平成22年度 香川大学瀬戸内圏研究センター学術講演会
 鈴木 勇次氏 「離島振興法と瀬戸内海島嶼」

※講演用配布資料はこちら (PDFファイル 90KB)
【講演内容】
 ただ今ご紹介いただきました、長崎ウエスレヤン大学で地域づくりを担当しております、鈴木でございます。
 
 私自身は他の皆さま方と同様に、パワーポイントという、近代文明の機器を使ってお話するのが、本質的な状況かなと思いますけれども、わたくし、今日まで、パワーポイントを使ったことがありません。
 実は先月、学生の前で使ってみなくてはと思いまして、なんとか作ってやってみたんですけども、慣れないものには、やっぱり手を出さない方がいいなと。どうしてかというと、写真を載せてみたり、グラフを載せたりしたんですが、作る作業がこんなに大変なのかなと。まず、パワーポイントの中に写真を載せるのに、学生や他の方々は、いとも簡単にさっとされるんですけど、私はなんだかんだ2~3時間かかりまして、学生にも笑われたり。

 それ以上に、発表の段になったときに、パワーポイントを見せて説明します。その時に、作るデータを事前にプリントして配ったんです。しかし、会場を暗くしてしまうものですから、メモをしていただくことがなかなかできないなぁ、ということが分かりました。また、それ以上に、古い人間なもんですから、やはり生の言葉でお話して理解していただくことを、あらためて感じました。
 今回、稲田先生から話があった時に、瀬戸内海のことであれば、やはり、きれいな風景写真、その他地図などを載せて説明するのが本来的なのかなと思いました。しかし、まず地図を載せるのに、さぁどうしようかなと、なかなかそれが難しい。そんなことで、私はパワーポイントを使わず、口頭でお話をさせていただくことに致します。

 今回、事前に伺いました内容は、「瀬戸内海の離島と離島振興」について少し話をしていただけないかということでございました。私自身、昭和45年から国土交通省、昔は経済企画庁でしたけども、そこの外郭団体にあたります「日本離島センター」という所で、島の仕事をさせていただきました。
 皆さん方の中で、もしかしてご覧になられたこともあるかと思いますが、「シマダス」という離島関係の情報誌、おそらく日本で唯一の、すべての有人島、それから著名な無人島を載せた情報誌です。私はこの編集を最初に手掛けました。その前には、「離島統計年報」といいまして、法律指定の離島の基本的なデータですけども、それを、島単位で編集しました。これも、おそらく日本で唯一の離島に関する統計書かなと思いますが、こうした仕事の他に、日本島嶼一覧、日本離島地図帳なども作成してきました。

 ご存知の通り、センサスその他の統計は、すべて自治体単位、市町村単位でしかデータがございません。最近、人口については、小地域、すなわち集落単位についてデータが出てくるようになりましたけど、小さな島も大きい島も含めて、島単位でデータを把握するというのは、意外に大変なことでございます。これを、いろいろと苦労しながらデータを作ってまいりました。そういうことで、島に関するデータが、地域を考える際には、きわめて大事だということです。
 これを行ったそもそもは、実は、これもご存じの方おられるかもしれませんけれども、民俗学者の「宮本常一」という方でした。かつて私の関係した、全国離島振興協議会の初代事務局長でございまして、宮本先生から、「島に行く時には必ずデータを持っていけ。島の人と話すときにデータがいかに大事であるか。」と。

 宮本先生の話し方をそのまま借用しますと、例えば、農業生産、水産業、漁業水揚げを高める時に、どのように説明すると島の方々に理解いただけるか。例えば、1反あたり6俵の田んぼ、これを7俵にするためにはどうしたらいいのだろうか、あるいは、水揚げ高が、いま1トン5,000円のものを、5,500円に、あるいは6,000円にするにはどうしたらいいんだろうかと言うときに、このような具体的な数字を並べて話すと分かる、まあそんなことがありまして、「島に行くときには、常に、資料、データを持っていきなさい。」ということを言われて、データを一生懸命作るようになっていました。

 そのことはさておきまして、今日皆さん方にお伝えしたい、あるいは一緒に勉強したいと思いましたのは、全国のいろんな形である島、この中から、特に、瀬戸内海の、しかも離島振興法との関係にテーマを絞って、お話しすることにしました。と申しますのは、すでに、この瀬戸内圏研究センターの方で、島のことというか、瀬戸内海のこと自体については、かなり勉強されていると伺いました。
 従いまして、瀬戸内海とは何かとか、志賀氏の景観論の話ですとか、そういった話をいろいろしましても、二重手間になってしまうかなと思いまして、むしろ一番大事な、私からみて大事だと思いましたのは、離島振興法という法律との関係でございます。これはご存知の方も多いと思いますが、この法律と瀬戸内海との関係、もう少しストレートにいますと、なぜ、瀬戸内海の島は離島振興法の指定を受けるようになったのだろうかという、いきさつについて若干お伝えしたいと思いました。

 お手元に、今日の資料をいくつか用意させていただきましたのと、昨日、急いで追加資料を用意させていただきました。この追加資料は、瀬戸内海の島が、離島振興の指定を受ける大きなきっかけとなった、審議会の議事録の一部です。この追加資料の審議会議事録、これは、国の離島振興対策審議会の議事録でございます。昭和30年代までのものは、全部、ガリ版刷りになっておりましたのを、私が整理いたしまして、第三者の方が離島を勉強したいときに使えるようにできないだろうかと、パソコンに入力してみました。そんな中で、離島の指定、指定解除、こういったことについてまとめたものの一部を、追加資料として用意したものです。

 話が前後してしまいましたけども、要旨の最初の所に「離島振興法の制定経緯」、その下に「離島振興法(仮称)制定に関する趣意書」という一文を、そのまま載せました。これはその次のページの頭までありますが、これを載せてどうするんだという問題が出てくるわけです。離島振興法自体について、あまり時間を取りたくないと思っていますけども、ひと言だけ申しておきたいと思いますのは、離島振興法ができましたのは、昭和28年7月22日でございます。なぜ離島振興法ができたのか、これを多少ご存じでないと、瀬戸内海の島と離島振興法の問題との関わりの理解が、困難になろうかと思います。

