平成22年度 香川大学瀬戸内圏研究センター学術講演会
 熊井 英水氏 「クロマグロの完全養殖達成と将来展望」

【講演内容】
 皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました、近畿大学の熊井です。

 今日はマグロの話しをということでございまして、もちろん、これは主にやりますけど、その前にひとつ、香川県で始まった、いわゆる「海の魚の養殖」について、ちょっとお話したいと思います。
 
 実はですね、これは、香川県の東かがわ市引田町安戸池(あどいけ)で、ハマチ養殖の発祥の地と言われておるわけです。
 2年ほど前に、この「ハマチ養殖の父」と呼ばれる、野網和三郎さんという方が生誕した100年、それから、ハマチ養殖が始まって80周年ということで、大きなイベントが催されました。私も招かれまして、講演をさせて頂きました。
 昭和32年、当時私は、学生だったんですが、ここを見学しました。
 当時、大学の講義では、海の魚の養殖なんてまったく出てきません。当時は、漁撈(ぎょろう)というですね、魚を獲るというのが水産ではメインでございました。増殖を専攻するなんて水産じゃないんだ、というようなことを言われました。
 ところが、学生の時にここに来まして、野網さんから「日本の水産は、必ず、これから増殖の時代になる。いわゆる水産養殖。君らはそれを専攻しているのだから、ひとつ頑張ってくれ。」という激励を受けた世代でございます。これがその安戸池です。
 これは私の同級生ですけども、夏休みのアルバイトなんです。船に餌としてイワシをいっぱい積んでおります。餌やりをしているわけです。
 野網さんは、全国かん水養魚協会、現在は海水養魚協会と言っておりますけども、初代の会長をされておりました。野網さんはハマチ養殖の元祖ということで著名な方です。

 野網さんがハマチ養殖を始められたのは、昭和3年です。それから2年後の昭和5年、香川県の水産試験場が、この玉藻城のお壕でハマチの試験をしました。
 これは、香川県の水産試験場の報告に出ております。それで、これを写してきたんですが、当時はまだメートル法でなく尺貫法でしたので、長さを、寸や尺といったそういう旧の長さを使っていました。
 ハマチ養殖の適水温というのは、25℃ぐらいより上です。瀬戸内海の冬の水温は低いものですから、特にこの浅い城の濠では、水温が非常に低くなります。10月15日の測定で、だいたい20℃ぐらい、ハマチは230匁(862.5g)でした。それからは、だんだんと痩せてくるわけなんです。そして、ハマチというのは、だいたい10℃くらい以下になりますと、餌を食べなくなります。それで、この翌年の1月12日には1.8℃になって、全部死んでしまったということです。
 ところがハマチの稚魚は、瀬戸内海にそんなに入ってくるはずはないという風に考えていました。それでは、どこからこの稚魚を持ってきたのかといいますと、いま私が住んでいる和歌山県の勝浦、ここから船で運んだということが書かれておりまして、ビックリした次第です。そういうことで紹介をさせて頂きました。

 ところがです、ハマチの養殖というのは昭和3年に始まったというのが定説なのですが、実は驚くなかれ、「香川新報」という、現在は四国新聞になってるんですが、明治32年9月8日付けの新聞に、ほんのちょっとなんですが、こういう記事が出ているんです。
 ここは当時、小豆島・坂手村の大児島、小児島、今は1つの島になっているようですが、その間のところで養魚をやっていたのです。この土地の、おそらく有力者だと思うのですが、某氏が仮に百坪ばかりの区画を設けて「ハマチ2万、マダイ200餘尾試養し居れるに成績極めて佳良なりしか・・・」。
 皆様ご存じのことと思いますが、ここはお醤油の産地でございまして、そのお醤油を積んだ船が、そこで恐らく、台風かなにか来たんだと思うんですが、座礁しまして、そして、この養魚場にお醤油が流れ込んだ。そこでハマチ、マダイがこれだけ死んだという記事です。ですから、これなんかは、養殖の歴史にはまったく出てこなくて、たまたま、この新聞記事で知られたのでした。
 従いまして、香川県というのは、やはり海の魚の養殖というものを古くからやられていた、非常に歴史あるところでございます。歴史はまた繰り返されると言いますけども、これから香川大学が中心になって、瀬戸内海の漁業をますます発展させて頂きたい、かようにお願いする次第でございます。

 今度は、現在の日本の漁業はどうなっているかということをちょっとお話します。
 漁業は、遠洋漁業、沖合漁業、沿岸漁業それから海面養殖業、それから、内水面の漁業・養殖業から成り立っています。
 遠洋漁業というのは、これはもともとマグロを中心として獲っていたものです。ところが、昭和59年には全漁獲量が1,282万トンという、これまでのピークを示しました。それから2~3年続いたんですが、このようにガタガタっと減ってきておりまして、最近では、もう半分以下になってきています。50年前よりちょっと少なくなっている、というような状況です。この遠洋漁業は、200海里の問題もありまして減少しているのは当然ですが。
 沖合漁業、これはイワシ、アジ、サバなどを獲るんですけれども、これが最近、特にイワシの漁獲量が減っているということで、昭和63年あたりでは450万トン獲れたのが、現在は5万トンくらいしか獲れていないというような状況で、極端に減少しています。ところで、イワシは浮魚ですが、資源学者に言わせますと、これはほぼ50年周期という波がありまして、現在は最も底にあり、これからまた増えてくるだろうという予想が立てられています。
 沿岸漁業というのは、その名の通り、沿岸でやられている漁業で、エビや貝などを獲るものです。
 それから、海面養殖業、これはハマチをはじめとした養殖です。これはほぼ横ばいということでして、ここにひとつ、これからの漁業というのは、希望を持って行かなくてはならないだろうと思っております。内水面というのは、湖沼などの漁業養殖業で統計的には微々たるものです。

