平成23年度 香川大学瀬戸内圏研究センター学術講演会
 古賀 秀昭氏 「有明海佐賀地先におけるタイラギ漁業生産の歴史と現状」

【講演内容】      
 みなさん、こんにちは。佐賀県有明水産振興センターの古賀と申します。どうぞよろしくお願いします。      
 
 今日はタイラギのお話をさせていただきたいと思います。タイラギは、佐賀県の有明海において、ノリとともに冬の二大生産物のひとつになっていました。なぜか、平成12年にノリが大不作に見舞われて、ノリだけが注目されているように写りますが、実はタイラギはそれ以前から、非常に厳しい状況に陥っています。そういったことで、タイラギについては、現在の開門調査でいろいろ話が挙がっているので、マスコミの注目度が非常に高くて、現場で働いている私たちからすると、非常に緊張感のある貝となっています。
 私の県での勤めの後半は県行政にいて、実は昨年の4月、17年ぶりに有明水産振興センターに帰ってまいりました。有明にいた30代の頃、9年間、一貫してタイラギを担当しておりました。その間に論文も少し書いたことがありますけども、その際に香川県水産試験場の濱本さんの論文などを参考にして書いた覚えがあります。こんなこともあって、今日は香川県でお話をさせていただくということに関しまして、非常に繋がりを感じるとともに、感謝を申し上げる次第であります。
 それでは、早速話を進めていきたいと思います。          

 今日は、まず有明海での潜水器漁業の始まりと漁獲量の状況をお話しまして、次に有明海で今何が起きているのか。また、タイラギ不漁と言ってはいますけども、その原因は一体何だろうか、といった話をします。そういう中で、大切なことがあります。
 資料の中に平成20年度と書いてあると思いますが、おととしですね、平成21年度に13年ぶりの豊漁になりました。その原因についても少しお話をし、これらを総合してタイラギの漁場が形成される要因について考えてみたいと思います。最後には、今後何をしておけばよいのか、話をしていきたいと考えています。      

 その前に、有明海の話をしておきたいと思います。
 有明海は九州の北部、福岡、佐賀、長崎、熊本の4県に囲まれていて、大きさが1,700㎢です。大きさとしては東京湾とか伊勢湾とあまり変わらない、非常に閉鎖性が強い内湾です。この有明海の奥部を拡大したのがこの図でございます。
 ここに、線がずっと入っています。これが大潮の干潮線です。要するに、この線より岸の方はすべて干潟になるような所であり、見ての通り、干潟が非常に発達しています。この干潟上で、支柱式のノリ養殖が行われております。それとこのピンクの先が5 m、これが10 mです。ここが20 mということで、平均水深は10 m程度の非常に浅い海域でございます。
 見にくいと思いますけども、三角形が書いてあります。ここに農林水産大臣管轄漁場と書いてあります。この海域は、福岡県と佐賀県の間で、昔から紛争が絶えなかった海域であることから、ここはもう国が管轄しますよということで、こういう三角形の緩衝地帯が設けられました。こちらの方が佐賀県の海域、こちらの方が福岡県の海域ということです。この海では、ノリとかタイラギとかクルマエビ、ムツゴロウ、いろいろ珍しい生物が生産されています。

 今日お話をしますタイラギの潜水器漁業は、佐賀と長崎の県境に位置する大浦という所で始まりました。      

  まず、有明海のタイラギの潜水器漁業の歴史の話をしたいと思います。
 これは、昨年、たまたま図書室を調べていたら、昭和37年水産庁発行の冊子に載っていましたので、それをここに書いてみました。大正5、6年に、地元の商事会社が朝鮮半島から潜水士を雇ってきて、大浦を基地に操業を始めたのがタイラギ潜水漁の始まりと書かれています。その頃、地元の人たちはただ単に手押しポンプの人夫として雇用されたと書いてあります。
 しだいに地元の人たちも潜ってみたいと多分思われたのでしょうが、朝鮮人の潜水夫からはなかなか教えてもらえなかったようで、潜水夫として潜ることはできなかったということのようです。大正7、8年には、隻数もかなり増えました。そういう中で依然として潜水夫は五島とか対馬方面から雇用してきたと書かれています。
 こういった状況にありましたけども、昭和の初め頃には、資源が減少したということで漁を中断しております。この頃から、島原とか天草、瀬戸内海へ出稼ぎに行くようになったようです。あるいはまた、工事船の潜りとして、関西とか関東に進出して、賃金は一般の人の10倍位もらったようであります。      