 昭和25年、これは皆さん方もご存じの通り、「国土総合開発法」ができた年でございます。戦後、日本が事実上独立して、新たに日本国を形成していくときに、どのような形で日本を作っていくか、ということで制定された「国土総合開発法」ですが、これを踏まえまして、「全国総合開発計画」が作られたのは、ご存じの通りでございます。これが昭和25年です。その時に、いくつかの島が総合計画の対象地域になりました。しかし、その時の国の方針は、第一に、食糧増産それから電源開発であり、日本の新しい産業のための基になるもの、これを築いていくための計画づくり、全国の地域をどのようにしていくかというようなことがあったわけです。

 さらに、昭和25年といいますと、ご存知の通り、お隣の国、朝鮮で動乱が発生して、南北に分かれたときでございます。そういう状況の中で、離島の研究については、2つの大きな流れがありました。対象は長崎県の対馬です。当時、九学会連合(前身は六学会八学会)という組織がございました。民俗学者の柳田国男先生など、民俗学中心の研究者が参加しまして、ひとつの地域を、いろんな学問分野から研究してみようじゃないかということで取組まれました。
 当時、日銀の総裁のだった渋沢敬三という方、大蔵大臣も経験された方ですが、この方も、みんなで地域についての研究をするのには、まずどういった所を勉強しようかというときに、「対馬」、これは「防塞の島」になっていたところでございますが、あそこがあまりにも厳しい環境にあるので、あそこを何とかして助ける方法はないだろうかということで、九学会で調査して勉強し、国として対馬の発展のためにお役に立てるものはないだろうか、と考えられることとなりました。

 一方、島根県「隠岐島」が、昭和26年と27年に、「大干ばつ」に見舞われまして、島民が大変苦労していました。島根県だけの力で救うには限界もあるし、なんとかしなくてはならないと思案していました。のちに広島県の知事になりました、竹下虎之助という方、あの方が島根県の役人だった頃、長崎県に飛んで行って、「実はこういうことがあるんだけども、なんとかならないだろうか」ということになりまして、「いやうちの対馬の方も何とかしないといけない。」、「じゃぁ両方が一緒になって、島に関する振興法を考えようじゃないか。」ということになり、島の人の生活を向上させ、安心した生活をさせよう、そのためには法律を作ろう、と意見が一致しました。それでは、2つの県だけではどうも十分ではない、島がある県に声をかけようと言うことになり、鹿児島や東京にも声をかけて、内々に相談しました。相談して、みんなで声を合わせばなんとかなるということで出来たのが、ここにあります「離島振興法制定に関する趣意書」です。

 長崎、島根、鹿児島、新潟、東京、この5つの都県の知事さんが集まりまして、こういう趣意書を作りました。その時の趣旨は何かといいますと、「日本列島の中で、本土より隔絶し、その自然的社会的条件の制約により、きわめて後進的性格を有している地域に離島がある。この離島を何とかしたいということで法律を作りたい。」ということで、その後いろいろと記してありますが、この1ページ目の1番下の方、下から4行目ないし5行目に、このように記してあります。
 「我々が速やかに実施すべきこととして考えられることは、次の如きものがある。対本土海空交通整備、島内道路、橋梁、港湾整備、それから三番目に、漁港整備、四番目に電力設備整備・・・」と、その他諸々の項目がずっとあります。こういったものを実現するために、法律を作ろうということが謳われました。これを聞いた、例えば、熊本でもそうですが、多くの県が賛同しまして、一気呵成にやっていこうということで、組織が検討されました。2ページ目に書いてありますように、この5つの知事さん方が集まって団体を作ろうじゃないか、どういう名称がいいか。その結果「離島振興対策協議会」という名前にしまして、早速ながら法案作りに入っていくわけでございます。

 実際には、昭和28年、そこの(2)の1番下です、(3)の手前ですね、昭和28年3月13日「離島振興法案」がなんとかできあがって、国会に上程します。しかしながら、上程したその時に、国会が解散になってしまいました。当時の吉田茂総理が、国会の質問に対して「そういう質問するのはおかしい、バカヤロウ!」と言ってしまった。それは品位をけなすということで「バカヤロー解散」と言われております。その結果、離島振興法案は、全く審議されないままに流れてしまいます。
 そこで、島根、長崎など5県の関係者は、「せっかく上程したのに、このままでは法律ができない。」ということで、これを進めるのにはどうしたらいいか。我々県の人だけで集まって法案を作るといっても、対象になるのが全部市町村です。当時、離島には「市」はなく、自治体はすべて町村でございましたから、島の町村長さん方に集まってもらって、もっと声を大にしようではないかということで、「離島住民総決起大会」を、昭和28年6月25日に開催しました。

 この25日に開催したのには、大きな理由がございます。事前に、国会の方で法案の審議をいろいろ進めて、改めてこういう内容で良いだろうかといって検討し、26日にようやく国会に上程されることが予想されました。これは、当時の衆議院の経済安定委員会の方ですけど、そこに付託されることが分かったということで、その後押しすることになったわけです。それで、審議の時間はわずか1ヵ月弱、そういう中で、法案は無事通りまして、めでたく「離島振興法」は、昭和28年7月22日に出来上がったわけです。
 細かいことはあとで触れるとしまして、離島振興法の一番のポイントは、どこを対象に事業を進めるのかということで、もう少し具体的にいいますと、どの島を対象にするのかということになりました。しかし、離島振興法の中では、不幸にして、言葉の定義が載っておりませんでして、つまりこの法律において、「離島とは」という言葉の定義がございませんでした。これは法案を作る段階から、散々問題になりました。どこまでが離島だろうかということでございます。