 この表は、「種別生産量に占める養殖割合」ということを示したものです。これは平成21年の統計でして、まずはブリ類。ブリ類というのは、皆さんご存知のハマチですね。それからカンパチ、それからヒラマサ、この3種類をまとめて、ブリ類というように農林統計には出ております。これが15万2,800トンということで約15万トン。このうち、10万トンがハマチで、5万トンがカンパチ。ヒラマサは、もうほとんど数字にはならないほどであります。ブリ類は養殖の割合は66%。1時は72%くらいまでいってるんです。ですから、市場やスーパーに並んでいるハマチ10尾のうち、7尾は養殖であるという次第です。

 それから、まだそれよりも率の大きなマダイ、これは稚魚、いわゆる種苗を人工的にどんどん作れるようになっています。これは数字を申し上げますと、卵から数えてマダイになる、人工的にですね、60%もマダイになるという技術が進んでおります。そんなところで、養殖の割合は81.6%。これも多い時には84%ぐらいまでいっております。それからギンザケ、これは日本にはおりません。アメリカから種を持ってきてやっているんですが、これも一時は、2万5千トンまでいっておりましたけれども、栽培漁業で盛んにサケ類が多く獲れるようになりましたので、これも、今はだんだん廃れてきているという状況です。

 次にヒラメです。これは昭和40年に、私どもの研究所が人工ふ化に成功しまして、それからこの産業が生まれました。ヒラメは日本の沿岸にはいるのですが、なかなかまとまって獲れないものですから、養殖用の種苗としてたくさん集めることが困難なのです。人工ふ化に成功して、それから、ヒラメの産業ができました。養殖生産は、一時は7千トンくらいありまして、天然とほぼ半々だったんですが、最近は、非常に減ってきております。といいますのも、このヒラメの飼育適水温というのが低くてですね、20~25℃までということなのです。他の魚のそれより低いんです。ヒラメは昭和60年に、この養殖技術が韓国の済州島に渡りました。韓国というのは、半島の南側でも済州島あたりでの水温が低いものですから、ヒラメの養殖に適しております。いま韓国では、5万トン以上の生産をしておりまして、逆に日本に入ってきております。

 それからフグ類。フグ類と言いましても、特にトラフグですが、これは、全漁獲高の半分くらいが養殖になっています。フグを食べに行きましても、かつては、大阪あたりでフルコースでしたら3万円もしたのですが、いまでは、養殖のおかげで、その10分の1で食べられるところがあるという状況です。シマアジです、これも沿岸に稚魚がたくさんいるのですが、まとまって取れないのです。私どもで昭和48年に人工ふ化に成功しましてから、シマアジの養殖産業ができるようになったという次第です。

 以下、たくさんあるのですが、だいたい20数種類の魚種が、すでに養殖できるようになってきています。そういうことで、漁業の中で養殖産業というものは、相当の位置を占めておりまして、これから欠かすことのできない産業に成長してきております。実はですね、これからお話しますマグロですが、水産庁がまだ統計に載せていないのですが、いま実際どのくらいかといいますと、ギンザケの次にランクされるくらいの勢いにあります。

 今度はマグロの話に入ります。マグロ類の利用の歴史ですが、これは日本では、縄文時代に、岩手県の太陽台貝塚、滋賀県の入江内湖遺跡のあたりから、マグロの骨が出土しているということで、古代人がマグロを利用していたということがわかるわけです。
 また最近、外国では地中海のマグロ養殖が盛んだということをお聞きになったことがあろうかと思います。この地中海では、シチリア島のすぐ近くに、地図にも載っていない、「レヴェンツオ島」という島の洞窟に岩壁画がありまして、このようにハッキリと、マグロの形をしております。これが、約2万年前のものと言われております。従いまして、地中海では、2万年も前からマグロを利用していたということが分かるわけです。

 奈良時代になりまして、万葉集や古事記に「しび」という名が見えてきます。マグロのことを「しび」といっておりまして、例えば、先日、奄美で国際シンポジウムをやりましたが、奄美の人たちは、しびというのはキハダだというように言っています。
 いろんな呼び方がありますが、私は、しびはマグロ類の総称だというように思っています。大伴家持、この人は政治家でもあり歌人でもあるわけですが、実は746年から751年まで、いまの富山県に、越中の守として赴任しました。その時に「鮪(しび)衝くと海人の燭せる漁火の火(ほ)に出ださむ吾が下念(おも)いを」と、こういう歌を作っています。ところがこれは、漁火を焚いて、これに集まったマグロを衝いたという、歌の意味は別として、富山湾ではこういった漁が行われていたことが分かるわけです。

 室町時代になり下学集が出され、これは今の国語辞典か百科事典ぐらいだと思いますが、これには、しびは「まずい魚」とこのように記載されています。江戸時代初期の慶長見聞集には、「鮪は味わい良からずとて、地下(じげ)の者も食わず、しびは死日と聞こえて不吉なり」とこんなことが書かれています。ですから、しびは一般庶民でも、死んだ日ということで、不吉であるとして食べなかった。

 同じ江戸時代初期でございますけども、もう少し年数は経っていますが、江戸前のにぎり寿司の元祖、これは「両国与兵衛寿司」という、関東大震災まで続いた老舗だと言われておりますが、ここから、にぎり寿司が始まったと言われております。それから、江戸時代後期になりまして、近海マグロが大漁になります。これを寿司屋さんが、競ってお醤油に漬けて保存して握ったということで、今も東京に行くとありますけれども、「ずけ」の始まりといわれています。しかし、与兵衛寿司というような老舗では、「のれん」に傷が付くと言ってマグロだけは握らなかったと、こういう風に言われております。昭和の初め頃は、トロなんていうのは、「猫跨ぎ」などといって猫も食べなかったと言われています。今のマグロブームといいますかこのブームは、恐らく、戦後の欧米の食文化が入ってきて、油の強い食品が好まれるようになったということで、ごく最近のことです。

