方、鞭毛や繊毛を有して動き回ることのできるプランクトンではカレーニア、シャットネラ属、ヘテロシグマ、コックロディニウム、ヘテロカプサなどが我国における代表的な赤潮生物種として挙げられる(図-12)。
 有害赤潮は被害の及ぼし方によって大きく二分される。ひとつは海水が着色する程に増殖して、自然のあるいは養殖の魚介類に直接被害を及ぼすいわゆる「赤潮現象」ともうひとつは毒を産生する植物プランクトンを貝類が摂食し、毒が貝の体内に蓄積され、その貝を食べた人間や動物に死や麻痺あるいは下痢症状などが生じる「魚貝毒現象」である。北日本では海水が変色しない低い細胞密度で貝毒事件が発生することが多い。基本的に着色しなければ赤潮として扱うことはできないので、Harmful Algal Blooms(HABS)という英語を適用している。
 貝毒事件の多くは東北や北海道を中心に発生していたが、最近は瀬戸内海や九州地方でも猛威をふるうようになっており、有害赤潮を論じる際に決して無視できない研究課題である。昭和53-57年(1978-1982)まで、貝毒事件の多くはホタテガイ養殖が盛んな北海道、東北を中心に発生していた。しかし、1993-1997年には瀬戸内海、九州地方の至る所で猛威をふるうようになっている。例えば、カキ養殖で年間に150億円に近い生産を挙げている広島湾では4-5月の貝毒による出荷規制と7-9月のカレーニアやヘテロカプサ赤潮による斃死被害を受けて瀕死の状態にある。
 魚介毒の原因となるプランクトンはディノフィシス属、アレキサンドリウム属、ギムノディニウム、ガンブリエール、ピロディニウムなどの渦鞭毛藻類である。ガンブリエールやピロディニウムは熱帯に出現する種類で、魚介類を毒化させ、数百人ほどが死亡していると言われている(Hallegraeff 1993 7)。特に、フィリッピンやパプアニューギニアといった熱帯地方で中毒の被害が多い。瀬戸内海では下痢性貝毒を有するディノフィシス属の他に、麻痺性貝毒をもつアレキサンドリウム属が発生する。ところが、地理的に近い徳山湾と広島湾で種類が異なり、それぞれアレキサンドリウム・カテネラとアレキサンドリウム・タマレンセが優占して発生しているのだそうで、実に不思議なことである。


赤潮として着色する細胞密度
 赤潮は海水の変色現象であるから、どのくらいの細胞密度から海水の色が変わるのであろうか。当然のことながら、1mlの海水中に数千〜数万細胞にも達すると、海水は変色する。細胞密度に大きな幅があるのは、第一に細胞サイズの違いのためである。大きい生物であれば数千細胞で色が変わるし、小さい生物であれば変色には数万まで達する必要があり、原因生物の細胞のサイズによって海水が変色する密度は大きく異なる。また、単一の種類が増殖して海水が変色するとは限らない。サイズの異なる複数種の植物プランクトンが同時に増えて赤潮を形成することもある。このように細胞密度によって変色基準を設定することは難しい。
 また、海水の状態によっても左右される。比較的透明度の高い外洋域で発生するゴニオラックス・ポリエドラ(Gonyaulax polyedra)の場合は200cells/ml以上で、細胞内のクロロフィルでいうと4-5μg/l以上の時に肉眼で着色が判定できると言われている(Holmes et al.1967 9)。一方、内湾など透明度の低い海域に発生する生物に対しては約1000cells/ml以上、またクロロフィル濃度では50μg/l(chlorophyll-aとして)以上の場合に変色を明瞭に識別できる。海域の濁り方によってもまた着色、すなわち赤潮であるかどうかの判定は異なってくる。
 赤潮が発生した時、細胞密度はどの程度にまで増加するのであろうか。飯塚(1985 10)の調べによれば、生物によって異なるが、104-105cells/mlの桁が現場での比較的高い細胞密度として計測されることが多いようである。クロロフィルに関しては1000μg/l以上を示す例は少なく、通常は100-1000μg/l付近である(飯塚 1985 11)。但し、このように高い値は生物集積が行われている昼間の表層で採水されて測定されており、実際の赤潮の際の細胞密度とクロロフィル濃度は一桁ほど低いと考えるのが妥当であろうと飯塚は記述している。赤潮は盛期を過ぎると岸に寄せられる傾向にあり、この時には極端に高い細胞密度が計数されることになる。

