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review-01

ヘテロカプサ・サーキュラーリスカマ
(Heterocapsa circularisquama Horiguchi sp. nov.)
赤潮

香川大学 瀬戸内圏研究センター
本城凡夫

赤字の文献番号をクリックすると文献の著者名、発行年等が開きます。それを参考にして、各赤潮項目(例えば赤潮について、ヘテロカプサ)の文献リストを開けば、論文の掲載雑誌名等を知ることができます。

1.はじめに

 1990年が開けてまもなく、香川県赤潮研究所の吉松定昭博士から九州大学農学部に在籍していた私に対し、四国と九州地方で発生した渦鞭毛藻とラフィド藻に属す新たな2種類の赤潮生物〔後に、ヘテロカプサ・サーキュラーリスカマ(Heterocapsa circularisquama)とシャットネラ・ベルキュローサ(Chattonella verruculosa)として同定される生物〕の出現について高知県と福岡県の水産試験場を含めて、共同で1990年4月の日本水産学会春季大会で報告をしたいとの申し出があり、さっそく学会発表準備にとりかかったことを思い出す。その際、我々は浦ノ内湾に発生したプランクトンが福岡湾に発生した渦鞭毛藻と同一形態であることを確認した。しかし、この水産学会口演要旨ではヘテロカプサ・サーキュラーリスカマに対して「渦鞭毛藻類に属する長さが約20μm、幅約13μmの種で明らかに殻を有しているが、殻は薄く明瞭な鎧板構造を有していないため、まだ属のレベルの同定もなされていない」と記述するにとどまった。後日、福岡県水産試験場の山本・田中(1990 1)は東京大学農学部、福代康夫博士に種類の検索を依頼し、本種をHeterocapsa sp.であるとする助言を得、「大きさは長径が21μm、短径が18μm前後で、しばしば冬季に発生するヘテロカプサ・トリケトラ(Heterocapsa triquetra)と似ているが、後端の突起が見られないこと、殻が極めて薄く、分類の決め手となる鎧板の観察が困難であるため正確な種の決定は今後の課題である」とする論文を1990年に発表した。
 1992年8月下旬に三重県で本種の赤潮が発生した際、三重県水産技術センターは取りあえず、スクリップシエラ・トロコイディア(Scrippsiella trochoidea)とし、同定を北海道大学理学部の堀口健雄博士に依頼した。11月中旬に、堀口博士からHeterocapsa に近いとの返事を、さらに、12月にはHeterocapsaであり、種名同定のために鱗片を確認中であるとの返事を受けたため、それ以後、本種はHeterocapsaの1種として報告されるようになった。このように、日本各地で 植物プランクトンを観察してきた研究者達が、これまでに見たことも聞いたこともない生物に戸惑いを感じてきたが、ついにその決着が付いた。1995年、Horiguchi(1995 2)は正式に本生物をHeterocapsa circularisquama Horiguchi sp. nov.(以下、本種についてはヘテロカプサと属名のみで記す)と公表し、本種は貝類を殺す新種の赤潮生物として一躍脚光を浴びることとなった。ペリディニウム科に属す生物で長径20.0?28.8μm(平均23.9μm)、短径13.8?20.0μm(平均17.3μm)のサイズ幅で、形態は洋ナシ型をしていてセルロース質から成る鎧版を持ち、その上の粘液層に円形盤の鱗片を有し、縦横の鞭毛で回転遊泳し、遊泳の途中にキツツキ様の行動を示して遊泳方向を変えるのが大きな特徴である(図1)。また、細胞内に多数の共生バクテリアを有することも報告された。
 農林水産省南西海区水産研究所(現瀬戸内海区水産研究所)赤潮環境部は1994年度から始まる環境庁の新プロジェクト研究を起こすために、筆者を中心に1992年度後半から新規課題の模申請準備を開始し、水産庁及び農林水産技術会議と協議して、「渦鞭毛藻・ラフィド藻等新型赤潮の発生機構と予測技術の開発に関する研究」の課題名で環境庁へ国立公害防止試験研究機関等試験研究費を申請した。東京での予算化のためのヒヤリング委員会で、委員の一人から「新型赤潮は一過性であり、交通事故にあった様なもので、予算を通過させても発生しなかったらどうするのか」といった発言もあったが、私は今後も必ず拡大すると主張し、当時の環境庁の合意をとりつけることができた。

国の予算の多くは事故後に計上されることが多い。そのなかで、本研究は珍しく先行投資型研究となり、多くの成果を挙げて終了した。ヘテロカプサ赤潮発生の西日本全域への拡大と蔓延が進む中で並行して研究が進められたこともあり、環境庁は国会議員の質問への対応処理も円滑にできた。さらには、漁民による対策にも成果が取り込まれ、被害軽減と共に不安を静める効果があったことは何よりであった。

2.発生状況、被害および講じられた対策

 図2に示すように、ヘテロカプサによる赤潮は1988年に浦ノ内湾で最初に発生が記録されて以来、翌年に福岡湾、1992年には英虞湾に発生した。1993年に浜名湖に発生後、1994年には熊野灘や九州で出現もしくは発生が記録され、分布範囲は一気に拡大、ついには1995年に広島湾で、1997年には小浜湾や周防灘(馬場 1997 3, 江藤ら 1998 4)にも発生して、ほぼ西日本全域を覆うまでに到った。2008年まで、ヘテロカプサ赤潮は太平洋側では浜名湖以西、日本海側では小浜湾以西を北限としていたが、2009年11月初旬、新潟県佐渡市の加茂湖に発生し、日本海側の分布域はさらに北へと拡大した。こうした一連の発生域を整理してみると、発生海域には貝類の増養殖が営まれ、発生域拡大の傾向は飛火的であった。

 本種の赤潮は西日本海域で頻度高く発生しているが、被害額もしくは被害数量が公式に発表された件数は極めて少ない。これまでに発表された被害額を表1に示す。ヘテロカプサの濃密な赤潮の中を、天然魚や養殖魚が平気で遊泳し(山本・田中 1990 1)、昼間にヘテロカプサ赤潮によって酸素が海水に供給されることによって、ブリやマダイの摂餌行動が活発になったという報告(吉田・宮本 1996 5)からも、本種の赤潮は魚類には影響をほとんど及ぼさないと考えてよさそうである。また、二枚貝以外の無脊椎動物、カニ、ナマコなどにも斃死や逃避行動は全く認められない。このように本種の赤潮による大型生物に対する被害の特徴は、二枚貝と巻貝に集中的に大きな被害を与えることにある。

表1. ヘテロカプサ赤潮による被害額
水域金額
1988浦ノ内湾3-4.6億円(推定)
1992英虞湾30億円(確定)
1994楠浦湾1億円(推定)
1995広島湾3.25億円(確定)
1997広島湾2.2億円(確定)
1998広島湾38.79億円(確定)

 内湾域は、もともと波が穏やかで栄養分に富み、餌となる植物プランクトンが豊富であるため、貝類の増養殖業が営まれている。真珠養殖で有名な英虞湾における漁業被害は、当然のことながらアコヤガイに集中した。英虞湾での夏季におけるアコヤガイ母貝の平均的な自然死亡率は10?30%前後と言われているが、1992年の夏季赤潮後に報告されている20?60%という斃死率は例年に比べて2倍ほど高い。過去に、アコヤガイの大量斃死は、赤潮終期の貧酸素水塊の出現や硫化水素の発生等により引き起こされたことが報告されてきた。しかし、斃死が深刻であった1992年の赤潮時期に底層に貧酸素化現象は見られず、むしろ、酸素濃度は局部的に180%を超えるなど過飽和状態にあった。さらに、9月上旬の夏季赤潮消滅後に底層で貧酸素水塊が形成されていた期間、アコヤガイの閉殻行動などは見られず、むしろ活発な濾水活動が観察された。それ故、今回のアコヤガイの拒否反応や斃死は、貧酸素の影響というよりも、ヘテロカプサがアコヤガイに対し、何らかの生理障害を与えたためであると考えられた(Matsuyama et al. 1997 6)。
以下に、発生当初の各海域における状況を紹介する。
 (高知県浦ノ内湾)
 1988年9月4日、高知新聞は「浦ノ内湾のアサリに異変、目立つ死に貝」の見出しで、8月初めから部分的に発生していた赤潮が次第に湾全体へと拡大し、8月29日頃からアサリに異変が起こり始めたことを報じた。これがヘテロカプサ赤潮による被害を最初に伝えた記事である。同年9月9日、同新聞は「浦ノ内湾の赤潮、天皇洲は死貝の山、再開のアサリ漁大被害」として、引き続き被害の深刻さを伝えている(図3)。