 次に、世界にはマグロの種類がどれくらいあるかということですが、これは7種類あります。ここでは大きい順に示していますが、上から、クロマグロ、ミナミマグロ、メバチ、キハダ、ビンナガ、コシナガ、タイセイヨウマグロです。
 この中でコシナガは、東南アジアのほうにも結構多いんですが、日本にも少しおります。あまり美味しくないので食べません。タイヘイヨウマグロというのは、ごく少ない種類であります。残りの5種類が、我々の利用しているマグロであります。ではマグロ類の漁獲での割合がどのようになっているかと言いますと、キハダマグロ、これが最も漁獲の中で多いわけで63.1%の漁獲、その次がメバチ、これは「目がばっちり」しているのでメバチというのですが、これが18%。そして、ビンナガ、これは胸鰭(むなびれ)が長くていかにも「鬢(びん)が長い」というのでビンナガと呼んでいます、これが9.6%。そして、その次がようやくクロマグロなんです。

 クロマグロは、最近そのDNAとかいろんな形態を詳しく調べ、生物学的に、太平洋のマグロと大西洋のマグロとは種類がちょっと違うんだということが言われだしております。もともと学名はすべて「Thunnus thynnus」と言っておったんですが、今は、大西洋のマグロを「Thunnus thynnus」、太平洋のものを「Thunnus orientalis」と呼んでおります。ところが、大西洋で1.4%、太平洋で0.4%、合わせても1.8%しかありません。非常に少ないのです。ミナミマグロ、これは赤道から南の方、別名インドマグロと言われていますが、これも0.7%しかありません。私どもは、この最も希少な、そして美味なクロマグロを、昭和45年から研究の対象として始めたわけです。

 クロマグロは、マグロ類のなかでも最大成長をするんですが、今までに、これは大西洋のクロマグロですけれども、体重907㎏、体長4m26㎝というのが記録であります。日本近海では、私が住んでいる和歌山県の勝浦は、近海マグロの基地ですが、だいたい300㎏級のものです。私どもが養殖したものは、後で出てきますが、もう少し大きくなっています。
 皆さん御承知の通り、破格の市場価値、それから世界中から日本に集中してきています。また、世界のクロマグロの8割を日本人が消費しています。そういうことで、ワシントン条約締約国会議でも問題になっています。
 平成4年に、京都で第4回の締約国会議が開かれましたが、その時にも、国際的な取引を禁止するよう提案されたのですが、あまり騒がれませんでした。
 ところが今年の3月、ドーハで行われた会議には、モナコが提案しましたが、これは大変な物議を呼んだわけでございまして、日本が中心になって、これをなんとか否決しなければいけないということで、頑張ってなんとか否決に導きました。しかし、これにEUがこぞって賛成し、またアメリカも賛成しようという雰囲気になってきたのですが、なんとかそれを退けたということであります。これからは、そううかうかしておれません。
 そういうことで、我々としましては、世界で最も漁獲し、消費している日本から、日本人の手によって資源をドシドシ増やしていますよということを、世界に向けて発信してやらないといけません。ということでありまして、いま我々も力を入れてやっているところです。

 次はクロマグロの生息分布です。一般的には、緯度の北の方、太平洋、それから大西洋、地中海です。ところが、最近の資源の研究では、これより南方にも少し分布しているということが分かってきております。
 この赤丸、これが主産卵場でありまして、太平洋のものでは、台湾東部海域、大西洋では、バハマ沖とか地中海、こういうところが主産卵場です。日本海でも、少し産卵しているということが最近分かってきています。ここで産まれたものが、日本列島を北上しながら、また南下しながら成長します。一部は、「渡洋回遊」といって、アメリカの西海岸で少年期を過ごして、また産卵海域へ戻ってくる。こういった軌跡の研究が、段々と進められておりまして、これがはっきりすれば、ここで大量の稚魚の生産をして放流してやれば、やがてこれが元に戻ってきて、ここで待ちかまえて獲れるということが、夢のような話ですが、期待できるわけです。

 まず、クロマグロ幼魚をどのようにして集めるかということですが、「ヨコワ」というのは、クロマグロの子供のことです。まずこれを集めなけれいけませんが、ところがですね、彼らは皮膚が非常に弱いんです。普通、釣ったら手で触るわけですけれども、触るとそこから擦れてきます。それで、網ですくっても、バタバタすれば、もうそれで擦れてしまい、非常に扱いにくい。また酸素の要求量も非常に高いということで、大変に扱いにくい魚であります。
 和歌山県の、ここは串本大島なんですが、5トン前後の船で、いわゆる「曳き縄釣り」、和歌山では「ケンケン釣り」と呼ばれています。
 ケンケン釣りというのは、明治41年に、和歌山の漁師がハワイに行きまして、ハワイのカナカ族という原住民から教わってきた方法であります。まあなんのことはない、「曳き縄釣り」でございます。典型的に書いてみますと、これは上から見た図です。こういう風にして竿を出します。そこへ道糸(メインライン)を取り付け、その先に、潜航板、擬餌針を付けて海面を曳いて行くわけです。そして、曳いて行くとヨコワが飛び付くわけです。
 ケンケンというのは、石蹴りをやるのをケンケンとよく言ってるんですけれども、これを曳いて行きますと、海上をピョンピョンとこういう風にいきますから、まるでケンケンをしているように見えるということからきています。それに食いついてくるわけです。