 実はこの法律案について、国会内で議論がなされていました。つまり、7月に法案ができるわけですけども、具体的な審議は、経済安定委員会というというところで議論しています。例えば、新潟県の社会党の小林進という先生ですが、小林先生は次のように質問します。「離島というからには、瀬戸内海辺りにもたくさんの島があります。新潟県では佐渡島といったが、新潟県には、他にも離島がある。提案者はこの委員会をもって、11の島を離島として提案しているわけだが、これだけでいいんだろうか。」と質問しています。

 ちなみに、当初国が考えた離島は、伊豆諸島、佐渡島、隠岐、対馬、壱岐、五島列島、屋久島、種子島、甑島、南西諸島、こういうような地域だけでした。それに対して提案者は、綱島正興という長崎県出身の代議士でございますが、「回答いたします。例示に示した離島は、国土総合開発の線を踏まえて、経済的に社会的に決定しようとするものである。」
 これは先ほども言いましたように、国総法の関係で、いくつかの島がバッサリと切られてしまいます。そうすると、愛媛県の代議士の中村時雄という方が、「さっきから聞いていると、まだ内容、範囲、離島の定理がはっきりしていない。例えば、瀬戸内海にも離島はたくさんあるが、提案者は瀬戸内海を省いているのかどうか。」と聞きましたところ、「国道に1級、2級があるように、離島にも1級離島、2級離島が考えられる。まずは、第1級離島から指定し、次いで2級離島、その後にそれ以外の離島を予定したいが、瀬戸内海は今のところ入りにくい。ただし瀬戸内海でも、特殊な事情があれば、離島振興の線に沿って考えられるのではないか」と回答します。

 その後、具体的にどういうのが特殊な事例か、というような質問が出てくるわけで、基本的に、瀬戸内海の離島は、離島振興法の対象にならないということがありました。ただ、いま出ましたように、提案者自体も、具体的にどこの島を対象にするということが全く分からないうちに、とにかく離島は遅れている、厳しい環境にある、なんとか救いたいということで法案が出されたわけです。

 ところがその後、昭和28年7月に入りまして、法案の内容が固まってきた状況の中で、提案者から次のような意見が出されてきます。「離島振興法案の修正案を出したい。法案の付帯決議として指定の基準を示したい。」と。国会あるいは国会の委員会でいろんなことが決まる時に、「付帯決議」という言葉が時々出てまいります。付帯決議というのは、正式に決定するものではないけれども、そこに参加した議員の方々、あるいは委員会の名において、「尊重しましょう」という一種の合意でございます。正式の文言と別の形でもって、「努力目標」とでも言えばいいでしょうか、一種のしばり、こういったものが付帯決議です。

 その中で、島の自然に関しての基準、これをぜひ作って欲しいということが出されたわけです。具体的には、①本土の外海に存在すること、②その島と本土との間の交通条件が非常に不安定であること、③島民の生活が本土に強く依存していること、こういうようなことが付帯決議として出されて、何となくおぼろげながら、関係者、特に国会議員の方々は、離島振興法の対象は、外海にあって、交通が不便で、本土に依存している大きな島をイメージしたようでございます。こういったことを踏まえた議論に基づいて、最終的に法案が通ります。法案が通りますと、島の指定に関しては、審議会の意見を聞いて決定することになります。

 そういうことで、今日お配りしました2ページ目の真中から下に、「離島振興法の運用」ということが出てまいります。審議会でどのような形で審議したらいいのか、ということがございます。そこにかいつまんで書いているんですけど、まず、審議会の任務です。これは何かというと、大きく3つありました。
 1つは、対象地域を具申すること、答申すると言った方がいいでしょうか、どの島を対象とするかを決めることです。2番目は、それに伴う事業計画の承認です。3番目は予算、こういうものが審議会に課せられた任務でございました。具体的なメンバーは、その2ページ目の1番下(2)にありますように、国会議員が11名、各省庁の次官が10名、都道府県知事が3人、市町村長が3人、学識経験者が3人の、計30名をもって構成されました。次の点線のところ、これは国の機構に伴って変わったものですから、ここで細かく説明する必要はないと思っております。

 問題なのは、3ページ目の「3.離島振興対策実施地域」という所でございます。まずは指定基準です。先ほど触れましたように、法案ができる前に、付帯決議に謳われたような基準を作ったかどうかということがあります。指定基準は、法律ができた後、審議会でもって出されます。まず第1回の審議会でもって議題にされます。法律を作った、しかしながら、どこを対象にして事業を展開していくのか分からないのではダメですので、まずは、対象離島を決めるための基準、これが第1回目、3ページの上段にあります「指定基準(1)第1回審議会」で、実際の審議は昭和28年10月に行います。
 さきほどの付帯決議の内容を踏襲しておりまして、まず、外海に面する島であること。この島の場合には、群島、列島、諸島を含むと示されました。2番目は、本土との交通が不安定な島であること。3番目、島民の生活が本土に強く依存している島であること。そして4番目に、1ヵ町村以上の行政区画を有する島であることとなっているわけです。

 これは極めて大事な問題になってくるわけです。1ヵ町村以上の島で構成されているということは、かなり大きい島ということになります。それから、外海に面する島、これはいったい何なのか。先ほど触れましたように、みなさん方の前で今さらながら、瀬戸内海はどこかということを説明する必要はないと思いますけども、言うなれば、紀伊水道、豊後水道、関門海峡、ここに挟まれた閉鎖水域、これが瀬戸内海と言われております。この根拠になっておりますのは、今日のこれまで、地理学者その他いろいろと意見があるようですが、「瀬戸内海の保全に関する法律」により、対象地域というものが明確に示されているのです。ただし、こういったところで、9府県が該当している、場合によっては10というようにおっしゃる方もいると思います。大阪府を入れたとか、こういうことがございます。