図3.浦ノ内湾のアサリ斃死に関する1988年9月のふたつの新聞記事


?図4.ヘテロカプサ赤潮終息後、福岡湾西海岸に打ち上げられた貝殻 (福岡県水産海洋技術センター提供)
(福岡県福岡湾)
1989年8月、浦ノ内湾から遠く離れた福岡湾で、台風が去った後、海岸全域が死んだイガイ、アサリ、マテガイ等の貝殻で埋め尽くされた(図4上)。これは、福岡湾でこれまでに発生してきた赤潮では一度も観察されたことのない、異様な光景であった。写真(図4下)にはイガイ、アサリ、マテガイ等の貝の死骸が写っており、貝類に大被害を与える赤潮であることは一目瞭然である。山本・ 田中 (1990 1)が報告しているように、8月の中旬にヘテロカプサ赤潮が最初に観察されており、21日には湾奥部全域に拡がり、29日に終息している。浦ノ内湾と福岡湾で赤潮が発生した時点では、貝を殺す赤潮であることは知られていなかったし、突然の累々たる貝類の死骸の山に何らの対応を施す術もなかった。
(三重県英虞湾)
英虞湾においてヘテロカプサの赤潮は1992年8月中旬から9月にかけての夏と10月下旬から11月までの秋に発生し、アコヤガイに被害を与えた。図5は本種赤潮の現場写真である。この年以前に発生していた他の生物による数回の赤潮による被害はほとんどなかったため、夏の赤潮が発生した時に多くの真珠業者は「赤潮で貝は死なない」と考え、「貝が閉殻しているな」程度の認識でしかなかったようである。そのため、夏の赤潮に対する業者の対応は様々で、1)「赤潮で貝は死ぬことはない」と赤潮発生中も作業を続けていたり、2.「貝は口を開けないし、作業を控えておこう」と作業を中断したり、3.「取りあえず避難しておこう」という3者に分けられた。ほとんどの業者は、2番目の対応をとっていたようである。特に赤潮が濃密であった湾奥部の業者の一部のみが、3番目の対応をとり、運良く被害を免れている。秋の赤潮においても、当初、夏の斃死原因と赤潮との関係はあまり重視されず、細胞密度が低かったので、特別の対応はとられなかった。


図5.英虞湾の多徳島を背景に発生したヘテロカプサ赤潮
写真は本種の赤潮が赤褐色であることを示している。
(ミキモト真珠研究所 永井清人博士提供)

 1994年には再び英虞湾に大規模な本種の赤潮が発生した。この時は、1992年の教訓から、五ヶ所湾へアコヤガイの一斉移動が挙行された。これで斃死は免れたかと思われたが、不幸なことに、移動が終了したと同時に、今度は五ヶ所湾に本種の赤潮が発生してしまい、再び英虞湾に戻すという重労働の作業が重なってしまった。この年は猛暑であったことも災いして、不幸にも過労のために1名の死亡者を出してしまった。
(熊本県天草海域と楠浦湾)
 熊本県水産研究センターからヘテロカプサ赤潮の警報第1号が発せられたのは9月16日である。アコヤガイの次々の斃死に、年間生産額が50?70億円の楠浦湾の真珠経営体がパニックに陥った。同センターの吉田・宮本(1996 5)は本種の赤潮を9月6日に初めて観察し、その後、楠浦湾を中心にして本渡側と八代海側への広範囲に赤潮は広がり、9月20,23日頃に最盛期に到り、9月25日頃から急速に終息した。アコヤガイとアサリの斃死率はそれぞれ平均65.4%と69.6%と高いのに対し、赤潮が昼間の光合成によって酸素を供給したためにブリ、マダイなどの養殖魚の摂餌率が活発になり、斃死は全く見られなかったと記載している。


/図6.1994年に発生した楠浦湾におけるヘテロカプサ赤潮の推移(吉田・宮本 1996 5)

 (愛媛県宇和海)
 宇和海ではヘテロカプサ赤潮の発生事例は報告されていない。宇和海におけるアコヤガイの斃死の主因は貝柱や肉部が赤くなる赤変病であった(永井 2008 7)。しかし、病気で大被害を受 けた養殖業者はこれ以上の被害を受けないようにするために、ヘテロカプサの宇和海への侵入を恐れた。 
1994 年 12 月 22 日に愛媛県宇和海の漁業者が参集して開催された赤潮防御対策検討会議での決議は防御対策として非常に的を射た重要な項目を含んでいるので以下に決議文を掲載する。

決議文
 新型赤潮(ヘテロカプサ)の本県海域への侵入を未然に防ぐとともに、赤潮の発生や増殖を助長するような漁場環境を改善し、観測通報体制を整備して赤潮被害を最小限に食い止めるため、次の対策を真珠及び真珠養殖業者並びに関係組織が一体となって真剣かつ早急に取り組むことを本日ここに決議する。
 1)新型赤潮(特にヘテロカプサ)の侵入防御対策
既に発生を見ている海域で養殖された稚母貝及び黒貝の本県海域への持ち込みを、全面禁止する。
  (1) 現在は発生していないが、発生海域で養殖された貝が吊下されている海域で養殖された稚母貝及び黒貝の本県海域への持ち込みを、全面禁止する。
  (2) 発生した海域から、浜上げするための黒貝を持ち帰った場合は、本県海域には吊下しないで、全て陸上で処理作業する。
  (3)以上の措置を完全に実行するために漁協は、関係組合員に対する指導、監督を行うと共に監視体制を整備する。
  (4)各地の情報を交換し、今後の対策を協議するための連絡会議を早急に設置する。

 2)漁場環境の改善対策
  密殖を改善するための養殖個数の削減と、汚染防除のための対策を「宇和海を守り育てる推進会議」と一体となって早急かつ真剣に取り組む。
  赤潮の発生源のひとつである海底汚泥の実態を早急に調査し、その除去に取り組む。

 3)赤潮観測通報体制等の整備
  漁場状態を常時観測し、観測結果の収集と解析を行って関係者へ迅速に通報する体制を早急に整備する。
  赤潮発生時の緊急避難漁場の設置を推進する。

3.種間増殖相互作用

ある種の植物プランクトンの細胞密度が高くなると、細胞外に高濃度の代謝物質が水中に分泌される。その結果、他の種の増殖に影響が現れる。この種間の相互作用を「アレロパシ−(他感作用)」と称し、多くの成果が総説(Maestrini and Bonin 1981, Allelopathic relationship between phytoplankton species. p.323-338. In Physiological bases of phytoplankton ecology, Can. Bull. Fish. Aquat. Sci.210, Rice 1984. Allelopathy. 2nd edn. Academic Press. New York, Cembella 2003. Cemical ecology of eukaryotic microalgaein marine ecosystems.Phycologia, 42,420-447)されている。一方、細胞密度が高くなると他種細胞との細胞表面での接触が生じやすくなって、お互いの増殖が抑制されることもある。植物プランクトンの消長には,基本的に水中の物理・化学的な要因が深く関わっていることは言うまでもないが、栄養塩の豊富な閉鎖性の水域では必然的に細胞密度が高くなるため,ある局面では植物プランクトン種間の相互作用の影響が現れ易い。以下に述べる成果は「2種の植物プランクトンを培地の入ったガラス容器中で混合培養した場合と,それぞれの種類を単独で培養した場合との成長を比較する」という手法に基づいて得られた。

 ヘテロカプサを同じ渦鞭毛藻に属すギロディニウム・インストリアツム(Gyrodinium instriatum : GIと略す)と混合培養した場合,ヘテロカプサは対照すなわち単独で培養した場合と同程度の増殖を示すが,GIの増殖はヘテロカプサの存在によって著しく阻害された。さらに顕微鏡下で観察すると,それぞれの遊泳細胞同士が互いに接触した場合に GI 細胞の動きを止め,培養器の底に沈降することが確認された。沈降しても再び動き出す個体もあるが,接触を繰り返すうちにやがて細胞が崩壊して死滅する(図7,8)。なお,ヘテロカプサの培養液の濾液の中にGIの遊泳細胞を接種しても、GIは活発に遊泳していたので、ヘテロカプサは細胞接触によってGIを殺滅さることが判った。GI 以外の種であるヘテロシグマ(Heterosigma akashiwo)とユ−トレプティエラ(Eutreptiella gymnastica)も GI と同様に死滅することが確認された。先にも述べたように、これは古くから知られている水中に分泌された物質を介する植物プランクトンのアレロパシ−現象ではなく,細胞同士が直接接触して生ずる作用である(Uchida et al. 1995 8)。

図7.混合培養した場合のヘテロカプサ(HC)及びギロディニウム(GI)の増殖

上記の実験はいずれもヘテロカプサと相手の鞭毛藻類を同程度の細胞密度で接種させた場合である。しかしながら,相手の細胞密度が高い場合には,ヘテロカプサに対する影響は違ってくる。ギムノディニウム(Gymnodinium mikimotoi : GMと略す。その後、Karenia mikimotoiに属名が変更された)の接種密度を変えてヘテロカプサと混合培養した。その結果、ヘテロカプサとGMの接種密度を等しくした場合にGMは死滅したが,GMの接種密度をヘテロカプサの10倍にすると,逆にヘテロカプサの細胞は球形になって,培養器の底に沈降した。この場合,GMの増殖はヘテロカプサによって殆ど阻害を受けることはなかった。このようにして形成されたヘテロカプサの球形細胞を個々に取り出して培養すると再び球形細胞(一時性休眠胞子)は遊泳細胞に戻ることが確認された。ヘテロカプサはGMとの競合に負けたにしても決して死滅することはなく,かなりしたたかな生物であるといえる(Uchida et al. 1999 9)。