 その中で戦争の前頃に、漁が再開されました。多分昭和に入ってから少しずつ地元の潜水士が育ってきたのでしょうが、戦争に徴用され、兵役を務めるということで、やはりこの頃も朝鮮人が潜水をしたということでのようです。
 戦後には、またタイラギが減りまして、23年頃から瀬戸内の方で出漁をしたようです。この当時、海中投棄された軍資材の引き上げブームがあって、そういった所で仕事をした人もいたということです。 
 昭和27年以降、隻数は増えていき、昭和35年には260隻ということで非常に高いピークを示しました。隻数増加の理由はタイラギ資源が増えたことです。それと、手押し式であった部分からコンプレッサーになったということで操業しやすくなった。あと、家族間の技術の伝習がしやすくなったということで一気に増えるというような感じだったと思います。      

 これが昭和30年代の出漁風景です。小さな船です。      

 これが出荷風景です。あの樽に入れておいて出荷をしたということです。      

 これが現在のタイラギ漁業です。これはおととし操業になった時の風景です。海底から取ったものを船上に揚げて、船上で先に貝柱を取って、1キロ単位でこれを出荷しています。      

 これが有明海のタイラギです。基本的には、ここにケンという突起物があるものをケンといって、殻がすべすべしたものをズベと言っています。最近はどちらかというとこのケン貝が多い。瀬戸内のタイラギは、文献とか見ると、基本的にはこちら(ズベ)の形態で、もう少しこの幅が広い。有明海のタイラギとは若干形が変わっています。      

 次に漁獲量の推移です。先ほど言いましたように、昭和35年で、貝柱で3,000tです。これは殻付きにしますと、ほぼ10倍ですから30,000tくらい取れたということになります。漁獲量は6年から8年位の周期で変動しておりますが、昭和の終わりから若干減っているかなというような感じがします。

 そこで昭和55年以降についてもう少し見てみたいと思います。      

 これを見てみますと、4、5年位の周期で豊漁のピークも当然あります。しかし、平成10年以降になると、基本的には取れない年が2年に1回はあるようになり、非常に厳しい状況になっています。先ほど言いましたように平成21年は、13年ぶりに豊漁となりました。豊漁になったと言ってもせいぜい貝柱重量で100t程度です。

 このように非常に厳しい状況が続いているということです。

 
 次に、有明海で何が起きているのか?タイラギ不漁の原因は何か?ということについてお話をしたいと思います。      

 この図は平成12年からの、貧酸素、シャットネラ赤潮、タイラギの斃死、サルボウの斃死、ノリの1月中の色落ち状況を示しています。ここに骸骨印が2つ並んでいるのは重度、1つが軽度、花印が発生なしを表しています。横棒は調査をしてない、あるいは確認していないことを示します。
 これを見ていただくとお分かりのように、最近はほぼ毎年のように貧酸素が発生をしています。それに伴って、タイラギの斃死もある。サルボウというのはアカガイの缶詰の材料ですけれども、これも貧酸素などによって減ってしまうという状況になっています。シャットネラはたまたま今年、発生しなかったというような状況です。  
 このようなイベントが起こっている中でのタイラギの不漁原因について話をしていきたいと思います。      

 これが、貧酸素です。今年の7月15日と8月29日の底層の溶存酸素の飽和量(%)で示しています。一般に言われているように40%以下が貧酸素ということにしますと、こういった佐賀県海域は半分ぐらいですね、はっきりと貧酸素になっています。たまたまこの辺にタイラギが発生をしていましたけども、それも死ぬ。この辺に生息しているサルボウも貧酸素で死ぬといった状況が頻発しています。      