 それはさておきまして、離島振興法の指定離島は、1ヵ町村以上の行政区画を有している、そして外海に存するということで、瀬戸内海に関係する島々は、この当時は、全く無視されました。ところが、昭和28年以降、いわゆる「昭和の大合併」が行われまして、これまで独立していた自治体である島が、本土に吸収されるところがゾロゾロ出て参りました。そうすると、法律ができた時は1ヵ町村以上ということを言っていたのが、本土に合併してしまうと行政区画がおかしくなってしまう、どうしたらいいかということが議論になります。
 実際には、3ページの(2)に示しますように「第4回の審議会」で修正案として、合併しても、旧来通りの考え方でいくんだ、ということが出てまいりました。このようなかたちで、指定地域の基準というものを作ったわけですけれども、その中で、実は昭和30年に、外海の島々が指定されていく中で、瀬戸内海の方から、「うちの方も何とかしてほしい」という意見が徐々に出てまいります。そのためには、新たな指定基準を作り直さなくてはいけない。その時に問題になりましたのが、島を指定するということは何なんだろうかということです。

 これは話がずれてしまいますけども、我が国の現行法は、現在、確か1,800本ぐらいあろうかと思いますが、その中で、地域関係法、確か40~50本くらいです。その中で、離島振興法は、地域のための法律として事実上の第1号と思っています。北海道を対象とした寒冷地域対策法のほかに、若干はありますけども。法律を作るということは、国の支援を求めるということが大前提ですから、離島振興法ができた、指定をした、それでは次は何かというと、国の予算を投入することになります。
 過疎法にしても、山村振興法にしても、いろいろな地域振興法がでてきます。そして地域を指定したら、それに伴って計画を作って、国が支援するということが出てまいります。離島振興法の場合、他の法律と根本的に違っておりましたことは、基盤になる中心的な事業、具体的には、港湾、漁港それから空港、こういったものは当時、全額国庫負担で進めるということが謳われました。
 島の数を増やしていけば、事業費がどんどん増えていきます。国の予算が限定された中で、地域指定を増やせば増やすほど、事業ができないということになればマズイということが大きな問題になりました。従って、外海の主要な島から、順次やっていくということもありまして、むやみに指定するということを、当時は避けていたようです。そのような問題もあったのですが、いろいろと審議していく中で、徐々に時が過ぎていって、そこにあります、第12回審議会で、初めて、内海離島の問題が出てくるわけですが、ここで、皆さんにお配りしました追加資料(第11回離島振興対策審議会)をちょっと見ていただきたいと思います。

 これは、この12回審議会の決定前の、昭和32年4月23日開催の第11回でもって検討されました。少々長いのですが、紹介させていただきます。綱島正興議員、「従来、ただ今の離島だけではどうしてもいけない。実は、最初は本土から隔絶したる外海に面する離島だけをうまくやれば、それでほぼ後進性はなくなると思っていると、今度は、本土から近い地域の内海、瀬戸内海のような所からもいろいろご意見が出まして、「お前さん達は、いちど瀬戸内海に来て見てみろ。お前の生まれた長崎県の離島なんかよりずっと悪い」という意見があって、行ってみると、長崎県は大きな島で離れているからいろいろ努力をしますが、瀬戸内海の小さな島は、実際にひどい。これは、想像していたよりもひどくて、”離島”という定義を多少変えなければならぬということで、今度改めて振興法の一部を改正する際に、外海に面するということではいけない。なるべく全地域の離島を指定してやっていこう。」このようなことを審議会で述べました。
 綱島委員は、自ら瀬戸内海の島へ実際に行ってみたら、自分は外海の島ばかりが遅れていて厳しいと思っていたけど、そうじゃない、やはり内海離島もなんとかしなくてはいけない。瀬戸内海にある島は本当に厳しい。大変な島がたくさんあることを目の前にして、綱島新会長は、内海離島にも目を向けようということになりました。ここで初めて、瀬戸内海に離島としての目が向けられるわけです。

 そこで元に戻りまして3ページの(3)第12回審議会において、瀬戸内海の離島についても、指定を考えていきたい。実はこの間に、瀬戸内海の離島を指定するといっても、本当のところ、瀬戸内海の離島には、いろいろと便利なところが多いんじゃないか、外海の離島と同等にするというのはいかがなものか、という意見も出てきました。そのことは、いろいろと議論されるんですが、最初に出てきましたのは、外海の離島を参考にしながらも、まず航路距離を見ていくことになります。本土との最短航路が10㎞以上、定期航路の寄港回数が3回以下、人口が100人以上、そして、こういう3つの条件を備えて、さらに離島振興法の目的を速やかに達成する、すなわち後進性を除去する、こういったことの必要な島、この基準を瀬戸内海の島について当てはめようということになってきました。
 このように、内海離島、瀬戸内海離島を扱うと、外海離島については、今まで通りでいいのか、やはり内海離島に合わせるようなかたちでもって、基準を見直そうではないかということになりまして、外海の離島については、5㎞以上、人口は100人以上、こういうような条件をさらにプラスいたしました。このような形で、離島振興法の中で、外海離島、内海離島の指定の緩和基準が作られるようになったという経緯がございます。

 実はこの内海離島の基準になった航路距離10㎞は、どういう根拠があったのだろうかいうことがございます。実は、これを決める少し前の段階で、こんな意見が出てまいりました。これは第6回の審議会の時、昭和30年ですけども、事務局は、当時の経済企画庁でございます。
 「既に指定された島と、実質的に何ら変わらない島がある。指定要望も強い。指定基準を緩和して例外規定を認めていきたい。未指定の島は、具体的には無人島であり、瀬戸内海の島、湾内への島などで、新たな基準として、最短距離5㎞以上の島として認めよう。その理由は、要望の多い島の多くが、事前に調べて見たところ、大体5㎞以上の距離にあったということです。こういうことで、1つの基準をみて、これは実は、内海ではなくて、外海の島の時にこれが出てきて、しかも人口規模はおよそ2,000人だったと。しかしながら、状況のその後を考えてみたときに、人口1,500人、それから、公共事業をすでに実施している。こういうようなところを、是非見ていきたいなということでもって、話が出てまいりました。こうやって1つの基準を通しながら、外海は5㎞、でも内海は10㎞にした。内海の離島は常に海上が平穏であるが、外海はちょっと風が吹いても波が立つ、これは根本的に違うことであって、従って、外海については5㎞、しかし、平穏な海域があるだろうという内海については10㎞とした。」こういったものを出してきたということがございます。