図8.ヘテロカプサ(D)との細胞接触によってギロディニウム・インストリアツム(A)の形態は変化(B)し、崩壊(C)する。

 珪藻類と鞭毛藻類との間には,古くから競合関係があると言われており,ヘテロカプサの場合も珪藻類の細胞密度が低い時に増殖する傾向にある。ヘテロカプサと珪藻類の相互作用についても培養実験で確認した。用いた珪藻はキ−トセロス(Chaetoceros didymus),ステファノピキシス(Stephanopyxis palmeriana),リクモフォラ(Licmophora sp.)の3種類である。その結果,ヘテロカプサは珪藻類と混合培養すると球形あるいは楕円形の一時性休眠胞子を形成し,培養器の底に沈降した(細胞の形態変化と形態回復過程の項を参照)。これに対してヘテロカプサと混合培養した時の珪藻類の増殖は単独で培養した場合と同じであった。混合培養した時の両者の様子を観察すると,ヘテロカプサは珪藻細胞の近くにくると遊泳運動が鈍り,やがて運動性を失って球形化した。最終的に,珪藻細胞の周りにヘテロカプサの一時性休眠胞子が多数形成されることになる(図9)。ヘテロカプサは珪藻類が繁茂している時には,球形化して海底に潜み,珪藻類が衰退すると速やかに増殖を始めると考えられる。


図9.珪藻類と混合培養した時に形成される球形のヘテロカプサ一時性休眠細胞。
Aはステファノピキシスと混合培養したとき、Bはキ−トセロスと混合培養したときに形成された一時性休眠細胞。

4.細胞の形態変化と形態回復過程

 これまでの研究において、1)ムラサキイガイの濾過速度は本種細胞を暴露すると低下するが、遠心分離等の物理刺激で形態変化を生ずる(Msatsuyama et al. 2001 10、2)珪藻類との接触によって増殖が抑制され、同時に形態も変化すること(Uchida et al. 1996 11)、3)貝の殻内に入って肉部に接触すると形態変化を起こし、形態変化した細胞を新鮮海水に分離して培養すると数日以内に形態が回復する(Honjo et al. 1998 12)ことが判っている。このようにヘテロカプサ細胞は環境条件の変化によって容易に脱殻して変形する。変形した細胞の貝に対する毒性は極端に低下する(Msatsuyama et al. 2001 10)。


図10.ヘテロカプサの細胞形態変化と形態回復過程の想定図
(図中の非遊泳細胞は文中の一時性休眠細胞と同じである)

 電気を海水に通電した実験で明らかになったヘテロカプサの形態変化、すなわち脱殻と殻形成過程の想定図(図9)を次に示す。遊泳細胞(1:栄養細胞)は短時間(数秒)の通電で鞭毛を消失して運動を停止した(2)。さらに通電を続けると鎧板(thecal plate)と薄板(pellicle)の間に空間が生じた(3)。次いで、鎧板を脱いで薄殻を最外層に有するダルマ状や楕円状の一時性休眠細胞になった
(4)。この細胞は新鮮培地中で1日培養すると薄板を脱いで(5)、中央部がややくびれて細胞質膜(cytoplasmic membrane)を最外層にもつ軟らかい細胞になり、縦鞭毛により遊泳した(6)。(6)の細胞から遊泳細胞(1)までの間に鎧板形成途中の細胞(9)が観察されるが、詳細な鎧板形成の過程は追跡できていない。楕円細胞(4)をさらに通電すると最終的に球形細胞に変形した(7)。なお、運動停止細胞(2)と(3)は条件が回復すると1日以内に遊泳細胞に回復した。球形細胞(7)からの形態回復には数日を要し、(6)と(9)の過程を経て遊泳細胞に回復する。そして、4)から(7)に至る過程で薄い膜から厚い膜へと発達するようである。
 連続通電して細胞形態を(4)と(7)まで変化させてしまうと、形態の回復までに1〜数日を要するようになる。殻を脱いだ細胞は弱毒化しており、この弱毒細胞を貝は摂食する。そのため、電気を利用することにより、ヘテロカプサ赤潮の発生防除や貝の被害妨除に応用できる可能性がある。
 ヘテロカプサは通電したり、塩分を低下したり、海底泥で薄く覆ったりすると簡単に脱殻して、一時性休眠細胞になる。貝の運搬に伴って遊泳細胞への回復は原海水を活性炭処理すると早くなるので、溶存有機物が非遊泳細胞から栄養細胞への回復を妨害している可能性もある。アコヤガイの生育海水に遊泳細胞を接種すると非遊泳細胞への形態変化も観察されたことから、有機物を認識することによって形態変化も生じることもあるようである。

5.生理・生態特性

 ヘテロカプサの増殖特性を培養実験下で調べた結果,増殖至適温度と塩分は、それぞれ30°C以上と30psu以上であり、現場観察と同じように高温・高塩分を好む種であることが判った(Yamaguchi et al. 1997 13)。30°C付近での増殖を詳細に調べた松山幸彦(2001. 有害渦鞭毛藻 Heterocapsa circularisquamaの赤潮発生機構と二枚貝に及ぼす影響に関する生理生 態学的研究 236p. 博士論文,九州大学)は 27.5~32.5°Cで高い増殖??度を示し、32.5°Cで最 高の増殖??度を、35°Cでは増殖??度が急に低くなることを確認している。水温や塩分が低下するほど増殖は悪くなり、水温10°C以下では全く増殖することができなかった(Yamaguchi et al. 1997 13)。しかし、10°Cではすぐに死亡することはなく、一週間程度は遊泳細胞で存在していることが観察されている。従って、おおよそ10°C以上に保たれている海域で、本種は遊泳細 胞の状態で越冬できる可能がある。


図11. 日本における代表的な赤潮生物の水温と塩分に対する増殖特性

 これまで日本沿岸で赤潮を形成し、甚大な漁業被害を及ばしてきたシャットネラ属ギムノディニウム属、ヘテロシグマ属などは、水温が20から25°Cの範囲で最大増殖速度を示し、30°Cに達すると急激に悪くなる(図12)。塩分も25から30psuといったやや低塩分側で最大増殖を示す種が多い。本種は1986年と1987年に香港のTai Po KauのYang Shae Auで、それぞれ赤潮を形成していたことが、香港漁農自然護理署に保管されていた固定標本を調べて確認された(岩滝ら 2002 14, Iwataki et al. 2002 15)。高温を好むことや南方での赤潮形成の事実を考 慮すると、ヘテロカプサは元々温帯域より亜熱帯・熱帯域の環境に適した増殖特性を有していると考えられる。しかしながら、海域によっては10月から11月といった秋季に発生することもあるので、広温牲の増殖特性も有しているものと思われる。例えば、瀬戸内海海域では秋季の発生が多く、1995年の広島湾においては、12月の初旬まで赤潮が継続したことがある(図17)。 
 本種はリン源として多くの有機態リン化合物を利用することが出来る。本種のアルカリホスファターゼ活性は他の植物プランクトンに比較して高く、海水中のリン酸エステルを活発に分解して利用することができる(山口 1996.新型赤潮生物Chattonella verrculosaとHeterocapsa circularisquma の栄養塩利用特性.「渦鞭毛藻・ラフィド藻等による新型赤潮生物の発生機構と出現予測技術の開発に関する研究」平成7年度研究報告書.南西海区水産研究所, pp.5-9.)。従って、本種は無機リンが低濃度でも、有機リンがあればこれを利用できるので、有機リンの利用能が低い種に比較して増殖上有利であると考えられる。実際の現場では、夏季の表・中層で有機リン濃度が全体の40%程度存在する例がある(松山・内田 1997 浦 ノ内湾における新型赤潮プランクトンの消長と環境要因の関係について.「渦鞭毛藻・ラフィド藻等による新型赤潮生物の発生機構と出現予測技術の開発に関する研究」平成8年度研究報告書.南西海区水産研究所, pp.49-59)。また、本種の最小細胞内窒素・リン含有量は、従来からの代表的な赤潮原因種であるシャットネラ(Chattonella antiqua)およびカレーニア(Karenia mikimotoi)に比較すると、それぞれ窒素で17%、43%、リンで14%、36%であり、かなり低い値である(Yamaguchi et al. 2001 16)。これは本種が一定の細胞密度に達するために必要な栄養塩量が従来型の赤潮原因種に比較して少なくて済むことを示している。すなわち、本種は従来種と比較するとやや貧栄養的な環境にも適合した生理特性を有しており、富栄養化が改善される段階においても十分に赤潮を形成する能力が高いものと推察される。
 植物プランクトンの相互作用で述べたように栄養細胞は高密度の珪藻類の細胞と接触すると一時性休眠細胞を形成する(図9)。また、ヘテロカプサが貝に摂食されて、鰓や外套膜などの組織表面と接触することでも一時性休眠細胞が形成されるし、貝はそれらを粘液に包んで偽糞として放出することが室内で観察されている(図12)。これら偽糞は速い速度で海底へ落下する。
 容器中で栄養細胞を泥で薄く覆うと栄養細胞は一時性休眠細胞になる。図13は数日経過後に泥の隙間から見えるブドウの房状に集まった休眠細胞である。図14は泥を除去した後の休眠細胞群であり、その中には分裂中らしき休眠細胞も観察された(図15)。赤潮発生機構を論ずるうえで、この一時性休眠細胞を無視することは出来ない。英虞湾から採取して海底泥の中から本種の休眠細胞が多数観察され、泥と海水を混合して培養すると本種に酷似した細胞の増殖が確認されている(永井ら 未発表)。