 最初のうちは、なかなか彼らの生態が分かっていなかったものですから、よく手で掴んだりして、ほとんど死んでしまったんです。そこで、漁師の人たちと一緒になっていろいろ検討しまして、これを手で触らずに生かす、そういう方法を考えねばならないということで、18リットルのポリバケツの上縁直径にテグスを張るんですが、この図では太くなっていますがテグスなんです。そこに、かかったヨコワを針の上を、ちょっと持ってテグスに引っかけるのです。そうすると、ヨコワはポリバケツに落下します。
 ヨコワは酸素の要求量が高いものですから、たちまちのうちに弱ってきます。それで弱ってきたところを、活魚槽にそっと移してやります。こういう方法をとって、生存率を上げることに成功しております。
 もう1つは擬餌針ですが、これはシングルとタブルがあるんですが、ほとんどシングルのようです。擬餌針は鳥の羽根とかナイロンだとか、いろいろのものでできております。普通の釣り針というのは、掛かったら外れないように「返し」がございますが、これを潰してあります。すぐに外れるように。そんな風にして、とにかく「手に触れずに収容する」という改善方法を開発しました。

 次にヨコワの大きさですが、時期はだいたい7月から9月の始めまですが、大きさは100gから500gまでが中心です。中には1㎏ぐらいのものもございます。体長は20~30㎝です。最初のうち、歩留まり(生存率)は、良くても30%くらいだったのですが、今やだいたい85~90%くらいは残っているという状況です。

 次に、沿岸にしつらえた餌付け用の生簀にまず収容致します。ここでイワシやイカナゴ等を与えますと、1週間ぐらいで、バンバン餌に食いつくようになります。
 これを今度は、本養殖場に移してやらなければなりませんが、マグロというのは、外洋性の魚ですから、潮通しの非常に良い所、外洋性の海水がよく入るという所が必要です。そのような場所は、沖に面した所ということになりますから、台風などには危険な場所です。
 そこで我々が考えたのは、普通のこういうフレームを持った生簀だと壊れてしまいますので、こういうフロートを連結したものを考案しました。これは、1辺30m四方で、この下に網を張ってあります。深さ10mです。これに、餌付けできたヨコワ、だいたい年末になりますと、体重1㎏とか大きいのは3㎏ぐらいになりますが、それをここに放養します。それを、出荷できる大きさまで、ここで養成します。

 またもう1つの生簀、これは奄美で使用していますが、高密度ポリエチレンパイプで、2連になっておりまして、これ自体が浮力をもっています。これはノルウェーのサーモン養殖なんかで使っているものでありますが、ノルウェーの製品は高いですから、台湾やオーストラリアで作ったものを、日本へ輸入して使っております。これは非常に強くて、奄美で台風に何回も遭いましたが、ガチっとしています。養殖業者が、それぞれいろんな方法で自分に合ったように使っています。形は円形もありますし、四角もありますし、長方形もありますし、八角形もあります。いろんな形で自分らの好みと場所に合ったように大きさなんかも決めているというのが現状でございます。

 今度は餌ですが、私どもは、文部科学省のグローバルCOEの研究をしておりますが、その餌のグループでようやく配合飼料を完成させまして、さきほどお見せした様々な魚、これはもうほとんど配合飼料で育てています。
 しかし、マグロだけは栄養要求がまだはっきり分かっておりません。従いまして、まだ出来ておりませんが、だいたい体重1㎏くらいまでは配合飼料を使えるようになっております。この2年くらいの間に成功しておりまして、体重1㎏くらいまではいけます。それから後は、やっぱり生の餌を使っています。こういうものを、早く配合飼料にしてやらないといけないのですが、現在、サバ、イワシ、アジ、スルメイカといったような生の餌を使っています。
 サバがこんなに使われているのは、小サバから大サバまで、マグロの非常に早い成長の口に合わせてやれる、ということがあるからです。それから、スルメイカは、リン脂質とかトリグリセリド成分がありまして、これはマグロの卵を分析してみますと、そういった成分が非常に多いということで、産卵時に良い卵を取るために、産卵の前1ヵ月ぐらいから、エサにスルメイカを混ぜるということをやっております。

 次は成長です。成長は、いろんなファクターがあるわけですが、特にその環境では、水温が非常に影響しています。
 私どもは奄美にも実験場をもっておりますので、串本の実験場で飼育したのと比較してみました。この図です。この図は体重ですが、奄美と串本では、月日の経過にしたがって、こういう開きが出てきます。ここで水温を見てみますと、この線が20℃ですが、そうしますと、奄美では、冬の最低水温が20℃以下になることはほとんどありません。それが串本では、15℃、低いときは13℃くらいに下がっています。それで、だいたい5℃前後の差があるわけですが、3年の成長で、串本では大きいもので50㎏、ところが奄美ではその倍の100㎏に成長します。
 ということで、マグロの場合は、水温が高い西日本の方が養殖に有利であるということが、ここからお分かりだと思います。

 そこで今度は、マグロの体温です。普通の魚というのは、自分の住んでいる水温と体温が同じだというのは常識です。
 しかしマグロはそうではなくて、水温より高い体温を持っているんです。だいたい、少ない時でも2℃くらい、場合によっては、20℃くらいの差が出てきます。これが水温で、こちらが体温でございますが、いつもこういう開きがあります。夏は割合と小さいですが、冬はこれが大きくなります。餌をやりますと、このようにして、また体温が上がってきます。
 これはデータロガーを体内に入れて測定するのですが、いろんなデータを取ることができるのです。例えば、遊泳速度を計るとか、深度を計るなどいろいろ使えるんですが、この場合は、温度を計るためのロガーです。そうしてみますと、例えば餌でもですね、今どの種類の餌をやったかというのは、このカーブでわかるのです。今はそのくらい研究が進んでおります。それで、マグロのように高速で泳ぐ魚は、体温が高いと、非常にエネルギーが得やすいということでありまして、たとえば、10℃高ければ筋肉の収縮が3倍早くなる、というデータもあります。