2. 赤潮の歴史と現状
昔から発生していた赤潮

 バルト海におけるシストと貝の化石の最近の地質学的調査から、渦鞭毛藻類の赤潮が1億3千万年前に発生して二枚貝の大量斃死を引き起こしていた科学的証拠が提示されている(Noe-Nygaard et al. 1987 12)。これは人類が出現するはるか前、すなわち人の手が加わっていない自然そのものの海で赤潮が発生していたことを示す貴重な論文である。
 エジプト第19王朝のラメセス二世{在位BC1301-1234新王国時代後期[ジクムント・フロイトは旧約聖書をアメンホテプ四世(在位BC1377-1358新王国時代前期)時代の記述と推定している]}の頃の出来事を記述している旧約聖書、出エジプト記の第7章、17・21節に、「主がモーゼに命じた。アロンの杖でナイル川の水を打てば、水は血に変わり、魚が死んで、臭くなり、エジプト人は水を飲むことができなくなるであろう。主の命じられたように、杖をあげてナイル川の水を打つと、川の水はことごとく血に変わった。川の魚は死んでしまい、川は臭くなり、エジプト人は川の水を飲むことができなくなった。」とある(関根 1995 13)。この水が血に変わったことについて、周辺山地からの赤色泥[松本(2000 14)は「エジプト人は赤い土地デシェレトと黒い土地ケメトに分け、前者は不毛の砂漠を、後者はナイルの水が及ぶ耕地を意味する」と述べ、赤色泥を砂漠由来の泥として扱っている(関根 1995 13)]の流出とする解釈やクレタ島の火山の爆発(竹内 1999 15)による降灰とする解釈もある。クレタ島の大噴火は近くのサントリニ島に残る焼けた木の年代測定からBC1400年と推定されている。この噴火により火山灰が季節風で運ばれた頃に、川の水が変わるなどの10災が生じたとするのである。これはフロイトの主張するBC1370年代にほぼ合致する。この大噴火から30年後にサントリニ島のカルデラを囲む一部が崩壊して海水が内側に流れ込んだ時、200m級の津波が地中海に生じ、この大津波がイスラエル方面に押し寄せた。「あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真ん中の乾いた土地を進みゆくようにせよ。言われたとおりにすると、海が割れ、もう一度モーゼが手を差し伸べると、海の水が押し戻り、エジプトのパロ軍隊は水に呑まれて全滅した。(」出エジプト記第14章16節)をも火山の爆発説は説明する(竹内 1999 15)。まさにこの大津波が映画チャールトン・ヘストン主演「十戒」のクライマックスシーンである。
 しかしながら、赤色泥土や火山灰であれば水は飲めるし、火山灰では赤く着色することはない。杖にまつわる不思議な出来事の全てはワニ、蛙、ブヨ、アブといった生物に関係しており、赤潮研究者の立場から、ナイル川の着色現象を有毒淡水プランクトンのブルームに由来すると、どうしても解したくなる。
 紀元前4世紀のアレグザンダー大王と同じギリシャ時代の天文学者ピテアス(Pytheas)の航海日誌に赤潮と思われる記録があり、「ピテアスは紀元4世紀にマッシリア(Massilia)を出帆し、ジブラルタル海峡を経て、スペインとフランスの沿岸を北へ航海し、北海、英国諸島の東岸を北上し、さらに6日間航海すれば北方にアイスランドと仮想される彼がチュール(Thule)と呼んだ国があり、そこに行くと海がクラゲのようによどんでいて流れも遅くなると報告している」と宇田(1969 16)は紹介している。日高(1971 17)はこの現象をピテアスがクラゲの大群かあるいは粘質物を有する珪藻塊によるプランクトン起因の現象を見たのであろうと解釈している。
 1768-1771年のクック(Captain James Cook)のエンデヴァ航海に同船していた博物学者バンクス(Sir Joseph Banks)の航海日誌に海水の黄変現象が書かれている。水兵たちはこの黄変現象を「海の鋸屑(おがくず)」と読んだそうである。ビーグル号の探検航海記(1831-1836年)で赤潮を科学的に報告したのはチャールズ・ダーウインであり、幾度か出会った藍藻トリコデスニウム・エリスレウム(Trichodesnium erythraeum)による変色現象を記載している(日高 1971 17)。
 一方、日本において海水に生じた変色現象の最初の記載は既に述べたように、奈良時代初期の西暦731年6月(新暦の7月に相当)である。続日本書紀(巻11)に「紀伊国阿?郡海水変如血色経五日乃復」とある。現在の和歌山県有田郡の有田川河口か湯浅湾奥周辺の海水が赤色に変わり、5日後に回復したことを意味するようである。この記録を最初に入手されて赤潮研究分野に紹介されたのは元和歌山県水産試験場長加来靖弘氏である。私が詳細な情報提供をお願いした折に寄せられた加来氏の一文は、古の人が赤潮を始めてみた時の驚きを目のあたりにした場所を推理するなど探求心旺盛な思いが伝わる。ここに加来氏の手紙を抜粋して掲載させていただく。
 『続日本書紀のコピーは手紙を紛失してどなたから戴いたのか記憶しておりませんが、これが赤潮に関する我が国で最初の記録だそうです。この地名が現在の和歌山県有田郡内の海面であることは間違いありません(図15)。当時は蟻の熊野詣と言われる京都から熊野三山の詣が盛んでした。