 この図は今年の夏、6月から9月にかけての貧酸素の状況を時系列で見たものです。貧酸素は基本的には40%未満ということにしますと、6月から8月までに、ほぼ半分以上が貧酸素状態であって、大雨が降ると確実に貧酸素になってしまいます。台風が来るとそれが解消されるといったことの繰り返しです。      

 これは、昨年と今年の6、7、8月の気象・海況の図です。今年のタイラギの斃死は7月の中旬に発生しました。これは明らかに貧酸素と低温によって死んでいます。昨年も、7月の上旬と8月の上旬に、2回に分けて死にましたが、この時は低温のためです。確実にこれは低温で死にました。これは低温と貧酸素で死んでいます。この東部で死んでいるのは、貧酸素とはまた別の原因です。      

 別の原因でというのは立枯れ斃死です。これは福岡県の東部漁場を中心に稚貝は立つけれども、漁獲に至る前に原因不明で死んでしまう現象です。ここで立ったまま死んでしまいます。縦の期間は1998年から2009年までで、月を横に示しておりますけども、この横棒が操業の期間です。
 写真にあるように、こういった格好でほぼ毎年死亡する原因不明の立枯れの斃死が発生しています。ここは操業許可も出ていません。許可はしたけども取れなかったというのが、ここと、ここと、ここまでです。このように、実際、非常に厳しい状況になっているというわけです。      

 そういったことで、立枯れ斃死原因の究明については生育、環境、病理、生理活性、生理機能について関係各県、国の研究所、大学、そういったところが連繋を保ちながら、10年位調査をしてきました。その結果として、産卵成熟に伴う衰弱+硫化水素の発生などによる環境悪化ではないかなというふうに言われています。しかし、実際はこれだけでは説明ができていません。現状では原因を特定できていないと我々は考えています。
 このように、貧酸素と立枯れ斃死が資源減少の非常に大きい要因と考えられます。      

 これは佐賀県水産振興センターが毎年こういった海域で実施しているタイラギの生息状況の調査結果です。      

 1986年から2008年度までの期間をここにピックアップして示していますけども、昔は湾中央部にまんべんなく発生をしていたのが、最近はこの福岡県寄りの東部域で多くなったというような結果になっています。      

 昔はこういう所に漁場があったのに、今はこっちしかない。その原因はなんだろう、要するに、漁場が縮小とした原因はなんだろうというようなことです。      

 これは結構有名な図ですけども、底泥の粒径を示したものです。赤っぽいほど泥気が多く、青っぽいほど砂が多いということで、見ていただきたいと思います。1989年から2000年までの11年間で、全体的にこのように粒径が小さくなってきている。一般的にこれを細粒化と言っています。この泥っぽくなってきたことで、タイラギがなかなか増えない原因ではないかと言われています。
     

 そういう中で、平成21年度、13年ぶりの豊漁になりました。佐賀県寄りの非常に泥分が多い海域に発生しました。      

 タイラギが立った海域はこの辺ですけども、ここはですね、もともと泥分が多いところです。      

 この図は2008年、着底して2ヶ月後の分布状況を示しています。こういった所に非常に多いです。      

 これは着底して1年後の分布図です。つまり、漁獲される2ヶ月前にあたります。こういった所にタイラギが立ったということは、泥質の漁場に立ったことを意味しています。この泥場で、斃死もなく順調に生長して漁獲につながったといことです。もともとは有明海の湾奥は沖神瀬とかガントウという漁場がありました。      

 ここに1977年から1990年の漁場ごとの生息量を書いておりますが、ある一ヶ所だけで漁場になるとかということではなくて、まんべんなく立っていたというのが普通であったのです。ですから、平成21年にここで立ったこと自体はそれほど珍しいことではないわけですね。      

 ここでタイラギの生活史を見てみたいと思います。タイラギは6月から8月頃に産卵します。産卵の後に、30日位の浮遊期間をもちまして、大体殻長が0.6~0.7 mm位になりますと着底します。1年経つとまた成熟して産卵をする、その繰り返しです。特に、着底直後の減耗が非常に大きいと言われています。      