 それからもう1つは、マグロというのは、例えば、取り上げるときに「身焼け」を起こす場合があり、肉に透明度がなくなってくる状態のことです。そういうことから、この取り上げは非常に大切で、せっかく大きく育てても、取り上げで失敗すると、もう半値以下になってしまいます。非常に難しいんです。
 ですから私どもでは、取り上げ専門の職員を養成しまして、3人のチームで取り上げるときは、彼らが必ず携わっています。取り上げるには、生簀から釣るんですけども、釣り針に餌をつけて、投げて食いついたら、すかさずそれに電流を通します。そして仮死状態にして、船上に引き上げて素早くエラと内臓を取って氷水に漬けます。その間、長くても3分で冷たい氷水につけます。そして、それをまた陸にもって来て、1昼夜くらい冷水につける。それから出荷する。こういうことをやっています。

 これは先ほど言いました、30m角の生簀で養殖したクロマグロです。これは15歳ですが、体重が403.9㎏、全長2m87㎝、これだけ大きくなっています。あのような生簀でも、これだけ大きくなるというわけです。
 これは、私どもで養殖したもので最も大きなものですが、15歳までは普通は養成しません。だいたい3年から4年くらいでして、体重としては30~40㎏、せいぜい50㎏くらいで出荷をします。
 先ほども申しましたが、南の方ほど水温が高い分、1年くらい早く出荷できます。15歳まで飼ったというのは、卵を取るための親なんです。
 ちなみに、それでは、クロマグロは生簀の中で何歳まで生きるかということで、ずっと飼育する実験をしたことがあります。そうしますと、23年という記録があります。天然の海では、それが当てはまるのかどうか分かりませんし、一般でも、それより少ないのか多いのか、これもちょっとわかりませんが、とにかく生簀の中では、少なくとも23年生きたという証明でございます。

 今度は産卵です。実は、昭和45年からヨコワを集めることを始めましたが、最初の4年間は、1年以上生かすということがなかなか困難でした。
 しかし、昭和49年にようやく、活け込んだものを長く生かすことに成功しました。これをずっと飼いまして、5年経ちました。昭和54年に卵を産んだのです。これは、その卵を産んだ時の瞬間の写真です。生簀の中での、世界で初めての産卵でした。産卵行動は、メスをオスが数尾で追いかけます。こういうのを「追尾」といっておるんですが、最後に、メスにオスが接触するその「接触刺激」によりまして、メスが卵をバーっと出すわけです。すかさず、オスが精子をバーと出し、そこで受精をするわけでございます。

 クロマグロは、海面に浮くいわゆる「浮性卵」を産みます。浮く卵を産む魚というのは、先ほどお見せした、養殖している海の魚はほとんどがそうですが、トラフグだけは「沈下卵」です。サケは、ご存じのいわゆる「母川回帰」と言いまして、自分が産まれた川に上って行って卵を産むわけですが、これは尾っぽで砂を掘って、そこへ産んで、また砂をかけるということで、あの筋子を見ていると、数は数千しかありません。しかもサケは、1生に1回しか産卵しないのですが、保護されていますので、子孫をずっと持続できるのです。
 
 ところが、クロマグロのように浮く卵を産む魚は、1回にどの大きさのものがどれだけ産むかということがまだ分かっておりません。それに、浮く卵を産みますと、他の魚が寄ってたかって卵を食べてしまいます。
 従いまして、浮く卵を産む魚の産卵は、夕方、薄暮の頃なんです。そして、夜のうちに拡散され生き延びる、というのが通常の常識になっております。産卵時間はどうも日没に関係があるようです。最初に串本で産んだのが、夕方の5時半から6時半くらいの間だったのです。
 ところが最近は、夜の9時から10時ごろに産んだりします。南の方ほど太陽が沈む時間が遅くなりますから、産卵も遅いのはだいたい想像がつきます。その当時、奄美では、夜の8~9時ぐらいに産んでいました。これは、その考え方と合致するなあと思うところです。さらには、朝方に産んだりするともいいます。浮く卵を産む魚が、朝方に産卵することはほとんどないのが普通です。これは養殖魚のせいなのか、まだそういった解明は出来ていませんが。
 受精卵はそのままにしておきますと、生簀から全部流れ出てしまいますので、工事用のシートを周囲に張って、流出を防いでいます。受精卵は、こういう特製のネットを曳き回して回収することができるというわけです。

 これがその受精卵です。ああいう大きなマグロは、どんな卵を産むだろうかというのは非常に興味があるところですが、卵は直径が約1㎜です。統計を取ってみますと、0.989±0.017㎜ということです。
 この写真は少し時間が経っていますから、8細胞期になっております。この真ん中の黒い玉、これは「オイルグロビュール」といって、油球、脂の玉ですね。これは浮力と、それから栄養にももちろんなるわけです。我々の実験で、24℃で32時間経ちますと、こういう風にふ化してきます。ふ化したものは「仔魚(しぎょ)」と言います。よく稚魚と言いますが、稚魚の前の段階です。
 といいますのは、この体形が親のマグロと全然違うわけでして、親のマグロとほぼ同じになる、例えばヒレの数だとかが一致した時点から、稚魚と言っておりますが、それまでは仔魚と言っております。
 これは1つずつの卵から独立して出てきますから、こういう栄養の袋をもらってきています。これは「卵黄嚢(Yolk Sac)」と言います。そして、これがだいたい2日、遅くても3日経ちますと全部吸収されます。そうしますと、これが「眼胞」といって、目になる部分ですが、レンズが発達し、見えるようになり、口が開いて消化管も開きます。その結果、ようやく、外部から餌を摂れるようになります。ですから、産まれてだいたい2~3日は、この栄養の嚢で賄っているというわけです。