図13 有田市付近の地図(google より引用)

熊野行幸の開拓者は宇多法王(907年)だそうです。それ以前は奈良から白浜温泉(牟婁の湯)への湯治の旅が盛んで、記録では657年に有馬皇子が、翌年には斉明天皇が湯治に訪れています。当時は陸海の2ルートがあり、海上交通の方が主体だったようです。赤潮の発生が記録されたのは、それから80年を経過していますので、陸路も整備され情報の流れもかなり良くなっていたと推察されます。ところで、この夜光虫だろうと推察される赤潮発生を観察し、中央官庁の公式記録として掲載させたのは誰か、興味深いところです。場所は、有田川河口域(現在も有田市役所の近くに安諦橋(あではし)が架かっている)あるいは湯浅湾奥と思われ、海水変じて血の如し、と書かれているので、スリック状のものが何か所かに形成されたといった程度の着色ではなく、面状に広がる大規模な赤潮ではなかったかと推察しています。また、観察場所ですが、驚きと恐怖の点を考えると舟とかの低い視点ではなく、高所から鳥瞰的に目視したのでは、とも思われます。そのようなことで、私は糸我(有田市の東側)から栖原(湯浅町)へ抜ける峠道の眺望の良いところから、湯浅湾奥での赤潮を間近に観察したのだろうと想像している次第です(図13)。報告者ですが5日で消えたとしているので、発生から消滅までを観察していたような気がしてなりません。修験者とか湯治への行き帰りとかの旅行者が考えられますが、郡司のような役人あたりが、天変地異の前兆として報告したのではないでしょうか。しかし、赤潮の命は、今も昔も5日程度というのは面白い現象ですね。近年、赤潮が長期化・恒常化するというのは、よっぽど海が病んでいるということでしょうか』
 夜光虫の赤潮といえば多くはピンク色である。しかし、図14は鹿児島湾で撮影された夜光虫の赤潮写真である。加来氏が思い浮かべられた観察者はこのように血の如く赤い一面に広がる赤潮を目の当たりにしたという思いに描きたてられる。

図14まさに「海水変じて血の如し」
の夜光虫赤潮(鹿児島県の赤潮図鑑より、
鹿児島県水産技術センター提供)
図15飛鳥・奈良時代の古地図
本文に関わる場所を示す。