6..赤潮発生機構

 ヘテロカプサ赤潮は主に黒潮や対馬暖流の影響が強い西日本の閉鎖海域に発生している。赤潮が頻発する湾の特性としては、英虞湾、浦ノ内湾、広島湾のように極めて閉鎖性の強い内湾があげられる。こうした海域においても、複雑な入り江や内湾の奥部などの海水が停滞しやすい所で局地的に赤潮を形成し、やや沖合や海峡部での発生は少ない。赤潮頻発域は英虞湾では立神浦など、広島湾では大野瀬戸や江田島湾など、海水交換が最も低い海域とほぼ一致している。このような閉鎖海域でも、小潮の時に 細胞数を増加させ、大潮の時に激減するなど、海水交換に個体群の動向は著しく左右される(図16)。海水交換と赤潮発生との関係は有害赤潮渦鞭毛藻カレーニア・ミキモトイにおいても認 められており、赤潮渦鞭毛藻に共通した現象である。内湾域は、もともと波が穏やかで栄養分に富み、植物プランクトンが豊富であるため、貝類生産にとっては適地である。二枚貝の養殖場とヘテロカプサ赤潮発生海域が重なることは大変に皮肉なことである。
 海水が着色する現象を赤潮と呼ぶが、ヘテロカプサの場合、どの様な色でどの程度の細胞密度から着色が確認されるのであろうか。松山幸彦(2001.前出.博士論文)によれば、目視で赤褐色の着色が識別できるのは700cells/ml以上であり、2000cells/mlを超えると鉄さびやココアのような濃厚な赤褐色を呈するという(図5)。以下、松山幸彦氏の博士論文を主として引用しながら発生環境特性について記述する。

図16.1997年大野瀬戸におけるヘテロカプサ細胞密度の推移.小潮時に細胞密度が増大し. 大潮時に減少しているのか分かる

本種の赤潮発生時期を英虞湾で整理すると、最も発生頻度が高いのは、7月から10月の高水温期で、水温22-30°Cの範囲で観察されている。また、赤潮発生時期の塩分はほとんどが30psuを越えている。英虞湾は河川流入量が少なく、外洋に面している。一方、広島湾でのヘテロカプサ赤潮の発生時期も英虞湾と同様に8月から10月であるが(図17)、塩分は英虞湾に比べて湾奥では低くなることがある。


図17. 西日本海域におけるヘテロカプサ赤潮の発生時期

図18.英虞湾における4層での水温変化。赤潮発生前に表層と底層水温が同じになっており、鉛直混合のあったことを示す。

図19.台風の通過で強い南風が吹いて生じた英虞湾における鉛直混合

 また、大規模な赤潮発生時の特徴を見ると、赤潮発生の7~10日前に台風襲来による著しい海水の鉛直混合が見られる場合が多い(図1 8、19)。1988年の浦ノ内湾では、大潮による湾外水の急激な差込現象が、ヘテロカプサ赤潮発生の引き金となっているし、楠浦湾(吉田・宮本 1996 5)や英虞湾(松山ら 1995 16)からも鉛直混合後の赤潮発生が報告されている。これら一連の鉛直混合は、第一に底層からへテロカプサの初期増 殖個体群の出現を引き起こし、さらに、高塩分かつ栄養塩に富んだ底層水が増殖の中 心域である表・中層にまで供給されることで、増殖が促進されるものと考えられている。河川水の影響が強い広島湾では、夏季に増殖中 心域である表・中層で塩分が比較的低いためか、夏季にヘテロカプサ赤潮の発生は少ない。 <br>また、夏季赤潮と鉛直混合との関連は明瞭ではない。元々、広島湾の栄養塩類は豊富であるため、鉛直混合による底層からの栄養供給は必要でないかもしれない。一方、成層が崩壊し,鉛直混合が始まる雨の少ない秋に表・中層付近で高塩分化と栄養塩濃度の上昇が進行することにより、小規模な赤潮を形成することが多い。
 このように,ヘテロカプサの夏季の赤潮は、鉛直混合による高塩分化と栄養塩濃度の増加が引き金となること考えられる。秋季は水温が低いために分裂速度も低いので、この時期の海水交換の低下が赤潮形成の基本条件となる。同属異種であるヘテロカプサ・トリケトラ(Heterocapsa triquetra)赤潮が、鉛直混合により引き起こされることが知られており、ヘテロカプサ属の赤潮形成には海水の鉛直混合が密接に関係しているものと思われる。


図20.西日本における発生海域が急速に広がり始めた頃のヘテロカプサ赤潮の発生件数の推移

 図20ヘテロカプサ赤潮が日本で発生し始めた頃の発生件数の推移を示す。ヘテロカプサ赤潮の発生は、1980年代後半から発生しはじめ、90年代に入って急激に増加していることが分かる。この長期的な赤潮発生の原因のひとつとして、暖冬の影響が考えられる。例えば、90年代の広域かつ大規模な赤潮は、1994年、1995年および1997年で、小規模だったのは1996年である。大まかではあるものの、暖冬の翌夏から秋に大発生しやすい傾向にある。本種は一時休眠細胞を形成するが、今のところ環境耐性の強いシストは観察されていない。基本的には遊泳細胞のまま越冬しているものと考えられている。ヘテロカプサはこれまでの赤潮生物と比較すると、10°C以下の低温では全く増殖することができず、冬季にかなりの遊泳細胞が死滅していると思われる。この冬季に生き残った細胞が翌年の赤潮のシーズバンク(埋泥種子群)として重要であると考えられているので、近年の冬季の水温上昇が本種の蔓延を助長している可能性が高い。同様な知見は従来種であるカレーニア・ミキモトイでも指摘されており、遊泳細胞で越冬する渦鞭毛藻に共通した現象であると考えられる。

 周知の通り、西日本では80年代後半から断続して著しい暖冬傾向が続いている。実際に日本沿岸では1980年代後半から沿岸域の冬季水温が上昇傾向にあり、レジームシフト(構造転換)のひとつとして魚種交代が起きている海域もある。日本各地の気温、海面気圧、降水量などが1950年頃に一斉に変化した「気候ジャンプ」が1986年に明らかにされ、10年規模かつ地球規模での気候と海洋生態系の変動をレジームシフトと呼ぶようになった気候の影響を受けやすい瀬戸内海海域でも、近年は冬季水温が上昇傾向にあると推察される。90年代に入って熱帯・亜熱帯の生物(例えばミドリイガイ Perna viridis)が日本沿岸で確認されることが多くなっており、冬季水温の上昇が生態系に与える影響についてはさらなる調査が必要である。
 種間増殖相互作用、細胞の形態変化と形態回復過程および生理・生態特性の項で述べた内容を加えて、赤潮発生機構を次に想定してみたい(図21)。
 ヘテロカプサの栄養細胞は冬季には滅多に観察されない。広島湾では12月末まで観察されているが、その後は不明である。そして、水温が15°Cに上昇する春が到来すると観察される機会は多くなる。温度の上昇と共に細胞分裂が盛んになることは図11からも明らかである。珪藻類の細胞や貝と接触した栄養細胞の一部は単独で休眠細胞になるので泥に埋まらないまま殻を脱いで栄養細胞にすぐに復活するので、他の赤潮生物と違って、海水中の栄養細胞は急速に増加する。一方、偽糞として海底に落下した休眠細胞の一部は泥の中に埋まる。養殖場では周辺の栄養細胞を養殖貝が濾過するので、莫大な偽糞が生産されて泥の中に埋まっている。これは海水の流れによって他の水域に拡散されることはなく、そのまま休眠細胞はその場所に集積されることを意味し、すぐに復活することの出来る赤潮のタネを保存していることにもなる。

 前述したように、夏の赤潮では台風などの強風が吹いて鉛直混合が生じた後に発生することが記録されてきた(松山ら 1995 16)。海底から栄養物質が海水中に供給され、海水中の栄養細胞の増殖を促す(神谷ら 1996 17)。同時に海底に埋まっていた休眠胞子も泥粒子から開放されて殻を脱いで発芽して栄養細胞になり、増殖する。これにより、細胞密度が一気に高くなって、短期間の内に赤潮が形成されると想定される。