 産卵から1日目はこういう形態、22日目にこういう格好になります。      

 これは着底直前の0.6~0.7 mmになった時の貝の写真です。      

 タイラギは着底をしますと、ほとんど同時に変態を開始します。変態というのは、それまで泳ぎ回っていたものが、着底をすると海底に立つというか、海底に住む生活に適した形態になることです。ということで、こういう新しい体形になります。これは着底後、1日目ですね。ここがエラです。こういう格好で入水孔とか出水孔が完成されます。非常に変態のスピードは速いです

 これが着底直後の画像です。そこで面白いのがこの足糸です。足糸というのは親貝にも必ずついていますけども、糸みたいな形状をしています。要するに、新しい体ができるとともに、足糸もすぐ出ます。

 足糸って一体何だろう。これは稚貝です。こういったところに足糸が見えます。これも14~15 mmの稚貝ですが、やはり足糸があって、足糸にはこういう貝殻片とか砂粒が付いています。そうであれば貝殻片とか砂粒がない場所に着底した幼生は一体どうなるのだろうという話になります。

 そこで室内実験をしております。飼育した浮遊幼生を3つの試験管にそれぞれ泥と海水、砂泥と海水、海水だけを入れて。それぞれの試験管に幼生を実際に入れてみました。

 その結果、着底・変態は実に興味深くて、どの区でも変態します。ただしですね、生き残れたのは砂粒がある区だけでした。

 これはですね、衰弱した個体の画像です。要するに海底というか底が砂であろうが泥であろうが一応着底して変態をしますが、自分を固定できる、足糸で固定できるような砂粒とか貝殻片などの付着基質がないと生き残れないことが分かりました。ということはですね、タイラギの稚貝が立つということは、基本的には基質がないと駄目であることを意味します。
     

 次に、タイラギの漁場はどのようにして形成をされるのかについて話をします。

 当然ではありますが、まず浮遊幼生が供給され、次に、底泥表面に着底基質が存在する。
 この写真は泥の海底にタイラギがここにいるのを写したものです、貝殻の細粒がありますが、これだけで良いのかということになります。実際に、泥の上を覆っている有明海特有の浮泥の存在がこの基質への付着を邪魔しないことも重要であります。また、平成21年のように、着底した後、貧酸素もなく適した海況などに恵まれて初めてですね、漁場が形成をされるということです。

 これは何回も見せますけども、平成21年に豊漁になったときの、分布図です。要するに西側の方で密度が高いですね。
 そこの底質を調べてみますと、赤色で示した泥分が多い。青色は泥分が少ないことを示していますが、先程の図と重ねてみますと、泥分が非常に多い海域です。

 そこで、泥分を測ってみます。泥分は篩で測ります。見えにくいかもしれませんけども、0.063mmのふるいを超えた画分を泥と通常は言っています。

 この海域の泥を実際に篩ってみますと、このように泥ばかり見えますけども、実際にこういった格好で砂粒とか貝殻の細片がいっぱい入っているわけですね。

 泥っぽい海底であっても貝殻砕片とか砂粒がこういった格好で混入しているとしても、もし上に浮泥が泥の上に溜まっていたら何にもならないだろうなと思います。そこで、浮泥の調査を2007年にしました。そうすると、意外なことに泥分が多い海域だからと言っても、必ずしも浮泥が多いということではないということが分かってきました。

 そこで、稚貝発生の漁場と浮泥の関係とを見ることにしました。

 これは、諫早干拓関係で、九州農政局さんが2008年から湾部全体の浮泥の調査をしています。これは2008年8月1日の浮泥の堆積状況です。オレンジ色は浮泥が5 mm以上堆積した海域、ブルーが2mm上、何も書いてないのは浮泥がなかった海域です。8月いうのは基本的にはタイラギが着底する時期です。先程の分布図をこれに重ねてみますと、浮泥が溜まっていない所にのみタイラギが着底していることが分かりました。

 もう一度見てみたいと思います。次の図は2009年8月の浮泥分布図です。このラインが1mm、5mm以上堆積ですね。この部分が10mm以上。これも着底した稚貝の分布と重ねてみます。そうするとこれも、一部の例外もありますけども、見事に浮泥が堆積している所にはあんまり立たない、ということが分かってきました。基本的に浮泥というのは非常に着底にとって重要な役割をしているということです。