 水戸光圀公によって1657年から編纂が開始された大日本史(ここでは義公生誕三百年記念会 1928 18を参照した)の中には鎌倉時代の1312年までに淡水赤潮を含む17例の変色現象関連の文章が記述されている(表1)。淡水赤潮の記録は和歌山県の海水変色の記録よりも100年ほど古い、皇極帝2年にまで遡り、「642年8月に茨田(まむた)池の水が大変臭くなり、口が黒くて身体が白い小虫が湧いて、水面を覆うようにして死んだ。8月15日になると水色が藍色に変わり、田圃の溝など凍ったようになって、池の魚は死んで腐敗した。10月に至って元通りになった。」とある。前半部を変色現象とするには無理がある。けれども、後半部分は明らかに変色現象である。藍染(あいぞめ)液も表面は藍色をしているが、撹拌すると緑色系が増すので、藍藻類か緑藻類を原因生物の変色と思われる。飛鳥・奈良時代の茨田池はかなり大きな池であったことが古地図で伺える(図15)。現在でも大阪府寝屋川市平池町付近にかなり小さな池になっているが残っているとの情報を寝屋川市役所から得た。次は643年4月の記録で、「奈良斑鳩宮溝池の水が血に変わり、大変臭くなって、魚やスッポンが皆死んだ」とある。さらに、奈良時代後期の781年8月27日に河内の国からの言上によれば、尺度(さかとの)池の水が血のように赤くなって生臭い臭いがしたとある。尺度の地名は羽曳野市古市付近に今も残っている。856年12月の御池(場所は不明)の水の黒変、この変色が生物由来かどうか疑わしい。
 淡水での変色に関する記録が続いたが、大日本史(義公生誕三百年記念会 1928 18)の中に平安時代の貞観17年(875年)6月における「相模言、大住郡河水変赤」をはじめとして、875年7月に2件の変色が大住郡から言上(報告)されたとある。大住郡は今の神奈川県平塚市を中心とした郡で、変色域は相模川河口域の赤潮である可能性が高い。878年9月1日の「肥後宇土郡蒲智比弯請芦録綰〃譟廚粒智比弯世論邵(1964 19)によれば現在の宇土市緑川駅裏の三宮神社がこれに当たるとしている。今は神社の目の前をJR三角線が走り、緑川は遠くを流れているが、多くは埋立て地であることから、当時は目の前に有明海の海水が満ちる緑川河口が広がっていたのであろう。
 その後300年間、記録が途切れ、鎌倉時代の1216年から1312年における赤潮が6例も記述されている(朝倉 1910 20)。鎌倉市周辺の海域における変色現象が多いのは政治の中心が鎌倉に移動したためである。1225年4月8日「摂津廣田海水変如血」とある。この廣田は大阪市浪速区日本橋西2丁目4番廣田神社付近を指している(図15)。今は海岸からずいぶん離れたところに位置しているが、室町時代の古地図(後小松帝御宇1382-1412)を参照すると、廣田神社の前に大きな沼(廣田神社の宮司によれば資料は戦災で消失したが、昔は星ヶ池と呼んでいたとのことである。)があり、この沼は川を通して大阪湾と結ばれており、沼は海水で満たされていたのである。
 上記の文章を確認するために、続日本記(宇治谷 1998 21)や川崎(1964 19)を熟読してみると、日食、地震、大雨、旱魃、いなごの発生、三つ子の誕生で天皇から反物の贈答があったなどの事例が数多く記載されており、水色変に関するすなわち水の色の変化も同様に奇異な現象として捉えられていたことがわかる。さらに、海水変如血の記載は当然のように世間が平穏であった年に偏ってみられ、戦乱の世ではそれどころではない印象を受けた。とにもかくにも、日本において赤潮は昔から発生していた現象であることがわかる。ちなみに、隣国の韓国では新羅王朝の西暦639年8月に4日間、東海水(韓国東海岸)が血色で赤く変色し、大量の魚が死んだという記録が海水変色現象を特定した最も古い記録になっている(Hahn 1998 22)。日本の最古の記録とほぼ同じ時代である。

表1 大日本史(義公生誕三百年記念会 1928 18)に記録されている

淡水海水変色現象の事例(旧暦で表示)

皇極帝2年(642)7月
茨田池水大臭、有小蟲、白身黒吻、蔽水而死、及八月十五日壬戌、水色変藍、溝皆凍、池魚爛死、至十月復
皇極帝3年(643)3月<
斑鳩宮溝池水変血、大臭、魚鼈皆
天平3年(731 聖武天皇)夏6月
紀伊阿?郡、海水如血、色経五日乃復
天応元年(781 桓武天皇)7月19日丙子
河内言、尺度池水赤如血甚羶
斉衡 3 年十一月十八日丁巳
御池水変黒、数日乃復
貞観 17 年(875 清和天皇)6月壬子朔
相模言、大住郡河水赤
21日壬申、相模言、大住郡河水変赤
元慶2年(878 陽成天皇)9月7日巳亥
肥後八代郡倉上宇土(ウドノ)郡蒲智比弯(カマチヒメノカミノ)前河水如血 頻河(ヒンカ)山野草木凋枯
建保4年(1216 順徳天皇)3月7日庚申
鎌倉海水変赤
嘉禄元年(1225 後堀河天皇) 3月4日乙丑
摂津廣田海水変如血摂津廣田(大阪市浪速区日本橋西2丁目4番 廣田神社)
安貞元年(1227 後堀河天皇) 閏3月20日巳亥
相模腰越海水変如血
文歴元年(1234 四條天皇)8月11日
海水入淀河色殷黒魚多死、食魚者亦死
寶治元年(1247 後深草天皇) 3月11日甲子
鎌倉海水赤如血
建長2年(1250 後深草天皇)2月4日庚子
伊勢御裳濯(ミモスソ)河水変赤、至6日壬寅而復
寶治2年(1248 後深草天皇) 6月9日乙酉
相模河水赤如血
建長4年(1252 後深草天皇) 正月27日壬子
鎌倉海水赤如血 2月28日壬午 鎌倉海水赤如血
正和元年(1312 花園天皇)4月12日丁丑
伊豆駿河武蔵下総海水赤如血、数日復故
寶治元年(1247 後深草天皇)
3月11日甲子 鎌倉海水赤血如
寶治2年(1248 後深草天皇)6月9日乙酉
相模海水赤血如
建長4年(1252 後深草天皇)
正月27日壬子 鎌倉海水赤血如
2月28日壬午 鎌倉海水赤血如
正和元年(1312 花園天皇)4月12日丁丑
伊豆、駿河、武蔵、下総海水赤血如、数日故復