図21.ヘテロカプサ赤潮発生機構想定図

 秋の赤潮は表層の水温が低下して成層が崩壊する時期に相当すると思われる(内田ら 2000 18)。水温が低下すると増殖速度は遅くなるが、泥の中に埋まった休眠細胞が加入すれば当然のことながら細胞が補給されるので、赤潮の形成は容易であると思われる。要するに秋の赤潮も夏の赤潮の発生機構には混合を引き起こす事象が異なるだけで他の過程は同じと想定しても良いであろう。
 夏季には多くの海域で、他の生物による赤潮も発生する。どの種類の赤潮生物が増殖して赤潮を形成するかは、水温・塩分などの物理条件、栄養塩の構成比率などの化学条件、さらには有機物によるアレロパシーや細胞接触作用などの生物条件が微妙に作用して決定されるはずである。しかし、貝類養殖場では貝が周辺のヘテロカプサを含む植物プランクトンを集めて偽糞や糞を排出する際に、他の多くの赤潮生物の細胞は崩壊するが、ヘテロカプサの細胞は一時性休眠細 胞になって生き残るため養殖場に蓄積され、そこに鉛直撹拌混合が生ずることによって、一気に休眠胞子が発芽するので他の生物に比較して圧倒的に赤潮を形成しやすいように思える。
 昼間は上層に、夜間は下層に移動する日周鉛直移動が観察されている(Haraguchi et al. 2010 19)。にもかかわらず、昼間でも下層に定位していることがあり(永井清仁 2006. 日本産アコヤガイの異常へい死原因, Heterocapsa circularisquamaの赤潮と赤変病に対する被害軽減方策に関する研究博士論文九州大学)、本種の日収鉛直移動に関する情報は不足している。

7.魚介類に及ぼす影響

英虞湾において初めて発生した1992年のヘテロカプサ赤潮は養殖アコヤガイを直撃した。また、2年後の1994年にも大規模な赤潮が再発し、同様にアコヤガイに多大な被害を及ぼした。1992年夏の赤潮では英虞湾全体のアコヤガイの斃死率が赤潮期間中で30から60%と平年の2倍以上に達し、全滅した場所もあった。その後、赤潮は9月に一旦終息したものの、10月に入って再増殖をはじめ、秋の赤潮を形成した。この時も、濃密な赤潮が継続した湾奥部の養殖場においては、アコヤガイのほぼ全滅が報告されている。秋の発生ではヘテロカプサが50から200cells/mlの低密度で存在し、海面はそれほど着色していなかった時に、餌料となる珪藻類が多いにもかかわらず、アコヤガイ母貝は堅く閉殻した状態が長く続き、外套膜の先端部は引っ込んで貝殻先端の成長は停止していた。母貝の外套膜中のグリコーゲンは次第に減少し、消化盲嚢は乳褐色(正常なものは、濃い茶褐色)を呈していた。このことは海水中に餌料となる植物プランクトンが豊富であっても、ヘテロカプサが低密度で混在しているだけで、アコヤガイの摂餌活動に深刻な影響を及ぼすことを示している。ヘテロカプサの細胞密度がさらに高くなると、こうした症状は急速に進行して、麻痺状態(開殻した状態で刺激に対する応答が鈍化する)に陥り、ついには斃死に到る。
 斃死した貝は一見したところ飢餓に近い症状を示してはいるが、外套膜のグリコーゲンを残しながら短期間に斃死する場合も多く、単なる飢餓と衰弱のみで、貝が斃死しているとは考えられない。ヘテロカプサで衰弱した母貝を、赤潮が発生していない海域に移すと、多くの貝は速やかに開殻して摂餌活動を始め、消化盲嚢の色も元の色に戻り、正常時の生活状態にまで回復する。つまり、餌料の有無に関係なく、ヘテロカプサが海水中に存在すると、アコヤガイは摂餌活動を停止し、拒否反応を示しながら急速に衰弱することを示している。そこで、殻が透明であるので細胞器官の動きを観察できるアコヤガイ稚貝(殻高約2mm)を用いてビデオに撮影しながらヘテロカプサを暴露した後の内部の様子を追跡した。アコヤガイ稚貝に本種赤潮プランクトンの培養株を50,000cells/mlの高密度で与えたところ、貝は以下のような反応を示した。ヘテロカプサ細胞を暴露前は鰓も外套膜も正常な位置(図22A)にあるが、細胞に接すると稚貝は直ぐに激しい貝殻の開閉運動を示して、貝体内部に入ってくるヘテロカプサ細胞を排除しようとする。その後、外套膜や鰓の収縮が始まり(B)、貝殻を堅く閉じてしまう。ついには、外套膜と鰓は収縮してしまい、2分以降から心臓搏動は不整脈を繰り返した後、3分後には完全に停止して麻痺状態(開殻状態になる)に到る(C)。不整脈が現れるまでの2分間で7回の外套膜の収縮がしょうじた(図23)。稚貝の顕著な斃死は3,000cells/ml以上において観察され、ヘテロカプサが10,000cells/mlおよび20,000cells/mlでは、それぞれ48時間後と24時間後に半数が斃死した。
 一方、成貝も、稚貝と同様に筋肉の収縮(筋電図で判断)、心拍数の異常(心電図で判断)等を引き起こしながら斃死し、現場の赤潮で頻繁に観察される5,000cells/ml以上の濃度では、24時間以内に半数の個体が斃死した(図24)。こうした実験をアコヤガイ以外の貝類、例えば、カキ、アサリ、ムラサキイガイなどを用いて行ってみたところ、すべての二枚貝がアコヤガイと同様の症状を引き起こすことが確認された。斃死に到る期間は貝の種類によって多少異なるが、概ね5,000から10,000cells/mlを越えると短期間で斃死することが確認されている。以上の結果から、ヘテロカプサ赤潮で二枚貝が斃死するのは、高密度の赤潮による物理的な窒息、あるいは酸素欠乏などの影響ではなく、ヘテロカプサ自身が直接貝の健康状態を悪化させるためと考えられる。


図23.アコヤガイ稚貝にヘテロカプサを50,000cells/mlで暴露した時の心拍数の時間変化。図中の矢印は外套膜の収縮を示す。

図24.ヘテロカプサがアコヤガイ稚貝の斃死に及ぼす影響白丸は24時間後、黒丸は48時間後の斃死率を示す。

 貝はヘテロカプサが、わずか10から50cells/mlで存在するだけで、餌をほとんど食べなくなることが判っている。このことは、1992年、英虞湾において、アコヤガイの餌となる珪藻が豊富に存在するにも拘わらず、ヘテロカプサがわずか50?200cells/ml存在するだけで貝が閉殻して餌を食べなくなったという観察結果とよく一致している。
 また、ヘテロカプサの暴露によって心拍の異常が短期間に引き起こされた。そこで、ヘテロカプサに対するアコヤガイ母貝の心臓搏動への影響を、心電図を用いて詳細に解析したところ、2,000cells/ml以上を超えると短時間で心拍数の低下がおこり、10,000cells/mlを超えると急激に心臓搏動の停止が認められた。拍動の停止が数時間を越えると、ほとんどの場合、回復することなくそのまま斃死する(以上、永井清仁 2006 博士論文)。
 上記の実験は23°Cの条件下で実施されている。松山幸彦(2001 博士論文)はヘテロカプサとムラサキイガイを一ヶ月以上15、20、25°Cに培養・飼育して順化した。ムラサキイガイに同じ温度に順化したヘテロカプサを暴露して一週間飼育して斃死率を調べたところ、25°Cでは一週間で70%の圧倒的に高い斃死であったのに対して、15と20°Cでは20から30%までの斃死にとどまった。同様の方法で塩分28、30、32、34の海水にムラサキイガイとヘテロカプサを順化した実験では34での6日目の斃死率が約80%と最も高く、塩分が低くなるに連れて率は低下して塩分28と30では20%であった。窒素とリンの添加による斃死への影響も興味深く、窒素とリン制限下で14日間培養したヘテロカプサを、21°Cに順化したムラサキイガイに暴露した場合、窒素制限下に順化したヘテロカプサに比較して、6日目での斃死率は数%にとどまったが、窒素とリン添加あるいはリン制限では50-60%が斃死してしまった。これらの結果は高水温、高塩分、リン制限下で斃死率が高く、産地によっても毒性が異なることを示しており、夏季のヘテロカプサ赤潮での斃死率が高いこと、さらには夏季の赤潮であってもリンが制限なった赤潮では斃死率が高まることを示唆している。斃死率の差はヘテロカプサの毒生成の多少に依存していると思われるが、今後の研究が必要である。
 松山幸彦(2001 博士論文)は5水域から分離した株を使って、株間の毒性を調べた。結果として、産地によって毒性が異なり、英虞湾、五ヶ所湾、浦ノ内湾からの株に比較して、広島湾と伊万里湾株は毒性の弱いことが判明した。先述したように、毒の強さは水温、塩分、栄養塩等によって変化することから、環境因子の関わりに注目する必要があろう。例えば、伊万里湾のテロカプサは毒性が弱く、赤潮を形成しても被害は報告されていない。
 ヘテロカプサが貝に害を及ぼす元凶は何か?様々な角度から調査が実施された。まず、濾過液には悪影響を及ぼす因子は全く認められず、ヘテロカプサは毒性物質を細胞の外へ分泌していない。また、ヘテロカプサが外套膜や鰓に接触すると瞬間的に貝の筋肉は収縮することから、ヘテロカプサの細胞表面に、その作用部位は存在していることを示している。さらに、細胞が脱殻して細胞が形態変化した時に毒性が失われることは前述した。
 細胞表層に局在している毒性物質は、物理・化学的処理で失活してしまう。界面活性剤SDSはタンパク質をペプチドに乖離させる作用を有しているが、ヘテロカプサ遊泳細胞の形態が変形しないような濃度に希釈したSDS処理すると、貝に活発に摂食されるようになることから、細胞表面の毒性は失活したと判断される。また、他の糖タンパク質合成阻害剤でも毒活性は低減してしまうので、毒性標的物質はタンパク質様物質であることも推定された。そこで、アセチルコリン、ドーパミンン、モノアミン類あるいは生理活性ペプチドに敏感に反応するムラサキイガイの足糸牽引筋にヘテロカプサを高細胞密度で暴露したところ、筋の収縮に変化はなかったので、モノアミンや生理活性ペプチドが標的物質ではない。それに反して、グルタミンレセプターなど種々のアミノ酸レセプターを多数有しているアカニシ牽引筋への暴露では小刻みに収縮を繰り返す異常反応が認められた。この結果は細胞表面に局在している毒物質がやはりペプチドもしくはタンパク様物質であることを示している。残念ながら、この物質は分離・精製の過程で失活してしまうので、未だ同定には至っていない。
  マガキ未受精卵にヘテロカプサ5000cells/mlを暴露すると、卵膜の一部が膨張して細胞質が剥離し、その後亀裂が入った形態異常卵が急激に増加した。マガキの胚や幼生でもそれぞれ2000cells/mlと100cells/mlから死滅が始まった。この細胞崩壊の過程は種間相互作用の項で述べた、ヘテロカプサによるギロディニウム・インストリアツム細胞の崩壊の様子はマガキの胚や幼生の場合と類似していることから、細胞の崩壊機構は恐らく同じであろう。ヘテロカプサの攻撃を受けて斃死しつつある二枚貝のトロコフォア幼生をカルシウム結合性蛍光試薬であるFura-2という染色剤で染色すると、幼生の表面に突起物がこぶ状に飛び出し、この突起物は強い蛍光を発することが分った(松山:博士論文?)。元気な細胞はほとんど蛍光を発することはない。この試薬は細胞内のカルシウム(Ca)と結合して、強い蛍光を発する。このことから、ヘテロカプサに攻撃された二枚貝の幼生の細胞内にCaイオンが流入したことを示し、膜の恒常性が失われた可能性がある。成貝で見られる瞬間的な筋肉の収縮なども、やはりCaの流入により引き起こされていると思われる。要約すると、細胞膜でCaイオンの恒常性が壊れて神経系が異常をきたし、貝の鰓や外套膜が激しく収縮し、心臓拍動が不規則になり、最終的に停止して斃死するという機構が想定される。すなわち、この一連の過程のいずれかで心筋にエネルギーを送り込む能力が損なわれて心臓拍動障害が生じ、これが数日間連続すると死亡に繋がることを意味している。多くの貝の斃死は呼吸障害ではなく、心臓拍動障害によって死亡していると思われる。
 松山(未発表)は多くの動物にヘテロカプサを暴露して、ヘテロカプサによって影響を受ける強さを下記の表のように整理した。++と+の記号はそれぞれ「斃死など著しく影響を受ける」と「斃死はしないが影響がある」ことを示す。