 この図は、成長に伴う外部形態の変化を書いておりますが、今はAでありますが、だいたいこれもCの4日くらいしますと、餌を食べて、腸管が著しく発達してまいります。非常に面白いのは、Fを見てください、頭でっかちなんです。「相対成長」といいまして、体長に対する体高だとか体幅の割合をいいます。頭でっかちということは、目が大きくて、口が大きいということです。この場合には、まだ尾っぽが親とは違って、団扇(うちわ)状をしているんです。団扇状をしているというのは、非常に瞬発力があるということなんです。
 そういった性質を持っておりまして、例えば、太平洋のど真ん中で100万や200万個の卵が一斉にふ化した時に、そこに、彼らの全部が食べられるような量の餌があるかというと、恐らくないだろうと考えられます。そうすると、いち早く餌に到達したものが勝つということです。
 そして、そういう個体は、ドンドンと大きくなって、同時に産まれても大小ができます。そうすると、今度は、その小さい個体を大きくなった個体がどんどん突いて、激しい共食いが起こります。他の魚種でも共食いはするのですが、マグロの場合は、特に激しいことが分かっております。

 これは、卵を室内でふ化をさせ、飼育した時の図です。
 餌は、まず最初、シオミズツボワムシ、これは人工的にドンドン増やすことができます。その次はアルテミア、ブラインシュリンプともいいますが、これは熱帯魚店で売っているものであります。だいたいふ化後15日くらい経ちますと、共食いが非常に激しくなります。これが1つの写真でありますけれども、大きい魚体が、小さい魚体を頬張っているんです。
 その時に、大きいのが小さいのを確実に食べてくれたらいいのですが、喉に引っかかって両方とも死んでしまう。こうなると、どんどん数が減ってしまいます。そういうことのないように我々が考えたのは、ここで、他魚種のふ化仔魚をやることにしました。

 我々の所ではイシダイの仔魚をやっていますが、イシダイの人工ふ化は簡単にできます。昔は非常に難しかったんですが、今や彼らの適した産卵環境にしてやって、産卵を抑制したり促進したりができるようになりましたので、必要に応じて、イシダイのふ化仔魚を与えるようにしているのです。これを大量にやりますと、彼らはこれを食べてマグロを食べなくなるので、マグロの生残率が高くなります。

 その次に、だいたい1ヵ月ぐらい経ちますと、「沖出し」といいまして、海上生簀に移してやらないといけません。そうすると、生きた餌ですと、網から流れ出てしまいますので、今度は死んだ餌を与えるわけです。そこで、配合飼料やイカナゴやイワシのシラス、こういったものを刻んで与えるわけです。これらを完全に食べられるようになると、沖出しするということをしております。

 先ほどちょっと申しましたけども、今度は、衝突死というものがあります。
 稚魚は、このオヒレが団扇状をしているので、推進力が非常に強いんです。産まれてからだいたい5㎝くらいから25㎝くらい、この間に衝突が多発するんです。この図は、各ヒレの活力、あるいは成長を示したものですが、この赤い点線は、活力100%を示しております。尾ヒレは、活力が親魚と同じ100%ですが、5~25㎝くらいの小さい時には、驚愕反応で突進します。これに方向転換したり、あるいは停止する能力がついていけないのです。
 我々は、これらが停止するためには胸ヒレ、方向転換するためには腹ビレ、といったヒレの成長が遅れていることを突き止めました。
 従って、この時期に突進する時に行きつくところがあると、それに衝突して死んでしまいます。ちなみに、こういった水槽の中で、工事用のシートを張って驚かす実験をしてみました。そうすると、我々がいくら手で引っ張っても破れない工事用のシートを、マグロは突進して破るんです。衝突して死んだ魚体をレントゲンで見ると、首の脊椎が折れたり、副蝶形骨(ふくちょうけいこつ)も折れている状況です。
 マグロと言うのは英語名で「Tuna」というんですけども、これはギリシャ語から出た言葉でありまして、日本語に訳したら「突進」だというんですね。

 次に「沖出し」ですが、平成6年に初めて、陸上水槽から海上生簀に移す沖出しができました。最初に沖出しをした時、6m角の生簀を使用しました。
 その時点では衝突死することが分からなかったのですが、沖出しのあくる日の朝、見ると、生簀の底が真っ白になっているではありませんか。これはエライことになったと、死魚をレントゲンで見ると、大部分の稚魚の脊椎が折れていました。これはやはり衝突死だということが分かってきました。
 残った魚体も、フラフラして口が擦れたり、肌が擦れたりしていました。1ヵ月後の生残率は、わずか2.3%でした。初めての沖出しでしたので、1年くらいはなんとか生きてくれると期待したんですが、246日で全部が死んでしまいました。それでも、最後の1尾は全長42.8㎝、体重1,327gに成長していました。
 その次の平成7年、この生簀は小さすぎたというので、対辺12mの八角形にしました。そうすると1ヵ月後の生残率は、16.4%になりました。その次の年にも、同じ大きさの生簀で生残率24.9%になりました。その次の年は卵産がなくて、その次の年に思い切って直径30mの円形にしたのです。そうすると、生残率は55.7%に上がりました。
 ところが残念ながら、これは台風で飛ばされてしまいました。そのため、平成7年及び平成8年のものを大切に飼育したところ、平成7年のものは、2年経って17尾が残りました。たった17尾と思われるかもしれませんが、これは、世界で初めてできた人工生産のクロマグロです。もう20㎏前後になっています。この次の平成8年のものも、1年で35尾が生残しました。これを大事に大事に飼育してきたわけです。