 鎌倉時代から江戸時代における変色現象に関する文書記録は見つかっていない。以下、私見として述べてみる。江戸幕府が成立するまでは戦乱に明け暮れる時代であり、海をのんびりと眺めて、珍しい現象でも記録に残すような余裕はなかったであろう。その後、江戸の人口は急速に増加し、18世紀後半には100万人を超える世界一の都市であったと言われている。東京湾には多くの有機物や栄養物質が流れ込み、早くから富栄養化して赤潮が慢性化し、それほど珍しい現象ではなくなったのではなかろうか。また、江戸時代初期の利根川東遷事業によってそれまで現在の中川として東京湾に流れ込んでいた利根川河川水の大部分が銚子の方へと流れるようになったことで、東京湾の撹拌は一気に弱まり、停滞域となり、赤潮の発生を促進する一因になった可能性がある。
 明治時代に入ってすぐの1875年に海洋探検艦チャレンジャー号が水の補給に日本に立寄った際、船員が紀州大島で港内に発生した夜光虫の大群(赤潮)を見て、夜光虫が捕食した珪藻類の食べ残しの殻を体壁から排出するのを観察した記録(元田 1970 23)がある。加えて、後で詳述するが、御木本幸吉の伝記の中には、1882年12月(新暦の1月)に英虞湾で発生した赤潮によって、当時としては新興産業であった養殖真珠が被害を免れるために振り回された「くだり」がある(間々田 1942 24乙竹 1950 25)。
 明治中・後期に入ると産業振興や利根川河川水の東京湾への流入制限がさらに強化され銚子河口へとほぼ全ての水が流されるようになり東京湾の富栄養化が一層に加速し、東京湾での赤潮の記録が急に増加したように思える。それらを整理した岡村(1911 26)の表を改変して表2に示す。大学や気象台が周辺に存在した東京湾の他に、御木本幸吉翁のお膝元で、真珠養殖で有名な英虞湾や五カ所湾にこの時代の記録は集中しているが、これらの湾では明治期から頻繁に赤潮が発生していたことを物語っている。

表2 明治期の赤潮(岡村金太郎 1911 26を改変)

場所
年月
備考
静岡県 江ノ浦
1899年5月
夜光虫被害有り
三重県 鳥羽港
1899年
Gonyaulax
広島県 広島湾
1899年
カキ筏の下部のものは死んで、上部のものは死ななかった(藤田経信氏談)
三重県 英虞湾
1900年9月24-28 日
Gonyaulax
三重県 浜島湾
1901年2月
珪藻 被害無し
愛媛県 宇和島湾
1901年5月
夜光虫
三重県 浜島湾
1903年9月
Gymnodinium 真珠介大被害
三重県 五ヶ所湾
1904年3月19日
Gymnodinium, Spirodinium
三重県 五ヶ所湾
1904年12月-2月15日
Ceratium furca, Prorocentricum, Gymnodinium, Gonyaulax
三重県 英虞湾
1905年1月初旬-3月
Chaetoceros 底生生物の 8 割が斃死
三重県 鵜方浦
1905年3月8日-4月4日
Gymnodinium, Spirodinium, Pouchetin
東京湾 木更津
1907年8月末
Gymnodinium
東京湾 武州六郷川
1907年9月上旬
Gymnodinium
東京湾 鶴見川河口と本牧間
1907年9月下旬
Gymnodinium
東京湾 神奈川辺りから伊豆初島神奈川より大師河原間
1908年8月23日-29日
Gymnodinium
鳥取県 中海
1909年8月-9月
明治19年(1886)以来しばしば発生し、はなはだし所は魚介藻類死すという。
東京湾 横浜より三崎及び腰越
1909年6月9-16日
Cochlodinium 横須賀には被害、横浜にはなし
三重県 英虞湾
1910年9月22日
Ceratium, Gonyaulax・他 真珠貝異常無し
愛知県 豊川下芝村
1910年9月15-18日
愛知県 蒲郡沖
1911年7月18日
ウニ、ゴカイ斃死
愛知県 知多郡横須賀村
1910年10月8-15日
海面褐色を呈す 被害無し
東京湾 神奈川県金澤より横浜金澤金澤より三崎を経て小田原方面及び君津郡君津湊辺
1910年6月21-7月5日
Cochlodinium catenatum 斃死多し
東京湾 横浜港内
1910年9月15日
Ceratium furca(優占種)被害無しGymnodinium
三重県 五ヶ所湾
1911年1月-3月
Gymnodinium 真珠、ウナギ、クロダイ、コチ、ボラ等被害有り
東京湾 横浜港付近
1911年6月
Infusorin, Ceratium fusus, Gonyaulax, Thalachroma 被害無し
東京湾 野島沖より横浜まで及び野島より真鶴
1911年810-9月2日
Gymnodinium と1種の鞭藻類被害はなはだし
東京湾 横浜港
1912年5月
混合生物 被害無
東京湾 杉田沖より鶴見及び杉田より平塚
1912年9月
Gymnodinium 被害多し