 先程の結果を平成20年から22年まで、3ヶ年の稚貝の密度と比較をしてみたものがこの図です。こちらが浮泥の厚さです。要するに、タイラギが1㎡当たりに結構立ったときには浮泥の量は少ないようになっているようですね。この辺は見え難いのでもう少し拡大をしてみます

 もともと、稚貝の密度として書いていますけども、漁場として成立するためにはですね、1㎡当たり1個以上で漁場として成立します。そのような方向から見てみますとですね、基本的にはやはり浮泥の厚さが3 mm以下でないとなかなか稚貝は発生しない、立たないということを示しています。
 ここに例外が一つあります。でも、これも、よくよく見てみると、この次の1週間後の浮泥の厚さは3 mmでした。だから、これは多分着底の時期が異なったのではないかなと思っています。

 そういったことで、全体をまとめてみますと、タイラギというものは、もともと周期的な資源変動があるけども、平成10年以降、非常に厳しい状況が続いているということです。その原因としては、東部漁場での立ち枯れ斃死とか西部の貧酸素による大量斃死が非常に大きくきいています。
 そのような中で、泥の海域で大量発生しまして13年ぶりの豊漁になりましたけども、漁場の形成は貝殻の細片とか砂粒とかの着底基質がないと絶対に無理です。それに加えて、浮泥がその時にどのような状況で堆積しているかによっても左右されるというように考えているところでございます。

 そうであるならば、どうすれば良いのか。今後の取り組みです。
 当然、立ち枯れ斃死原因の究明は、引き続きいきたいと思っています。それと、缶詰の材料となるサルボウの殻の細片を散布することです。サルボウは、佐賀県海域で全国の9割が取れています。多い時は1万トン、少なくても2、3千トン取れていますので、むき身にした残りの殻を有効利用する手はないかということで、ここには漁場改善と書いていますけども、実際は着底基質を増加させて、タイラギが着底する可能性を高めてやりたいと思っています。  
 最後に、立ち枯れ斃死とか貧酸素はどうしようもなく発生します。だからどっちみちそういった所に発生した稚貝を斃死の心配がない海域へ移植することについても、現在、実証実験ということで行っているところです。こういった事業化も実施する必要があるのかなというふうに思っています。  


 サルボウの殻の散布の紹介をして話を終わりたいと思います。

 これは2009年に、殻を散布して、実際タイラギがどの位着底したかという実験です。泥分が98%位の海域に殻を撒いております。その結果、この辺はですね、非常に小さいので見つけにくいということもありますけども、基本的には1㎡当たり4個位のタイラギが着 底しています。その周辺の対照海域では当然のことに0ということで、サルボウ殻の基質を添加することによって、タイラギ稚貝の着底に非常に効果がある、ということがこの結果で分かるかと思います。

 稚貝に付いているその貝殻です。こういった格好でやはり自分が海底に固定するために足糸を出して貝殻とかにくっついて、海底に固定するということです。

 これが、粉砕したときのサルボウの殻ですね。

 こういった格好で海底に撒きました。基本的にはもともと海にあった貝殻を、このように海に戻すことになりますので、環境に対する問題はありません。このような対策をとることによって、タイラギ生産の安定化に少しでも役立つのではないかなと思っている次第でございます。

 ありがとうございました。



【質疑・応答】
Q.立ち枯れの研究に関しまして、日本水産資源保護協会の委託による九州大学農学部での研究があります。その研究では、泥の中の酸素量を0の方向へと近づけると、タイラギは殻体開閉運動を続けて泥の上へと出てきて泥表面に立ち上がります。この様子は立ち枯れのような状態です。しかし、その酸素の少ない水を酸素の豊富な水と交換すると、開閉運動によって再び泥の中に戻ります。これを何回も繰り返していくと、エネルギーの素となるグリコーゲンを使い果たして、最後はもう戻ることができなくなって泥表面に立ったまま死んでいくとことが分かってきています。  
 しかし、現場の調査では酸素が少なくなったという証拠が出されていませんから、非常にその死亡の接点が分かりにくくなっています。もう少し泥近くの酸素を測ることができれば、あるいは泥の中の酸素を測ることができるようになってくれば、もしかしたらその辺りの関係が分かってくるかもしれないとおもいますが、いかがでしょうか。