 こういうような条件の中で島の指定がされていきますと、次に出てきたのは、瀬戸内海の大きな島の中にあるもう少し複雑な問題でした。本土側に面して大変賑わっている地域があるけれども、その島の山を越えた反対側、こういったところは、航路距離もないし、航路も非常に不便だし、まして島内の道路も十分ではない。離島の表だけではなく、裏側も見てほしい。具体的には、島の一部を指定してほしいというような意見が出てまいります。つまり部分指定です。
 これはのちほど時間があれば触れたいと思っておりますけども、例えば淡路島です。あそこの一番南の方の灘地区、それから因島、あるいは生口島の瀬戸田町の一部、こういった大変賑わっているところはいいけれど、ある集落に行くとバスも通らない、そういったところは、ぜひ指定してほしいという要望が出てきました。このような形でもって、島の指定がコロコロと変わるなかで、瀬戸内海の島が指定されていきました。

 さて、話を元に戻します。このような指定行為、最初は外海、そして内海、それから一部指定、このような形で、最終的な判断として、内海・外海を区分することなく、人口がおおむね100人以上、対本土航路回数が1日3回以下、航路距離が外海で5㎞、内海で10㎞という大雑把な基準ができました。これを基本にして、その後、離島振興法が進んでいくわけですが、皆さんのお手元に配りました資料の5ページにありますように、内海離島は、その後、次々と指定をされていきました。昭和32年の8月から始まって、最終的には昭和41年の、第10次追加までにわたって指定されました。問題になりますのは、次の6ページのところで、「瀬戸内海の主な無指定離島」という言葉を記しておきました。これに少し触れておきたいと思います。

 皆さん方はご存知と思いますが、海上保安庁水路部が公表している瀬戸内海の島、今いくつあるかご存じでしょうか。日本全国は6,852の島で成り立っていると紹介されております。しかし、海上保安庁と国土地理院とでは、考えが異なっております。島の数字について公表しているのは、海上保安庁だけでございます。この6,852の島数は、「満潮時に、島の周囲が100m以上の、自然に形成された陸塊」を根拠に示されています。
 皆さんに、いまさらこんなことをいうのはおかしいですけど、島とは何ぞや?ということです。すなわち、周囲が水域で囲まれた陸の塊、しかも大陸よりも小さな陸の塊、これが島として定義されているのは、ご存知の通りでございます。そういうことでもって考えると、日本の本州も、世界で7番目の島。ちなみに、8番目はイギリスのグレートブリテン、いわゆるイギリスの本土の島ですね。
 それはさておきまして、日本に6,800有余の島があるといってはいるんですけども、実はこの一覧表がまだ公表されていません。私も何度か海上保安庁水路部に足を運びまして、一覧表を見せてくれと言いましたけれども、残念ながら見させていただけません。ちなみに、私が日本離島センターにいた時に、北方領土から始まって沖縄まで、すべて5万分の1の地形図でもって、島を全部拾い出してみました。4,917ほどありました。その時に、瀬戸内海の島が721くらいあったと思います。海上保安庁の方には、いや723じゃないですか、と2つ3つ違う数字を言われましたけども、約720前後の島が、瀬戸内海にあるとご理解いただけたらと思います。それはさておき、日本のこの島の中で、瀬戸内海の有人島自体をどこまで指定するのかということがございます。

 脱線してしまい時間をつぶすのがもったいないですが、私自身は有人島の定義を勝手に致しております。現在、有人島の定義を明示している辞書はございません。私は勝手ながら、島に住民登録がなされている場合、その島を有人島とみなすと定義付けております。国勢調査人口は常に発表されますが、国調人口は何を示しているのでしょうか。一方、住民登録をすることによって、これは住民基本台帳法に基づいて出すわけですけども、権利と義務がそこに生ずる。人がそこに住むのは、遊びで住むのではなく、生活がかかっているわけで、遊びで行っている場合には、それはどうぞご勝手にということになります。離島振興の観点から見たときに、そこが生活の場になり得るための基礎条件を作ることが、離島振興法になる。そうしたときに、有人島というものは、どのように理解したらいいか、あくまでも住民基本台帳法に基づく住民登録が、その島になされている場合とし、これからこの提案に対する賛同者をいっぱい集めたいと思っております。

 話の脱線のついでですけど、今年、国勢調査が行われました。前回2005年の国勢調査の時、ご存知かと思いますけど、これは統計法に基づいて行われる調査でございますが、原則として拒否することができません。それにもかかわらず、前回の回収率は約95%でした。5%ほど回収されていないのです。私も国勢調査委員を強引にやらしていただきまして、どうなっているんだろうということを、具体的に体験したことがあります。回収できない調査票、これはどうしていると思いますか?
 国勢調査は絶対に正しいと言われていますが、実は、回収できない場合は、住民票を使いながら照合するようなことをやっています。今年の国勢調査は、郵送で回答した人もかなり多かったみたいですけども、おそらく回収率は80~85%ぐらいじゃないかなと思います。すでにフランスでは、国勢調査自体がサンプル調査に変わっているそうです。日本の国勢調査人口、これが本当に悉皆調査(しっかいちょうさ)でやらないといけないのかという問題があります。むしろ、住民票の一部を活用して、職業関係、そういったものをうまく使うようになっていけば、国勢調査はサンプルになってできるんじゃないかなという感じはします。これは全くの私の個人的な意見です。