表2 ヘテロカプサによって影響を受ける生物、++は強く影響を受ける、+は弱い影響を受けることを示す。
 二枚貝++(成貝から未受精卵まで致死的作用、精子のみ影響なし)
 巻き貝++(アワビ、トコブシ、サザエ等々半日以内に斃死)
 ホヤ+(エボヤで濾水活動の阻害あり。斃死は起こらない)
 クラゲ+(触腕の継続的収縮、新鮮海水に戻すとすぐに復活)
 繊毛虫++(種類によっては影響を受けないことが確認されている)

8.赤潮発生の予察

 現段階ではヘテロカプサ赤潮を現場で人為的に退治して水産生物を守るための対策法は開発されていない。魚類養殖の場合,餌止めや粘土散布等で斃死率を抑える対策がとられているが、貝類養殖の場合、対象生物を赤潮海域から避難させる以外に適切な方法はない。ヘテロカプサ赤潮の恐いところは、着色には到らない低細胞密度(20-50cells/ml)から二枚貝の摂餌活動や呼吸活動などに悪影響を及ぼし、発生期間が長期に亘ると衰弱や斃死が生じる。さらに、1ml当たり数千に達する高い細胞密度になると僅か1〜2日で貝を斃死に至らしめてしまうほどの強い毒性を有している(Nagai et al. 1996 20,Nagai et al. 2000 21)。ヘテロカプサは形態を変えて貝の中に潜み、貝の運搬により新たな海域へと分布を拡大する(Honjo et al. 1998 12,Imada et al. 2000 22,Imada et al. 2001 23)。そのため、赤潮状態になってから養殖貝を避難させても一緒に運ばれるヘテロカプサ細胞の数が多いので、移植先で再び赤潮を形成する厄介な生物でもある。従って、赤潮による被害軽減を図るには、できるだけ低い細胞密度の段階で養殖貝を赤潮発生海域から同じ湾の発生の少ない海域へ避難するなどの早期の対応が望まれる。
 赤潮の発生を予察するためには、赤潮のシーズとなる海水中の遊泳細胞や泥中の一時休眠細胞の分布、冬季水温の傾向、水温・塩分の推移などの環境項目などを普段から把握しておくことが大切である。また,夏の大規模赤潮発生時には赤潮発生の1)一週間から10日前に強風(台風)による著しい鉛直混合があり,2)渇水による高塩分化に3)競合生物である珪藻類の減少など一連の特異な現象が深く関わっているので,これらの現象に注目することで、赤潮の短期的発生予察を行うことができる。秋の赤潮は表層水温の低下に伴って4)躍層が崩れて鉛直混合が起きた後に発生するので、注意が必要である。本種の赤潮は海水交換率が著しく低い海域で頻発しやすいので,こうした海域における1)から4)の綿密なモニタリング体制の確立が本種の赤潮発生予測に有効である。
 こうした事象とは異なり、1988年に浦ノ内湾では大潮による外洋水の急激な差し込み現象が、1994年の楠浦湾では発生前の浚渫が風に代って鉛直混合を起こし、これがヘテロカプサ赤潮発生の引き金になったと考えてよい。重ねて述べることになるが、これら全ての事象によって生じる鉛直混合は、底層からヘテロカプサの初期増殖個体群の出現を促し、さらに、高塩分かつ栄養塩に富んだ底層水が表・中層にまで供給されることで、増殖が促進され一気に赤潮まで発達するものと考えられるので鉛直混合は本種の赤潮の発生を予察するうえで重要な指標である。
 次に、貝リンガルによる赤潮の発生予察について紹介する(Nagai et al. 2006 24)。アコヤガイなどの二枚貝は、海の中で動かずに静かな生活活動を営んでいることから、「あの人は貝のように無口である」などと、おとなしい人を貝に例えて表現することが多い。しかし、実はそうではなく、よく話(ゆったりした殻体運動)をしていることが判り始めてきた。周囲のプランクトンや水質環境の様々な異変に対する防衛のために頻繁に殻体の開閉運動を行っているのである。この様子はあたかも貝が話をしているように見える。しかも、この運動応答は貝にとって都合の悪い環境要因によってそれぞれ異なるので、貝自身の危険を異なる言葉で我々に報せているようである。
 アコヤガイはヘテロカプサを低細胞密度で暴露すると直ちに激しい殻体の開閉運動を示して貝の体内部に入ってくる細胞を排除しようとする。この殻体運動を、実際の内湾海域において正確に測定することが出来れば、ヘテロカプサ赤潮の初期発生の監視が可能となる。顕微鏡観察によるこれまでの本種赤潮の監視は細胞サイズが小型で、しかも細胞形態が容易に変化することなどから多大な労力を必要としてきた。従って、都合の悪い環境に応じて貝の殻体応答を測定することができれば、いち早くヘテロカプサ細胞の出現をキャッチすることができる。加えて、貧酸素水塊や硫化水素の発生なども殻体運動による貝の話によって報せてもらうことができ、養殖貝の健康管理に常に気を配っている業界にとっては大きな朗報となるはずである。
 二枚貝における貝殻の開閉運動を測定する方法としては、キモグラフ、ストレインゲージ(図25)、小型コイル、筋電図(図26)などが用いられてきた。しかし、これらの方法は、貝へのセンサー装着に高度な技術と熟練が必要なこと(筋電法)、センサーを装着することによって貝に過度な負担をかけること(ストレインゲージ法)、耐久性に乏しい(筋電法と筋電法)などの問題点があった。最善の方法は貝にとって自然な状態で、養殖海域で長期に亘り安定して殻体開閉運動を測定できることである。そこで着目されたのが磁電変換素子であるホール素子センサーであった。