 日本で最初の赤潮に関する学術論文は1900年動物学会誌に発表された西川藤吉(1900 2)の「赤潮について」である。しかし、明治時代の後期から昭和初期にかけての論文の多くは原因生物と発生・被害状況の記述に留まった。科学的でかつ組織的な調査の開始は1966年以降であり、赤潮研究の本格的な歴史は半世紀ほどである。この間の大略的研究方向は(1)富栄養化問題を重視した環境化学、(2)赤潮生物の生活史や増殖動態を扱った個体及び個体群生態学、(3)生物間相互作用を重視した群集生態学、(4)分子生物学的手法を用いた研究に整理できる。

3. 赤潮被害
 鎌倉時代後期である文歴元年(1234)旧暦の8月1日「海水入淀河色殷黒魚多死、食魚者亦死(海水が淀河に入り、赤黒い色を呈し、魚多く死んで、食べた人も亦死んだ)」と大日本史(義公生誕三百年記念会 1928 18)に記述されている(表1)。鎌倉時代における大阪の古地図によれば、河口域が現在の中之島付近にまで広々と存在していることから、毒が関係したかあるいは死んだ魚を食べたのか原因は不明であるが、死亡に海産プランクトンが直接若しくは間接的に関係したことは間違いない。これが我が国で赤潮による犠牲の初めての記録といえる。
 明治期に入るまでも確かに赤潮による魚介類への被害はあった。しかし、大きな経済的打撃は英虞湾においてアコヤガイの養殖が開始されて始まった。1892 年 11 月に赤潮が発生して英虞湾弁天島周辺(賢島の東側)のアコヤガイが全滅し、赤潮の発生は恐怖の的になった。特に、初期のアコヤガイ養殖は一度赤潮に襲われると壊滅的被害を受けたようで、御木本幸吉伝には赤潮に対する恐怖と赤潮との奮闘が赤裸々に描かれている。英虞湾や五ヶ所湾の主要な赤潮は明治期以来、カレーニアによるものと思われる。昭和初期に五ヶ所湾の赤潮を調べた尾田(1935 27)の冒頭文に「五ヶ所湾の赤潮は敢えて珍しくない。冬季にはほとんど毎年発生する」と記している。近年、本種の赤潮の大半は夏季に発生しており、明治期に1-3月の冬季に赤潮が発生していたということは極めて興味深い(表2)。私は、1985年と1990年に2度だけ冬のカレーニア赤潮に遭遇したことがある。
 御木本幸吉翁が赤潮に対していかに恐怖を抱いていたか、また対策に対する並々ならぬ決意を示す文章を間々田(1942 24)と乙竹(1950 25)から抜粋して以下に紹介したい。
 間々田(1942 24)から:「幸吉つあん、赤潮が流れてきた」「エエッ」、幸吉は驚いて立ち上がった。轟々と鳴る怒濤の響きが耳を襲ってきた。赤潮!赤潮!崩壊!養殖場の壊滅!幸吉は漁師と駈けだした。見張り台の上に立つと、養殖場一体が否、英虞湾一面が赤く変色していた。彼は右手に金網籠の針金を掴んだまま、唇を噛み締めた。「ああーー」赤潮は真珠貝の大敵であった。これは塩の度が低くなると発生するもので、無数の微生物が俄に蕃殖する為に海の色が赤くなり、この微生物が真珠貝の呼吸器を覆って、貝は窒息して了うのである。暫く唖然として海を凝視していた幸吉は、やがて我に返って海邊へ下りていった。小舟を操って養殖場へ漕ぎ着けると、急いで赤い枯れたような海面から籠を引き上げた。「ああーー」貝は赤味を帯びて全部死んでいた。
 乙竹(1950 25)から:イヤ、アノ時ぐらい驚いたことはなかった。もし、そのままにうっちゃっておけば、何十萬という生貝がみんな死んでしまうのだから。どうかして、安全な場所へ避難させなければならない。せめて幾分でもよいから助けなければ、貝と一緒に自分も死んでしまうのだ。そこで、何でも非常の場合には非常の方法で即応しなければならないと決心した。が、こうなると先立つものは金だ。何も恐れることはない。今は日露戦争の最中で、海陸ともに火花を散らしているのが国家の戦だが、自分は赤潮と戦っているのだ。国家の戦争に武器が要るのと同様に、事業の戦争の武器は金だ。とこう決心するとすぐに、海女を二百名新たに雇い入れ、潜水器もできるだけ多く用意した。そして次のごとく命令した。只今から海女の給金は五割増、労働時間は五割減、薪は三倍たいてやれ。もし、薪が足らなければ、どこの山でもかまわないから、ドシドシ切ってこい。グズグズ言ったら、すぐ値段を聞いて、だまって、その値段よりも二割増にして払ってこい。こう命令したので満場の者が必死になって働いてくれた。そのため金庫の金はほとんど費ったが、その代わり養殖貝の五分の一だけは立派に助けることができたので、結局破綻的の損失を免れたのは、不幸中の幸いであった。
 当時のアコヤガイは地蒔式であったために、壊滅的被害を受けやすかったようである。アコヤガイが垂下方式になってから被害は歴然と減少した。当時の養殖法では、夜間に鉛直移動でカレーニアが海底に到達し、移動した細胞群の一斉の呼吸で酸素が一気に消費され、地蒔式アコヤガイは全滅の憂き目にあったと推定される。
 わが国において赤潮の監視体制が整ったのは1971年からである。主要な漁業被害状況をみると、瀬戸内海では、1972年、播磨灘と紀伊水道で発生したシャットネラ属赤潮による被害は70億円以上に達し、これから順調な経営の伸びを期待していたハマチ養殖業に大きな打撃を与えた。その後の1977年、78年および87年にもシャットネラ属赤潮によりそれぞれ20億円以上の被害が断続的に発生している。さらに、1984年、三重県と和歌山県の沿岸(熊野灘)に発生したカレーニア赤潮は30億円以上の、1990年、九州の八代海、橘湾及び有明海で併発したシャットネラ属とコックロディニウム赤潮は17億円の被害を与えている。ところが、1990年代に入って、西日本の各地に、これまで観察されたことのなかったヘテロカプサによる赤潮が突然発生するようになり、貝類増養殖に大きな打撃を与えた。2000年12月に発生してノリ養殖に大被害を与え、諫早湾防潮堤との関係で有明海異変と言われる社会問題にまで発展した大型珪藻リゾソレニア赤潮とノリ被害をあげることができる。この被害額は図16に含まれていない。さらには、2009年、2010年と続けて八代海にシャットネラの広域赤潮が発生して、数十億円規模の大きな水産被害が発生した。赤潮発生件数は全国的に減少傾向にあるものの、このように赤潮による被害は決して減少してはいない。