 それとは別に、現在有人島はいくつあるか、日本6,800の島の中で、約430ほどしかございません。大半は無人島です。でも無人島と有人島のそれは別として、離島振興法の指定地域、指定離島はどうなっているか。実際のところよく分かりません。なぜかといいますと、先ほどの6ページの所、頭の方をちょっと見ていただけたら分かりますが、アンダーラインをした地域がいくつか書いてあります。前の方の5ページの所もそうです。行政指定をしているところがあります。5ページで説明しますと、アンダーラインをしている、広島県の④の昭和36年9月、第9次指定、蒲刈町、下蒲刈町、あるいはその前、愛媛県の中島町、西中島町、あるいは大分県の姫島村は、町村指定がされております。他の所は島指定になっております。
 場合によりますと、外海の離島に多いんですけども、いわゆる群島としてのグループ指定をしております。例えば、伊豆諸島です。当時は、伊豆七島と言っておりましたけども、伊豆諸島として指定する。私の住んでいる長崎の場合でしたら、五島列島を指定する。そうすると、五島列島の中には有人島と無人島がいっぱいあります。

 長崎県に、炭鉱の島で有名な西彼大島があります。この島には、大島造船があり、「いつもの奴」「ちょうちょうさん」という焼酎を作った島として有名になりました。この島の指定は、大島町を指定するという形になっておりました。それで、この島と本土との間に橋が架かりましたので、国の方は、橋が架かったから、これはのちほど触れますが、「もう離島の隔絶性が解消した」として、解除しますと言ったところ、大島町の本島の方は、「それで当然です。しかし、うちには無人島がいくつかある。ここは将来リクリエーション基地にしたいと思っているので、この無人島は離島として残しといてくれ」と。国はビックリしました。無人島にも指定していたのかと。大島町として指定したが、固有名詞(島名)では指定していなかったんです。橋が架かったのはその一部に過ぎないということです。やむなくその無人島はそのまま指定されております。

 こんなことを考えていきますと、指定地域はいったい何だろうということが出てまいります。このような話をしているとキリがなくなってまいりますので、その前に、指定をするということについて話をしたいと思います。これは、国の高率国庫補助を受けて基盤整理が進められるということです。ところが、6ページの上の方に書きましたように、「瀬戸内海の主な無指定離島」こんな風な表現をあえてしました。

 岡山県の牛窓町の前島、黒島、黄島、広島県の仙酔島、大久野島、それから契島、大芝島、山口県でいうと笠戸島、香川県ですと、小豆島、兵庫県の淡路島、愛媛県の四坂島、松山の興居島。こういった主要な島が指定されておりません。なぜされなかったのか。これは、いま記録がどこにも確認できないので分からないのですが、例えば、小豆島。ここはその当時、昭和30年代「二十四の瞳」でもって、大変多くの観光客が訪れました。「二十四の瞳」、寒霞渓を見るということで、大阪・神戸から、多くの観光客が行っておりましたところで離島の指定を受けることになりますと、後進性の強い島だというイメージができてしまいます。観光上、これはまずいということで、地元が希望しなかったと言われております。
 その後、昭和50年代頃、実際にはもうちょっと前でしょうか、昭和47、48年ぐらいからでしょうか、小豆島から何とか離島振興法の指定をしてほしいという話が出てまいりました。国の方は、どうしたかといいますと、「残念ながら指定はできません」と。その理由を聞くと、「内海離島の指定基準が、今日そのまま生きております。本土との間の航路距離、航路回数、こういったものを見たときに、とりわけ、航路回数3回以下ということになっています。小豆島はその当時、全部で、確か12回か13回くらい航路回数があったと思います。そういうことで、残念ながら指定できません。」ということでした。

 また、愛媛県松山市の手前にある興居島、ここがなぜ指定されなかったのか?実は、指定してほしいと書類も出していたのですが、どこかでそれが見当たらなくなってしまい、審議会の席上に上がらなかったという、ウソのような話があるんです。今のところ、どこに確認しても、県は国に申請したと言っているんですけども、その証拠は確認できていない。そんなことがありまして、指定されていない島はいくつかあります。指定されたから、されないから、という問題は出てくるとは思いますが、少なくとも、高率国庫補助でもって基盤整備ができるというメリット、これは離島振興法上の大きな役目であります。これを見ると、瀬戸内海の島々であっても、ぜひ指定をしてほしいということは十分にお分かりいただけると思います。

 そこで、それでは、島の指定ということと逆の話が出てきました。橋が架かった場合に、その島は離島なのかどうかという判断でございます。地理学的、あるいは地勢学的と言えばいいのでしょうか。そういう分野の方から言いますと、「橋が架かろうが島は島だ」ということになります。ところが、こちら香川県坂出の「番の州」の沖にありました「沙弥島」「瀬居島」ですが、ここは埋立てでもって本土に繋がりました。逆に考えますと、本土との間が、埋め立てによって繋がるような島が、なぜ最初から指定されたのだろうかということが問題になります。
 さらに、橋の架かった島は、常時、陸上交通が確保されることでもって指定を解除されるということですが、そもそも、橋が架かるような島、近い島、これが指定されて良いんだろうかという問題も出てきます。ちなみに6ページに、橋の架かった島、それから下の方に、埋め立てが実施された島を紹介しておきました。

 広島、山口、愛媛にこういった島々がございます。この中で例外的なものがございます。愛媛と広島の下の方に書いてあります。児島・坂出ルートに関係した櫃石島、岩黒島、むかしは「いぐろじま」と言っていたそうですが、今は「いわぐろじま」、それから与島。これらは、児島・坂出ルートの中で橋の架かっている島です。しかし、離島振興法の指定を外されておりません。なぜか。本四架橋につながっているあの橋は、「高速道路であって一般道路ではない」ということです。島の人は、常時、通常の陸上交通として、車を乗り入れすることはできないということです。取り付け道路は、緊急用として付けられていますけども、通常使う道路として認定されなかった。従って、橋は架かっていても、指定から解除されていません。このようなかたちで、非常に変則な状況でありますけども、橋が架かっていても、指定され続けているところがあります。

 そこでもう1つ問題になってくるのがあります。6ページの上の方に、⑦として平成12年12月28日、香川県直島町直島という文字が出てまいります。昭和41年に、離島についての検討と指定がなされて以降、解除される島はあっても、もう指定する島はないはずと言われておりました。ところが、平成12年直島本島が指定されました。なぜか。実は小豆島土庄町に関わっております。