 次に衝突死の原因解明と防止策ですが、夜暗いところでも、彼らは止まることがないから、ずっと泳いでいるわけです。そこに、急に明かりがパッと灯る。例えば、雷が鳴って稲光がパッと光る、あるいは近くで花火大会、あるいは沿岸ですから車のヘッドライトが当たる、そんなときに、非常に驚いてパニックを起こし、網に衝突して死に至るのです。
 どういう所でそのようになるのかと色々実験をした結果、暗所視の能力が非常に低いことが分かりました。0.09lx以下で、物を十分に認識出来ない。それだったら、夜間も電照したらということになりました。この夜間電照で、生残率を高めることに成功しました。

 次に研究の経緯を見ることにします。我々の研究は、昭和45年に始まり、9年経って世界で初めて自然産卵に成功しました。
 ところが、昭和58年から平成5年まで11年間、全く産卵が見られなかったのです。当時は串本だけでやっていましたが、今は奄美大島にも実験場を作り活動していまして、串本と奄美を比較した結果、串本の海水温が原因だということが、ほぼ分かってきております。
 ところで、人工生産のクロマグロは、先ほど申しましたように、平成7年の17尾、平成8年が35尾ということで、これでもう最初から27年経っているわけでございますが、天然魚は、5年で成熟して産卵したので、人工生産のクロマグロも、5年で産卵するだろうという予想を立てていたんですが、5年経ってもその兆候は全く表れませんでした。
 6年経ちましたが、この年もダメでした。それで、平成7年のものはもう7年になりますが、そうしましたら、その間にまた台風が来まして、17尾が6尾になってしまいました。次の平成8年のものも35尾が14尾に減少してしまいました。
 クロマグロは外観からオス・メスの見分けがつかないので、いざ卵を産んでいる時には体色が変わりますが、普通の状態ではまったく分かりませんでした。そのため、6尾だったらあまりに少なすぎて、性比でメスばかりかもしれないし、オスばかりかもしれない、それだったら産まないわけです。平成8年のものも14尾ですから同じことが言えます。
 ところが、7年と6年経っていますから、両者とも5年以上経って成熟年齢に達しているわけです。じゃあ、これを一緒にしようじゃないかということで、一緒したところ、平成14年の6月23日に産卵したのです。これが完全養殖達成ということになるわけです。しかし、研究開始から32年の歳月が流れていました。

 そこで、完全養殖というのはどういうことかと言いますと、まず、天然のヨコワを獲ってきて親魚にまで成長させます。その親魚が卵を産みます。この白い矢印、人工的に飼育しましてまた親にします。そして、この人工親魚が卵を産みますと、人間の管理下において、彼らの一生が一巡したことになります。これが完全養殖でございます。
 近畿大学の他では、今年、マルハ系列の奄美養魚の研究所が、初めてこれに成功しました。私ども近畿大学では、もう完全養殖三世代までいっているんですが、この三世代が産んだものが、今はもう幼魚まで来ているという状況です。世界では、まだ私どもとマルハだけが完全養殖に成功しているだけで、あとはどこも成功しておりません。地中海でも研究をやっていますけれども、まだ成功していないのが実状です。

 実は今年のものはまだ統計が出来てませんが、昨年、我々は、808万粒の受精卵の供試、沖出しが19万尾、いま日本での養殖業者が、種苗として天然のヨコワを獲って来ていますが、この大きさにしたものが、4万尾できました。沖出しから4万尾ですから、この割合は沖出しから20%くらいです。今度は、808万粒の卵からヨコワ4万尾ができたということを計算してみますと、わずか0.5%です。今はそれだけしかできないのです。
 これをマダイと比べてみますと、マダイは60%が卵から人工生産できるんです。従いまして、クロマグロの場合は、いかにこの数字を上げていくかというのが課題であります。
 我々は、もうすでに4年前に、熊本の業者に1,400尾の人工種苗を出荷致しました。これがもう商品サイズになって、今年あたりは、市場に出ています。昨年は32,400尾を、愛媛、大分、熊本などに出荷しております。いよいよ人工生産のクロマグロが、市場に出てくる時代になってきました。

 それで、この人工生産のヨコワ4万尾という数字、これはいま、日本のクロマグロ養殖業者が、ヨコワを採捕している数は、約40万尾と言われています。ですから、我々の作った4万尾というのは、その10分の1に当たるわけですが、これが、もう少しいろんな研究機関が協力すれば、40万尾くらいは、近い将来、十分に生産できることになります。天然資源に手を付けずに、人工種苗ですべてを賄うことができる時代が、もうすぐそこに見えて来ています。
 ちなみに、ハマチは一時は4千万尾、稚魚を採捕して養殖していましたが、今は半分くらいになっているだろうと思います。カンパチでも、ベトナム沿岸で獲ったものを、中国の海南島に持ってきて、体長15㎝に中間育成して、日本に持ってきています。一時は約2千万尾が入ってきていましたが、今はその半分くらいといわれています。これらに比べますと、クロマグロの場合は40万尾ですから、これは非常に難しいこととはいえ、なんとか、人工的にすべてを賄うことができるようになるという期待を持っています。
 そういうことで、私どもはクロマグロの養殖種苗はすべて人工種苗で賄い、天然資源には手をつけないことを計画しておりますし、それ以上にたくさん人工生産した場合は、放流をして、そして冒頭にも言いましたように、親魚に成長して産卵場に戻ってくるというように、もしサケと同じような軌跡がはっきりとしたならば、産卵回帰という夢も叶えられるんじゃないかと思っていますが、この放流には、遺伝的な多様性をクリアにしてからということになります。