図16 日本における赤潮被害額の経年変化

 水産庁の統計によると、油・赤潮・その他の突発的漁業総被害額は1972年からの25間で1027.45億円(水島重油流出事故による被害額の213.56億円を含む)であるから、全被害額の赤潮による被害額は39%に達し、水島重油流出事故を除いて計算すれば、突発的漁業被害の中で赤潮による被害がほぼ半分を占めることになる。さらには、天然魚介類の斃死など、被害金額の不明件数が総被害件数の33%もあり、赤潮による実際の被害額は計上された額を相当に超過していると予想される。
4.発生件数と赤潮生物の交替
 1982-1997までの古い資料(水産庁資料 1982 - 1996、水産庁資料 1997)ではあるが、瀬戸内海および九州地域の赤潮構成プランクトンの種類、属別に出現率(%)を算出し、海域別に図17に示す。瀬戸内海では1988年頃からシャットネラ属の出現が、1995年からヘテロシグマが極端に減少傾向にあり、カレーニアの出現が1990年代に入って急速に増加を示している。一方、九州地域(主として九州西海岸からの記録)においてシャットネラ属は、依然として発生し続けており、2000年代から有明海や八代海において猛威をふるっている。

図17 瀬戸内海と九州の両水域における赤潮構成プランクトンの資料(水産庁 1982~1996年、水産庁1997)から算出した出現率(%)