 土庄町に属します豊島、あそこはご存知の通り、産廃問題で、大変大きな問題を世間に訴えました。産廃問題を何とかしなくてはいけない。そんなときに、直島の三菱マテリアルが、精錬関係の仕事をずっとやっておりました。この産廃問題の中のいわゆる金属関係、重金属も含めまして、この産業廃棄物を処理するにはどうしたら良いだろうかといったときに、直島の三菱マテリアルの施設を使えば、豊島の大規模な産廃は、部分的に処理できるのではないかということになりました。

 それでは、具体的にどうすればいいか。直島の港を拡充しよう、そして船で運べるようにしよう、そのお金はどうするか、離島振興法の指定を受けて港湾整備をしよう。おそらく、そういう筋書きであったかなと想像します。指定基準では3回以下ですが、当時直島の航路はもっといっぱいありました。いろんな条件を考えますと、先ほど言いましたように、小豆島は3つの町で構成されていて、一丸になってぜひ離島の指定を受けたいと言ったのにもかかわらず、航路回数が基準を超えていることで却下されましたが、直島については、審議会の審議記録を見ますと、航路については全く触れておりません。むしろ、あそこの島にかつて精錬所があって、現在は大変厳しい生活環境がある、という言い方をしているものと、新たに三菱マテリアルが起業を進めるにあたって、いろいろとご苦労されていると。まるで何か企業の片棒を担いでいるような表現が、審議会の記録の中に出て参ります。そういったものを踏まえて、なんだか分からないのですが、いつの間にか、直島を指定離島にしておりました。

 実は、そのもっと前に、先ほどお配りしました資料の6ページの頭になりますが、同じ直島町の、牛ヶ首島、屏風島、喜兵衛島、家島、向島は指定するが、直島本島は指定しないとはっきりと謳って、周辺の島だけを指定したという経緯があるにもかかわらず、今回、直島本島の追加指定をしようとしたときに、「以前、この昭和39年の指定の時に、直島本島は指定しないと言ったじゃないか、なぜ今さらこれを指定するんだ。」という議論が審議会でなされました。しかしながら国の方は、その産廃問題を上手に隠すかたちでもって、「地域の秩序をいろいろ勘案して指定することが望ましい。審議会の中の学識経験者委員が、現地に行ってつぶさに調べたところ、大変後進性が高く、国の支援が必要だということで指定したい、という報告が上がっているので、ぜひ認めていただきたい。」ということになったように思います。なぜかとてもおかしなことだと思うんですけど、最終的に、直島は指定されました。

 時間の方もあまりありませんので、最後に一言だけ触れますと、結局、離島振興法とは一体何だったのか。最後のページに、「離島振興法の比較」という言葉が出てまいります。後ろから2枚目のページでございます。離島振興法の目的は、こういう風に記してありました。そこの真ん中、「当初法律」と書いてあるところをご覧いただきたい。
 「この法律は、本土より隔絶せる離島の特殊事情によりくる後進性を除去するための基礎条件の改善並びに産業振興に関する対策を樹立し、これに基づく事業を迅速且つ強力に実施することによって、その経済力の培養、島民の生活の安定及び福祉の向上を図り、あわせて国民経済の発展に寄与することを目的とする。」とあります。
 ひとことで言いますと、「本土から隔絶している離島の後進性を除去する。」これが離島振興法の目的です。しかし、一番下の「第5回延長」という所にあります、今日の離島振興法の目的は、ひとことで言いますと、「自立振興しなさい、創意工夫をもって自立振興しなさい」。離島自体は、今日、国としての大きな役割を担っております。そこに書いてあります、我が国の領域、排他的経済水域の保全、海洋資源の利用、自然環境の保全等に重要な役割を担っている離島について、その基盤整備を進めている。しかし、進めるにあたっては島民の創意工夫によって頑張りなさい、自立振興しなさい。そのために国も支援しましょう、という法律に変わってきました。

 領域、排他的経済水域、これをうたった途端に、内海離島はどうしたらいいんだろうかという問題が出てまいります。これは、今日お話しする内容ではございませんけれども、離島振興法は平成25年3月、いまから2年後に時限を迎えます。
 新しい離島振興法をどうしたらいいのか、尖閣列島の問題等もあります。北方領土の問題、竹島問題、いろいろとございます。こういった中で、離島振興法はどちらを向いていくのか、こういう議論がされる時に常に出てくるのは、島の厳しさは外海について常に言われるが、内海離島はどうなのだろうかという問題が出てまいります。
 皆さん方は、内海についていろいろと勉強されております。我々も、改めて内海離島・外海離島を区分する必要はあるのだろうか、ないのだろうか、そういったことを踏まえながら、離島振興の考え方、離島振興法と内海、この関係を、いろんなかたちでもって、もう少し精査する必要があるかなと、そんな感じがしております。時間になりましたので、あと質問がございましたら、質問を受けながら補足説明をしてきたいと思います。とりあえずこれでもって終わりたいと思います。


【質疑・応答】
Q.どうもありがとうございました。離島振興法に長年携わってこられて、内側から見たお話がよく分かったんですけども、私自身はいろんな島に行っています。今日言葉が出てきた、「内海離島と外海離島」です。外海離島は、例えば非常に出生率が高かったり、非常に生活がうまくいっているように思うんですが、内海離島を見ていると、当初それほど援助が必要ないと思っていた内海離島が、今かなり人口減であるとか限界集落であるとか、非常に生活条件だけは良くなったんですけども、人が住まわなくなってしまったような状況を生んでいるような気がしております。ある意味、離島振興法だけで救われる問題ではないと思いながらも、たぶん離島振興法で考えられていた思想のようなものから、内海離島は少し外れているんじゃないかなという気がする時があります。鈴木先生はどのようにお考えでしょうか?