図25.ストレインゲージ法

図26.筋電法

図27.ホール素子センサー法

 ホール素子は磁力の変化に応じて電流を電圧(電気的信号)に変換することができる。このホール素子センサーをアコヤガイの左殻の殻体外面先方部に水中硬化型エポキシ樹脂で固定し、反対側の右殻外面の同位置に小型フェライト磁石を同様に接着剤で固定する(図27)。そして、殻体の開閉状態によって生ずるセンサーと磁石間の距離に応じた磁力の変化を電流から電圧に変換し、それを電気信号として連続的に記録する。その結果、貝に人為的な負担をかけない、自然な状態で海水中の二枚貝の殻体運動を正確に測定できることが分かった。この方法は貝へのセンサー装着も簡単で、耐久性にも優れ、長期間に亘り安定した連続測定を可能にした。図28の右下に図で示しているように養殖漁場の海水中に垂下されたアコヤガイに取り付けたホール素子センサーからの信号を受信装置(貝リンガル)に取り込み、データ収集と異変時に携帯電話などで管理者に警報通知をおこなう。図28の左側写真のように本装置は防水機能を持ちコンパクトである。貝リンガルは1)小型ソーラーシステム電源を採用、2)異常時警報出力とその時のデータをEメールで陸上へ送信可能、3)1箇所の養殖筏上で同時に8個体の測定が可能などの特徴を有する。


図28.ホール素子センサーを装着した貝の吊り下げ図と筏の上に設置された貝リンガルから発信された無線のパソコンへの受信

 ヘテロカプサがアコヤガイの殻体運動に及ぼす影響について、室内実験で詳細に調べた。濾過海水を満たした室内水槽でセンサーを装着したアコヤガイを飼育して貝殻の開閉運動を測定すると、内湾海域の正常な水質環境中と同様な殻体運動を示す。それに対して、ヘテロカプサの細胞密度が約50cells/mlである海水をアコヤガイに暴露すると、激しい殻体開閉運動を示すスパイク波形が連続的に現われ、スパイクの著しい増加が認められた(図29)。スパイク時間は多くの場合20?75秒の範囲であり、スパイク回数は1時間当たりに24回以上の頻度で現れた。ヘテロカプサ暴露時の殻体応答によって生じた連続した特徴的なスパイク波形は他の植物プランクトンでは生じなかったことから、海水中のヘテロカプサの存在によって生じる極めて特異的な波形であるといえる。実際の内湾海域においても、この特異的な殻体応答が観察されるかどうかを確かめるために、英虞湾でヘテロカプサ赤潮が発生した際に、赤潮発生海域と非発生海域にセンサー装着貝を垂下してアコヤガイの殻体運動を測定したところ、殻体運動は室内実験で得られたヘテロカプサ暴露時と全く同様の応答が確認されたのに対して、ヘテロカプサがいない海域に垂下したアコヤガイではそのような殻体応答は全く認められなかった。このように実際の内湾海域においても、アコヤガイはヘテロカプサ赤潮に対して特異的な殻体応答を示し、赤潮が即時に検知可能であることが分かった。ちなみに、アコヤガイの殻体応答は20cells/ml付近のヘテロカプサ細胞密度から確実に生じることが確かめられている。


図29.正常海水、ヘテロカプサ含有海水、貧酸素海水、硫化水素含有海水に 暴露した時のアコヤガイの殻体運動応答

 水温23°Cの海水を満たした水槽にセンサーを装着したアコヤガイを収容して、窒素ガスを吹き込んで徐々に飼育海水の溶存酸素を低下させた。飼育海水の溶存酸素が2?6mg/Lの範囲では、アコヤガイの殻体運動にはほとんど変化は見られず、1.5 mg/L以下に低下すると鋭いスパイク波形が均一な間隔で現れるようになった。さらに0.5mg/Lにまで低下させるとスパイク回数の増加傾向が認められ、規則正しく素早い開閉を繰り返す特徴的な殻体運動を示した(図29)。 閉殻動作時間を表す1回あたりのスパイク時間は10?35秒の範囲で、極めて鋭い棘状のスパイクが多く現れた。

 硫化水素を含んだ貧酸素海水のアコヤガイ殻体運動に及ぼす影響について調べるために、室内実験を実施した。前記実験と同様に、水温23℃の海水を満たした水槽にセンサーを装着したアコヤガイを収容して飼育海水の溶存酸素を0.5mg/L以下に維持した後、硫化水素を含んだ貧酸素海水(硫化物濃度:0.87±0.11mg/LS2-)をアコヤガイに暴露した。暴露直後から、それまで頻繁に現れていた規則的な鋭いスパイク波形の数が減少するとともに、スパイク波形の形状が台形状の平坦な波形に変化した。このスパイク波形の形状の変化は閉殻時の閉殻時間が増加したことを意味し、これらの変化は硫化水素の影響によってもたらされたものと考えられた(図29)。

 塩分に対する応答波形(図30)も特徴的である。25psu以上の塩分ではスパイク数が非常に少なく、2時間で2~3回であった。しかし、22.5psuから異常なスパイク波形を示すようになり、20psuからはノコギリ状のスパイクが現れた。さらに塩分を低下させると、ノコギリ状波形は小さくなり、12.5psu以下では堅く殻を閉じるようになった。


図30.塩分の変化に伴う殻体開閉運動波形の変化

 このように、ヘテロカプサ赤潮、貧酸素、硫化水素、塩分などの異常な水質環境に暴露されたアコヤガイは正常な水質環境における殻体運動とは明らかに異なり、各々の環境要因に対して特異的な殻体応答を示した。すなわち、彼等のこのような環境要因に対する応答は「毒の強いヘテロカプサが貝殻の中に入ってくるのを追い出したい!」、「酸素が少なくて息が苦しい!」、「硫化水素が発生して死にそうだ!!」、「雨が降って、かなり塩分が低くなった。いやな海水だな。殻を閉めよう」といった話を我々に語りかけていると捉えることができる。従って、センサーを装着したアコヤガイを実際の養殖海域に垂下し、殻体運動を連続監視することで、こうした海の環境異変をアコヤガイに速やかに報せてもらえることになる。

 ヘテロカプサの細胞濃度を変えて6個体の貝の殻体運動応答を室内実験で調べた結果を図31に示す。4cells/mlでは1個体の貝が、10cells/mlでは4個体、20cells/mlと50cells/mlでは全ての個体がヘテロカプサ特有の応答波形を示した。すなわち、貝リンガルでは20cells/mlから確実にヘテロカプサの応答をキャッチすることができることが分かる。アコヤガイの半数が24時間で死亡する細胞密度は5000cells/mlであるから(図23)、早い時期から貝を安全な海域へ移動することができる。また、貝リンガルではヘテロカプサの濃密な群がどの層に定位しているかも判定できるので、希薄な層に吊り変えて、貝の命を維持することもできる。このように、被害防除の上でも、貝リンガルによる測定は有用である。


図31.ヘテロカプサの細胞濃度を変えて 6 個体のアコヤガイに暴露した時の殻体運動応答

9.貝の運搬に伴う分布の拡大

 1992 年には英虞湾で本種の赤潮が発生した時に少量のアコヤガイが、1994 年には大量のアコヤガイが五ヶ所湾へ海上輸送によって避難された。五ヶ所湾では1994年に初めて赤潮となり、それ以降毎年のように赤潮を形成するようになった。これをヒントに「ヘテロカプサは貝の移動 に伴って分布を拡大しているのではないか」という作業仮説を立て、下記の実験を試みた(Hon jo et al. 1998 12,Imada al. 2000 22)。

  

 実験1)約9,000cells/mlのヘテロカプサ懸濁液に貝を10分間暴露した。暴露した4個の貝を直ちにそれぞれのシャーレ上に置き、1,5,8および24時間室温に放置した。この実験は貝の表面と殻の中から流れ落ちるヘテロカプサ懸濁液に由来する生残細胞数を見るもので、いわば、貝を海上輸送し、船倉にたまった赤潮海水と貝を運搬先の海域に移す際を想定している。24時間後まで少数の遊泳細胞と1ml当り1,000から10,000個の非遊泳細胞の存在が確認された(図32))。

 

 実験2)同じ細胞密度の懸濁液に貝を暴露した後、殻表面の水をよく切ってから時間毎に干出して、貝をそれぞれ新鮮海水に戻し、海水中の細胞数とシャーレ上にしみ出した海水(実験3を参照)の細胞数とを計測した。この実験は殻の内外に存在しているヘテロカプサの合計細胞数を求めることにあり、トラック輸送を想定している。結果として8時間後まで遊泳細胞が存在し、24時間後でも非遊泳細胞が1ml当たり約30個観察された(図33)。

 

 実験3)貝殻を強く押し付けて海水が殻の中に取り込まれないようにして懸濁液に曝露した後、よく水を切ってから各時間干出した。前述と同様に海水に戻して細胞数を計測した。これらの値は付着物を有する貝殻表面に着いて運ばれる細胞数を示す。遊泳細胞は少数ながら12時間後でも存在し、非遊泳細胞は24時間干出しても約30cells/mlで存在した(図34)。付着物を有する貝殻表面は12時間後でも水気を残しており、一部は遊泳細胞のまま大部分は非遊泳細胞として生存することができる。

 アコヤガイの代りに市販のアサリと岡山産養殖カキを用いて前述の実験2を行ったところ、ヘテロカプサはアコヤガイを用いた時と同様に、24時間干出しても多数の非遊泳細胞として存在した。

 ヘテロカプサの非遊泳細胞は遊泳細胞に近い形、楕円形および球形の3つの形態をしていた(図10)。アコヤガイから吐き出させた非遊泳細胞を、あらかじめSWM培地200μlを入れたマイクロチェンバーに移して培養したところ、ヘテロカプサでは遊泳細胞に近い形の細胞は早いもので3時間後に、遅いもので17時間後に、楕円形の細胞は1日後に、球形細胞は3日後に遊泳細胞にほぼ回復した。