 瀬戸内海における赤潮発生件数は1976年の299件をピークにしてその後次第に減少し、1990年代には100件前後となり、最高件数の約1/3にまで減少している(図18)。一方、備讃瀬戸における溶存態無機窒素及び無機リン濃度の経年変化(岡山県水産試験場資料;1975年-1986年までは2測点の平均値で示す)から、これらの濃度もまた1974年にそれぞれ約10μg-at/lと0.65μg-at/lの最高値を示した後、1980年には最高時の約1/3まで減少し、1990年の前半にピーク時の約1/2まで一時的に増加したが、現在再び減少傾向にあることが分かる。播磨灘北部の溶存態無機窒素及び無機リン酸塩濃度(兵庫県水産試験場資料;15測点での平均値で示す)は1980年以前には若干の相違が見受けられるが、1980年以降は備讃瀬戸とほぼ同様に推移を示している(図18)。備讃瀬戸や播磨灘北部ほどではないが、周防灘でも1985年以降から無機窒素濃度に漸減傾向が認められる(福岡県水産海洋技術センター豊前海研究所情報)。広島湾や燧灘における栄養塩濃度は1960年までは極端に低く、1960年代後期から1970年代初期にかけて急激に増加しており(Honjo 1994 28)、瀬戸内海では高度経済成長期に相応して栄養塩類の濃度が増加すなわち富栄養化が進行し、それに伴って赤潮の発生件数が増加したといえる。そして、窒素やリンの排水規制に関する1973年の臨時措置法とその恒久法である瀬戸内海環境保全特別措置法(1977年)の制定により栄養塩類の濃度が次第に減少し、赤潮の発生頻度も低下したと考えられる。

図18 瀬戸内海における富栄養化と赤潮発生件数との関係

このように、瀬戸内海全体においてピーク時から現在までの赤潮の発生件数と海水中に含まれる栄養塩類濃度の推移は同じような変化を示しており、両者間に密接な関係が認められる。香港においても人口の増加に伴う無機窒素およびリンの増加と赤潮発生件数との間に良好な相関が得られている(Lam and Ho 1989 29)。

図19 瀬戸内海、播磨灘における水温、栄養塩及び植物プランクトンの長期変化(西川哲也博士論文2010から本城が改変)

 図19に示すように、瀬戸内海播磨灘においても1980年代初期にシャットネラ属の赤潮発生件数が減少し、カレーニアの出現が急速に増加し、主要赤潮鞭毛藻類の交替が生じている。この原因として、両種の栄養要求には大きな相違があること、播磨灘の栄養濃度が低下していることから、栄養塩濃度の増減がシャットネラ属からカレーニアへの交替に密接に関係していると考えられる。
 1990年代の後半からヘテロカプサ赤潮が播磨灘というよりもむしろ瀬戸内海全域に発生するようになった(図19)。これも瀬戸内海における赤潮鞭毛藻類の交替として大きな出来事であった。1)貝の中に入ると形態変化して休眠状態になり、長期間、貝の体内に潜むことができる、2)1980年代にアコヤガイが南方から輸入された、3)30°C付近の高温下で最高の増殖速度を示すことから、南方性の特性を有する。これらを総合して本種は南方からの外来種であり、アコヤガイの輸入に乗じて侵入し、定着して西日本の海域で優占して赤潮を形成するようになったと推定される(ヘテロカプサを参照)。

図20有明海奥部の大潮時における貧酸素水塊の形成及びシャットネラの発生の経年変化(佐賀県提供)

 有明海における赤潮発生の実態を図20(佐賀県有明水産振興センター提供資料)に示す。佐賀県では1984年にシャットネラの1種という表現で、1mlに430細胞の最高細胞密度が最初に記録された。そして細胞密度に違いはあるが、1988年、89年、90年、92年、94年、96年、98年、99年、2000年、03年、04年、07年、08年に赤潮を形成している。一方、発生していない年もある。佐賀県海域では1980年代から、諫早湾では1998年頃から本種の赤潮が形成されるようになった。前者は福富国営干拓事業に、後者は諫早湾干拓事業による鉛直護岸の建設、その影響で流れが弱まった時期と相前後しているように思える。このように、有明海においてシャットネラ属は貧酸素水塊が形成されるような海水の停滞海域に発生する傾向にあり(図20)、貧酸素水塊の形成がシャットネラ属の出現をコントロールしているように思われる。しかし、貧酸素水塊には底泥から溶出した栄養塩類が豊富に貯留されるので、シャットネラの出現は、やはり、高栄養塩濃度に依存していると考えるのが妥当であるかもしれない。図19には小型・大型珪藻類の種類の交替も示しているが、これについては別途、述べることにする。
 外国ではカレーニア・ブレーベ(アメリカ合衆国)、ギロディニウム・オーレオラム(北欧)、クリソクリミュリナ・ポリレピス(北欧)、ヘテロシグマ(カナダ、アメリカ合衆国、チリー、ニュージーランド,フランス他)、オーレオコッカス・アノファゲフェレンス(アメリカ合衆国)、キートセロス属の大型種(カナダ)がサケ・マス養殖業に被害を与えている。この後の各論では、これまで我が国において魚介類に多大な被害を与えてきたシャットネラ属、カレーニア、コックロディニウム、ヘテロシグマおよびヘテロカプサ等の、我国で代表的な赤潮鞭毛藻類を中心に総説する予定である。

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