A.確かに、貧酸素で死ぬ時は確実に上に上がってそのまま死にますね。多分そういうことだろうとも思いますけども、福岡県寄りの漁場というのは、基本的には流れが速くて大きな海底擾乱が生じています。ですから、貧酸素にはやはりなっていないのではないでしょうかね。でも、貧酸素になってないのに死んでしまうというのですから、非常に難しいところなんですね。


Q.この有明海に、なぜ浮泥が溜まるようになったか。浮泥が数mm以上溜まると、タイラギはどうしたって生きてはいけないという話があったと思います。私はこの浮泥の堆積は海水がきれいになったということと関係していると思います。今までは海の水の中にあった浮泥が下へと沈むようになった。この沈む現象というのは、水の動きの弱さと関係づけていきたいと思いますが。今日の話の中ではその前の物理的なものの話はなかったですね。いかがですか、その辺り。

A.有明海というのは浮泥があって、やっかいです。基本的には小潮になると海底に溜まります。でも大潮になるとそれが撒き上げられて濁った水になる、というのが当たり前です。やはり流れが少しでも弱くなったときに、撒き上がる流速にまで達していないと、基本的にどんどん泥に堆積するようになるというか、要するに撒き上がっている時間が少なくなります。言い換えれば、浮泥が泥の上に堆積している時間が多くなっているということも、タイラギの稚貝が近年減っている一つの原因ではないかと思います。だから、流速は大きくきいていると思います。

Q.そうですよね。昔の潜水器漁業の人たちは、斜め45度でタイラギを取っていた。今はまっすぐ立っても取れる。しかし、タイラギがいないから一生懸命漁獲に努力しないといけない。同じ大潮でも水の動きが違うということでしょうか。

A.そういうことですね。


Q.香川県では私が知っている限り、浅い所でタイラギ貝の立ち枯れが多いようです。有明はそんなに深い所はないと思うのですが、瀬戸内海では30 mを超えるような深い所での生存率が高いです。有明の方はどんなんかなと思って質問します。

A.一つ言えることはですね、砂泥の干潟には結構タイラギが立っているんですよ。干潟のタイラギは死なないんです。そういった点からでは、香川県はまた違うのではないかなという感じはします。お分かりのように、干潟に立っているタイラギっていうのは、厳しい環境変化の中で生活していますよね。そういった所にあってもタイラギは死なないですから、死ぬっていうことは余程のことなのです。


Q.僕が思うにはタイラギは暑さにものすごい弱いんかなと。香川県では夏は砂の中の潜ってしまい、全然見えなくなります。夏、砂の中に潜ってしまうということは、非常に暑さには弱いんでないかと。温暖化で酸素が少のうなるんも、いろいろなもんが少のうなるんと関係があるんかなと思うとんですけど。

A.夏に潜って冬には上にあがるっちゅうのは、有明海でも一緒です。先ほど言いましたように、干潟になるような所は、多分、潮が引いた時には40度近くになります。だから、タイラギはそんなにやわなもんではないんじゃないかなと、ちょっとは思いますけどね。すいません。こんな答えで。


Q.お話はタイラギだったんですけれども、日本全国でいろんな種類の貝の漁獲が減っているように思うんですけれども。そういったものと、有明海でのタイラギ貝の漁獲の減少っていうのと何か関連する部分があるのか。そういったものよりも、有明海では今日のお話のように浮泥や貧酸素といったファクターがきいているのか。そこら辺について教えていただきたいんですけども。

A.全国的な状況というのは私としても分かりませんが、少なくとも有明海ではですね、アサリも激減しています。若干回復傾向もあったりはしていますけども、有明海でのアサリの激減の原因とタイラギの原因とは、また少し違うような気がします。タイラギは湾奥部の特殊な環境といいますか、そういった環境に生息していて、いろんな条件が近年変わっている。そういったことの影響がここに直接的にきいているのではないかなと思います。だから、他の海域とまた違うような気がしています。
※本サイトに掲載している文章・文献・写真・イラストなどの二次使用は、固くお断りします。
閉じる