 1997年10月21日に五ヶ所湾でヘテロカプサの赤潮(細胞密度は不明)が発生した際、2m層に4時間吊り下げたアコヤガイを宅急便で福岡市の九州大学に一晩かけて輸送し、翌日海水に戻すと、貝1個から約80,000の非遊泳細胞が観察された。この非遊泳細胞を、福岡湾箱崎港の海水および人工培地(SWM培地)に接種して培養したところ、いずれも24時間以内に遊泳細胞に回復した。一方、生海水に窒素とリンを添加したものでは珪藻が増殖してヘテロカプサは非遊泳細胞のまま存在した。同年10月20日ヘテロカプサの細胞密度が10cells/ml存在していた広島湾で採取した養殖カキからは同様に1個体当たり10個の遊泳細胞と200?500個の非遊泳細胞が観察された。この非遊泳細胞を人工培地に接種して培養すると翌朝には遊泳細胞に回復していた。このように、人為的に非遊泳細胞に変えたヘテロカプサだけでなく,現場から運ばれた貝の中の本種の非遊泳細胞も遊泳細胞に回復した。
 貝を海上輸送する際、船倉にたまった赤潮海水中にはヘテロカプサは遊泳細胞のまま大量に存在する。また、貝殻の内外に留まった本種の非遊泳細胞も莫大な数になるので、この海水を輸送先で廃棄したり、貝を吊り下げることは非常に危険である。陸上輸送の場合も同様である。さらに,本種は干出と温度変化に対して高い耐性を持っており、珪藻が繁茂すると増殖はしないが、衰退すると遊泳細胞に戻って増殖する。以上の事柄は、貝を安易に移植することにより本種が一緒に運ばれて分布を拡大し、飛火的に新たな海域で赤潮を形成することを示している。
 富栄養化の改善とは無関係に、新種の赤潮生物や有毒プランクトンが赤潮を形成するようになってきた。これまで多くの研究者が日本のプランクトンを観察してきたが、1988年までヘテロカプサ・サーキュラーリスカマの生息を確認していない。それでは何故本種が突然日本で発生し、蔓延するようになったのかの真相は謎である。平成元年(1988)頃、南中国からベトナムを経由して外国産アコヤガイが日本に輸入されるようになったという情報がある。この年代は浦ノ内湾での最初の発生年に一致する。わが国では、古から沖に船が停泊して近隣諸国と盛んに大小の貿易を行ってきた。いずれにしても、アコヤガイ種苗が南中国から運ばれた実態があり、本種の至適増殖のための水温が30°Cと高いこと、香港でも赤潮を形成した実績などから、南方域における本種の生息調査を試みる必要がある。近い将来、アジア太平洋諸国の貿易が今以上に盛んになれば、他国への分布の拡大も懸念される。中国南方域や日本からヘテロカプサが外国に運ばれると約500万トン(86億ドル)の二枚貝生産が脅かされることになるし、アコヤガイやカキの生産が盛んな瀬戸内海へも魚病原因ウイルスと同じように、有害プランクトンが侵入する恐れがある。アジア太平洋経済会議(APEC)において検疫制度の充実、特に貝毒の検疫が協議されており、諸外国の検疫体制の強化も急がれてはいる。そして、大型船舶のバラスト水や海産物の輸入に伴う貝毒原因プランクトンを含む強害プランクトンの運搬についても注意を払わなければならない。

10.貝の移動に伴う分布拡大防除対策

 前述したように、ヘテロカプサは貝と一緒に運ばれて新たな海域へ分布を拡大することが証明された。従って、これ以上の分布を防止するためには、貝の殻内外に存在するヘテロカプサ細胞を駆除した後に移植する必要がある。そこで、分布拡大防止策を検討するために、温度と塩分耐性を調べると共に、水温による物理学的処理および過酸化水素を使用した化学的処理による分布拡大防止策について紹介する。

1)温度・塩分処理法

ヘテロカプサの栄養細胞は高水温を好む生物であることが分かっているので、低温に弱いであろうとの仮説を立てて、短時間での低温耐性を調べてみた(表3)。試験管の中にヘテロカプサを接種して、培養温度25°Cから各温度室へすぐに移した。移した直後、それから1時間後、2時間後の遊泳細胞と球形細胞を計数した。結果として、どの温度においても2時間以内で有意に細胞が減少することはなく、低温処理での分布拡大防止策は困難であると判断された。

 塩分27.5‰で培養していたヘテロカプサ細胞を約220cells/mlになるように接種して、塩分耐性を調べた(表4)。結果として、極端な0‰や300‰といった塩分では当然のことながら大きな打撃をすぐに受けたが、球形細胞が急に増加したのは17‰からであり、20から17‰の間に塩分耐性限界があることを示している。17‰以下の塩分低下を防止策のひとつの目安にすることが出来る。

表4 ヘテロカプサの塩分変化に対する耐性

2)遠心分離法(松山幸彦 2001. 博士論文)

 ラバル式分離器(モデルIL-0050、日本ラバル社製)を用いた遠心分離法による細胞表層の毒性を失活させることにより、毒性除去が目的である。結果として、脱殻させることにより、毒性を完全に失活させることに成功した。赤潮あるいは赤潮発生前の海水の処理能力に限界があるのと、脱殻した細胞が新鮮な海水に移されると数日以内に毒性を有するようになる難点がある。

3)過酸化水素による化学的処理法(今田信良ら 未発表)

 30%過酸化水素水を加えて、過酸化水素200ppmを含む海水の他に、過酸化水素200ppmで塩分14‰の海水を調整後、ヘテロカプサの遊泳細胞をこれらの海水で処理してその反応を観察した。アコヤガイを9,000cells/mlのヘテロカプサ懸濁液に5分間暴露後、2時間干出し、過酸化水素200ppmを含む塩分15‰および13‰海水で3分間処理した後、新鮮海水に戻し、それぞれの海水中の本種細胞数を計測した。
 過酸化水素200ppm含有海水中ではヘテロカプサは1分間後に運動を停止し、2分後に海水に戻しても3日後でも回復しなかった。200ppm、15‰および13‰処理海水中にヘテロカプサの球形細胞はそれぞれ約12,000および10,000cells/ml存在し、新鮮海水中にはいずれも存在しなかった。アコヤガイや過酸化水素5,000ppm海水で5分間処理しても何ら障害を受けなかった。
 結論として、過酸化水素200ppmを含む14‰の海水に運搬されてきた貝を3分間処理し、別の新鮮海水に浸漬した後に現場に垂下することによって、ヘテロカプサ細胞の分布の拡大を防止することが可能であることが分かった。そこで、ベルトコンベアー方式で過酸化水素処理できる工程を図35に示す。ヘテロカプサの赤潮発生海域あるいは細胞生息域から船あるいはトラックで運ばれてきた貝をカゴ網ごとベルトコンベアー上に乗せる。ベルトコンベアーは200ppmの過酸化水素水を含む14‰塩分海水に3分間浸漬できる??度で動いている。過酸化水素に3分間浸漬されたカゴは処理海水を落とした後に、新鮮海水で洗浄されてから移植海域に垂下される。これによってほぼ95%の細胞を破壊できることが証明されている。


図35. 過酸化水素を用いたヘテロカプサ分布拡大防止技術

4)生物学的方法:ヘテロカプサ耐性貝の育種(松山幸彦 2001. 博士論文)

 ムラサキイガイ稚貝群の濾過水量を著しく阻害しない範囲でヘテロカプサを最適餌料であるイソクリシスに混合して稚貝飼育容器水中に添加した。初日は50cells/mlで、2日目の換水の時に100cells/ml、3日目の換水で200cells/mlと徐々に8日目の280cells/mlまで細胞密度を増加させ、40日目の700cells/mlで順化を終えた。ヘテロカプサの50-320cells/ml添加まで、投与直後に外套膜の収縮を示す拒否反応が認められたけれども、次の換水時までにはヘテロカプサや同時に投与したイソクリシスは摂食されていた。順化処理をしていない稚貝を用いた対照区の場合は10,000cells/mlで94%、5,000cells/mlで61%cells/ml、1,000cells/mlで11%の斃死率であった。それに対し、順化処理をしたムラサキイガイの稚貝に10,000cells/ml、5,000cells/ml、1,000cells/mlをそれぞれ加えると、5,000cells/ml以下での死亡はなく、10,000cells/mlでも39%の斃死率に留まった。選抜育種や遺伝子操作で減感作を高め、被害を受けにくい養殖貝の作出が可能であろう。
 本総説は(社)瀬戸内海環境保全協会発刊の「瀬戸内海」に掲載されたヘテロカプサ総説(1998, 14, 2-28)を発行元である瀬戸内海環境保全協会の許可を得て、改訂したものです。掲載に快諾をいただきました著者の皆様(元九州大学農学部今田良信助教授、現(独)水産総合研究センター内田卓志所長、現ミキモト真珠研究所永井清人所長、現(独)水産総合研究センター西海区水産研究所松山幸彦室長)に厚く御礼申し上げます。

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