A.大変難しい内容の質問でございます。我々がときどき感じることのひとつとして、内海離島の多くは、対岸の光が多少なりとも見えるということです。そうすると、そこと競争するという心理がたぶん働いてしまうのかなと思います。それと、島からの出やすさですか。外海の場合は、やはり出るからには、「かなりの覚悟を持って」と言うのはおかしいですけど、一度出たらそう簡単には戻れない。内海の場合には、行ったり来たり、比較的簡単にできる。そして、本土の方に行ってみると、少し便利に感じるようになる。その少し便利だなということで、本土に移ってしまう。
 外海の場合には、もちろん大学はございません。高等学校がある島も極めて少ない。中学校を卒業した段階から、もう本土に渡る。そうすると、本土の生活が、さらに高校、大学という風に進んでいくと、もう自分の島に帰るチャンスを失ってしまう。もうひとつの大きな理由は、外海の場合には、漁業が中心の島が多くございます。そういったところでもって、先ほどのマグロの話ではございませんけども、資源がだんだん枯渇している中で、親自身がもう島で頑張ろうとしても、いい就業機会もないし、生活するんだったら本土へ出た方がいいと、プッシュ要因がかなり働いている。それに比べて、一旦出てしまうともう帰ることはなかなか難しい。従って、出るんだったら出る、出ないんだったら出ない。そのあたりの「けじめ」は、外海の方が強い。
 それに対して、内海の人は、常に出たり入ったりできそうだということがあって、ついフラフラ出ていく。でもやっぱり帰ることはしない。そういったことが人口減につながるのではないかと思います。生活環境自体は、おそらく遜色ないくらいにかなり恵まれてきているものと思うのですが、生活の利便性、これを考えたときに、もう少し便利なところがいいというのが、外へ出て行く理由ではないかなとそんな感じがいたします。
 ちょっと補足させてください。これも余分なことですけど、本日、最初に触れました民俗学者の宮本常一という先生は、離島振興にずっと関わってこられました。先生が口癖のように言われていたことのひとつに、「なぜ離島振興をもっと進めなくてはいけないのか」ということです。
 これは、このご質問に関連することなのですが、島の人は、本来蓄えるべき財を、進学した子どもの仕送りにみんな使ってしまう。ところが、仕送りしてやっても、島に帰ってこない。島にはいつももっと財が蓄えられて良いはずなのに、学費として外に出ていってしまう。都会の人は、その島の人の苦しい中で蓄えた費用を、タダで使ってしまう。島の人は、本来でしたら、もっともっと豊かな生活が送れるために財があったはずなのに、それを本土の人がタダで使う。だから、島の人にはその代償として、離島振興という名のもとに支援をするんだ、といつも言っておられました。
 こんなことを考えると、島は本来もっと豊かになってよかったはずです。それがそうでないのはナゼだろうかということで、宮本先生は、ある大学の、島出身の学生数を計算して、こんなにたくさんのお金が、島から外に出ていってるんだと盛んに言っておられました。たいへん象徴的な言葉かなという感じがしております。
 それからもうひとつ、宮本先生は島の青年にこんなことをよく言っておりました。「離島振興法がようやく出来た。しかし、離島振興法ができたから島がよくなると思うな。みんなが島を良くしようとする時にはじめて、離島振興法が活きるんだから。法律が先じゃない。君たちの努力が先だ。」と。島の青年の意識を高めるために、このような言葉を盛んに言われていたなと今思い出しました。余分なことをちょっと触れましたが。


Q.内海でも外海でもよろしいのですが、この振興法を適用し、努力をして成功した島はございますか?

A.何をもって成功と言えようかな、ということがまず根本的なことがありますので。

Q.心が豊かか、幸せかと言う意味です。

A.我々は島に関っていて、人口規模が多いとか少ないとかを判断していいのだろうかを常に問題にします。つまり今、昭和45年に過疎法ができましたけれども、多くの島が、昭和30年に比べて、だいたい半分近くの人口まで大幅に減少しております。わたくしは昭和25年から、全部の島の人口を調べてみましたけども、昭和25年頃が一番人口の多い年でした。むしろ、適正人口は、おそらく昭和40年から45年くらいではないかなとそんな感じがいたします。
 ただ、適正人口は、頭数だけ数えても良いのかどうかという問題にもなります。現実には、若年人口の割合が高い島は、ある面で離島振興が十分機能しているというように理解していいのかなと思います。ですから、島を研究するときに、島をどういう視点で見るかです。単純に、遠い島・近い島、大きい島・小さい島、こういうようなひとつの基準がございます。かつて島を分類するときに、ひとつの区分けとして、航路距離で1時間以上、その時は平均で10ノットを採用して計算しましたけども、10ノットの船で1時間以上かかるのは遠い島で、人口が5,000人以上の島は大きい島であると。
 こうやって、大きい島・小さい島、それから遠い島・近い島を区分けしたのと、もうひとつは、群島をなしているか、孤島であるかの違いです。まったく別の視点からは、いわゆる主たる役場、行政の中心地が、本土にあるのか、島にあるのか。これによって、地域の運営の仕方がかなり違ってくる。特に、平成の大合併で多くの島が本土に吸収されました。吸収されるということは何なのか。自分たちの意思決定の状況を、本土に委ねるということで、自分たちがこうやりたいと言っても、本土の行政が縦に首を振ってくれなければ動けない。こういう自主自立といったものが、この合併で大きく変わってしまったということだと思います。
 ただ、大きくは、群島か孤島か、遠いか近いか、大きいか小さいかということにあるかと思います。ちなみに、現在法律で指定されている島、沖縄、小笠原、奄美、含めて320ほどございますが、このうち、人口100人未満の島が約半数あります。また、人口たった1人、もしくは10人以下の島が、全部で約50島近くございます。しかし我々は、限界集落という言葉は使わないようにしております。なぜかと言いますと、島は必ずや豊かではなくても、生きていける環境があるからということを、我々は島の人とよく語ります。ですから、定年になってから帰ってくる方もおられますし、なにも、人口高齢化率が50%を超えたから限界集落だ、という発想が島の人たちに起こらないようにするように我々が努めております。
※本サイトに掲載している文章・文献・写真・イラストなどの二次使用は、固くお断りします。
閉じる