 さて今、食糧というのは、安全、安心ということが叫ばれています。マグロについては、「水銀マグロ」というのは皆さんご存じの通りでございます。海水の中にも水銀はあるわけで、地殻から噴出しているのです。ですから、例えば、食物連鎖でプランクトンがそれを取り込むのは約2,000倍、大型魚が取り込むのは12万倍と、そんなことも言われております。
 私どもグループで、養殖マグロと天然マグロの水銀濃度を調べております。天然では、地中海産のものですが、小さいものから100㎏くらいのものまでずっと調べています。そうしますと、魚体が大きくなるほど水銀の濃度が高くなるというのは、餌に関係があります。大きいマグロほど大きい餌を食べる。例えば、カツオなんかを食べているんですね。
 ところがです、私どもの完全養殖の串本産マグロを見ますと、水銀濃度が横ばいなんです。これは、せいぜいサバくらいしかやっておりませんし、それ以上大きな餌はやっておりません。この結果、天然の大型マグロよりは、私どもの完全養殖マグロの方が、より安全であるということがわかります。
 実はこの0.4ppmと書いているのは、水銀の許容量なのです。日本で決められている水銀の許容量です。従いまして、我々の養殖しているクロマグロは、許容量以下であるということが証明されております。
 それから、このトロの部分、いわゆる脂肪の部分でありますが、水銀というのは、脂肪細胞の中には入りにくいという性質があります。従いまして、マグロのトロでは、水銀の濃度が、普通の赤身などと比較すると、より低いという研究結果が出ております。我々は、質の良いトロを人工的に作ることを心がけています。

 我々の大学では、「アーマリン近大」という会社を設立しております。
 これは、研究所でいろいろ作った魚を販売するという、大学ベンチャーの会社です。近大で生産した魚には、近畿大学を優秀な成績で卒業したという「卒業証書」をつけています。これは単なる証書ではなくて、QRコードがついています。
 これをヒモ解けば、「トレーサビリティー=履歴」が分かってくるということで、近畿大学の生産した魚は安全であるということを証明しているわけであります。以上、大分走ってお話をしたんですが、この辺で終わせて頂きたいと思います。どうもご清聴ありがとうございました。



【質疑・応答】
Q.長年かかってここまで成し遂げられてこられました。テレビなどでの講演を拝聴し、今日、実際に苦労されたお話を聞いて非常に感激致しました。先生が原点に返って、これに取り組まれた経緯をひとこと教えて頂けますか?

A.実は私どもは、冒頭にも申しましたように、ハマチから始まりまして、ヒラメとかマダイとかシマアジとかイシダイとかそういうものの、それまでの日本の、世界もそうですけども、養殖の魚というのは、天然から稚魚を獲ってきているんですね、すべて。それをずっと続けていればもう天然の魚がドンドンと減っていってしまう。
 そういうことから、我々としては、その一部を親にして、その親から卵をとって増やしていく、そういう研究を、昭和30年の後半あたりからずっとやってきたんですよ。
 マグロはですね、研究者が手を付けたいとは思うのはヤマヤマなんですけども、魚体がとても大きいので、飼育の設備なんかを大学で作るのは、なかなかできない。しかし、これをなんとかやらないといけない、我々は魚を人工的に生産するという基礎を蓄えていたんですね。最後に残ったのがマグロだと。じゃ、それをやろうではないか。
 たまたま、昭和45年に、水産庁の三善さんという部長が、このまま日本の遠洋漁業を続けているならば、日本漁業は世界からいろんなヒンシュクを買うということから、日本人の手でマグロの増殖ということを手掛けなくてはいけない、ということを提唱しまして、その年に、遠洋水産研究所が中心となって始めたわけです。
 大学では、東海大学、近畿大学、それから、試験場では静岡、三重、長崎、こういうところに声をかけましてね、今まで養殖研究をかなりやっている施設です。そういうところに声をかけて始まったのが、マグロの研究です。ところが、そういう国の研究というのは、例えば、3年とかで研究期間が終わり、プロジェクトも終了してしまいます。近畿大学としては、とにかくいろんな魚種について研究してきたが、最後に残ったのがマグロであるので、それじゃもう独自でやろうということから、ずっとクロマグロの研究を続けてきたというのが経緯でございます。


Q.完全養殖にいたる過程の中で、特許はどのように関わっているのでしょうか?

A.例えば、夜間に電気を付けるとかそういうのは全部特許を取っております。それから、生簀の中で卵を産むわけですが、これを、最初の頃は、いつもそこに張り付いて、「ああ、産んだ産んだ」と、お昼ごろから夜まで張り付いてやったんですが、これでは人件費ばかりがかかるということで、「卵キャッチャー」というものを発明しました。それを浮かべておいて、その中だけを見て、卵が入っていたら、これは産んでいるなってことが分かる、こういうものも特許を取っています。
 しかしこの前も、奄美でマグロ技術交流会という、60人くらいが日本でマグロを飼育したり研究したりする人たちが集まってやっているんですが、皆さん、特許をうちがとっているのを知ってか知らずか、それを使っているんです。だから、ちょっとこれは言わないといけないんじゃないかと思うのですが、どうも言いにくいですね。それで、そのままになっています。
 この他にもいくつか特許は取っております。水銀の少ない餌で養殖するというのも、もちろん取っております。全体の特許を取るということも、最初はできると言っていたんですが、これはなかなか難しくダメなようです。マグロは国際資源ですから、日本がみんな協力して、世界に発信するというのは非常に良いことですから、それはドンドンやってもらいたいんですが、外国では、いかにも自分がやったという風にしてやられるのは困るじゃないですか。ということで、海外の特許もついでに取っているんです。それは各国ごとにお金がかかるので、ずいぶんお金を継ぎ込んでいます。やろうとしているような国が聞こえてくると、さっきの夜間照明とかですね、みんな特許取ってます。
※本サイトに掲載している文章・文献・写真・イラストなどの二次使用は、固くお断りします。
閉じる